06


「そういえば、どこ行ってたんですか?」

 お仕事ですか? と問いかければ「あ」と口を開いた。

「それなんですが、実は理事長に呼ばれていたんです。清水くんの容態について報告をしたのですが……」

 げ。あの人、日下部さんにそんなこと報告させてるのか。いよいよ本格的にストーカーじみてきてちょっと気持ち悪い。

「その、今日包帯が取れたことを報告したところ、人手が足りないから日中は食堂に戻るように言われてしまいまして」
「ありゃりゃ」
「なので、大変申し訳ないのですが、明日から昼間はご一緒できなくなってしまいました」

 しょんぼりオーラ全開の日下部さんの頭上で、無い耳がへにょりと垂れているのが見えた気がした。
 まあ、そうだよなぁ。ディナータイムは結構みんなばらばらの時間に来るけど、ランチタイムは昼休みの時間が限られてる分、ドバッと一気にきちゃうだろうし。いくら食堂の人たちがプロとはいえども、忙しくなるのは仕方ないだろう。
 それに、

「そもそも本職はそっちなんですから、気にしないでください。仕方ないですよ。日下部さんと一緒じゃなくなるって考えたら、寂しくなっちゃいますけど」
「清水くん……! ありがとうございます。ディナータイムはまだいいと言っていただいたので、夕方には戻ってきますから」

 だから夕方からは一緒ですよ! と日下部さんは力こぶを握る。妙に張り切るようなその様子がかわいくて、思わず俺は笑ってしまった。

「あははは、ありがとうございます」

 日下部さんでもそんな冗談言うんだなぁと、その時は軽く流してしまった俺だったけれど。



「お帰りなさい! 清水くん」

――翌日。

 寮に戻ってドアを開けたら、そこには、忠犬ハチ公よろしく玄関で正座をしてスタンバイしている日下部さんがいた。
 なんだこれ、新婚さんか。

「……ただいま、です」

 盛大に突っ込みたくなるのをこらえて、ぎこちなく微笑み返す。
 昼間の、ほんの数時間一緒じゃなかっただけなのに、にっこり笑う日下部さんがひどく懐かしく恋しく感じる。と同時に、そんな風に思う自分がひどくくすぐったかった。



「日下部さん、意外と手おっきいですよね」

 そのことに気づいたのは、その夜のお風呂上がりのことだった。リハビリがてら日下部さんの手を両手でにぎにぎしていたところ、明らかに俺と日下部さんのてのひらのサイズが違うことが判明したのである。

「そうですか?」
「そうですよ」
「そうですか」

 日下部さん、見た目は細っこいくせに。手だけはがっしりした立派な男のものだなんてずるすぎる。むっと唇を尖らせていると、お返しだとばかりに腕を掴まれた。

「そう言う清水くんは、意外と腕ががっしりしていますよね」
「それは、カメラが重たいので」

 しっかり支えなきゃならないので、自然に腕に筋肉が着いたのである。説明すれば「ああ、そうですよね」と納得したように頷かれた。

(あ、そうだ)

 その顔を見てふととあることを思いつく。日下部さんに「ちょっと」と一言断ってから自室に足を踏み入れた。デスク上にもう長いこと放置されていたカメラを取り上げて、すぐに踵を返す。
 日下部さんは、戻ってきた俺の手の中にあるものを見てぱちくりと瞬きした。

「理事長に、しばらくカメラ持つのは禁止されていませんでしたっけ?」
「構えなければいいんですよ、構えなければ」

 それに、いまカメラを持っているのは右手だし。日下部さんさえチクらなければなんの問題もないだろう。
 心の中で言い訳しながら、はい、と日下部さんにカメラを手渡した。日下部さんはとっさに両手を差し出して、反射的にそれを受け取った。

「わ、ずっしり重たいですね」
「重たいですよ」

 最初は支えるのにも一苦労だったなぁ、懐かしい。

「それにしてもこのカメラ、ずいぶん年季入ってますね。長いんですか?」
「ああ。それ、師匠にもらったカメラなんです」
「お師匠さんから?」
「はい」

 俺が初めて構えたのも、写真を撮ったのもこのカメラだった。それからずっと、俺の愛機はこれ一台だ。

「じゃあ、清水くんの作品は全部、このレンズを通ってきているんですね」

 何気なくこぼした俺の言葉を聞いて、日下部さんはどこか感慨深そうにつぶやく。レンズキャップをなぞる指先の動きは、ひどく愛おしそうなものだった。自分のたいせつなものを同じようにたいせつに扱ってもらえることに、どうしようもない嬉しさがこみ上げる。

「あの」
「はい?」
「日下部さん、ためしになにか撮ってみますか?」
「……えっ?」

 日下部さんがきょとりと首をかしげたその隙に手早くレンズキャップを取り外した。カメラの電源を入れて、いつもの設定からオートモードに変える。

「はい、どうぞ。シャッターボタンここなんで、押してみてください」
「え、ええ?!」
「フィルムじゃなくてデジタルなんで、ボタン押しとけばとりあえず撮れますよ」
「そんな、無茶苦茶な」

 それにそういう問題でもないです! と日下部さんは眉を吊り上げる。一人でぷりぷりしてる日下部さんもかわいいなぁとか思っていると、やけに真剣な声が返ってきた。

「清水くんの大事なカメラで、こんな、そんな簡単に写真なんて撮れないです!」

 それが、日下部さんがぷりぷりしている理由らしかった。
 けど、そう言われてもなぁ。

「たしかに、これは大事なカメラですけど……だからこそ、誰にでも触らせるわけじゃないですよ」

 どうでもいい他人になんて絶対に触らせない。真生さんには悪いけど、たぶん俺は真生さんにもカメラは触らせられないと思う。芳春先輩にだって無理だ。
 理事長なんてもってのほかである……もっとも、あのひとはそれをわかってるからそもそも触りたがったりしないだろうけど。

「日下部さんだから。日下部さんを信用してるから、こうやって渡せるんですよ」

 だから気にしなくていいのに。そんな気持ちを込めて、ぐっと日下部さんの手に自分の手を重ねる。じっと、日下部さんの、澄み切ったきれいな瞳が問いかけるように俺を見つめてきた。

「いいん、でしょうか」
「いいんですよ」

 だって、俺本人がいいって言ってるんだから。
 冗談交じりにそう言えば、日下部さんは、ようやくふっと肩の力を抜いた。それもそうですね、と力の抜けた微笑みが返ってきて、俺も思わずふにゃりと笑う。

「……それじゃあ、撮りますね」

 すっと、日下部さんが俺のカメラを構える。そのレンズの先が向けられたのは――俺、だった。

「えっ、俺のこと撮るんですか?」

 ちょっと予想外すぎて素っ頓狂な声が出てしまう。

「だめ、ですかね」
「や、だめというか、なんというか。こんなこと言うのもあれなんですけど、どうせ撮るならもっと他にいいものあると思いますよ?」

 どうか考え直してくれとばかりに言うも、日下部さんは困ったように眉をわずかに歪めるばかりで、一向にそのレンズを下ろしてくれそうになかった。

「清水くんは、自分がきれいだと思うものしか撮らないんですよね」
「えっ……はい、まあ」
「俺が『きれい』だって思うのは、清水くんなんですけど……」

 それでもだめですかねと、声で、眼差しで訴えかけられる。俺を「きれい」だと言い切る日下部さんのあまりの純真さとまっすぐさに、ずきりと胸が痛んだ。

「……俺は、きれいなんかじゃ……」
「え?」

 俺のささやきを耳聡く拾ったらしい。聞き返してくる日下部さんを、へらりと曖昧な笑顔でごまかす。

「すいません、なんでもないです。ほんとに俺でもいいなら、撮ってください」

 へらっと笑ったまま、こうなりゃやけくそだと慣れないピースサインを作ってみせる。カメラのこちら側にいることなんて滅多にないから、どうにも落ち着かない。そわそわしていると、パシャリ。軽いシャッター音とともに、その一瞬が切り取られる。

 プレビューボタンで撮れた写真を見てみたら、カメラの小さなディスプレイの中には、どうしようもなく間抜けでちぐはぐな、ピエロのような姿をした俺が映し出されていた。

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