04
松原さんは、少しためらうようなそぶりを見せたのち、問うてきた。
「……気持ち悪い、とか、思わないのか」
「気持ち悪い? なにがですか?」
「俺と雪永が、男同士なのに恋人だってこと」
なんだ、そのことか。松原さんがきにしていたところが予想外すぎて、思わずそうこぼしそうになる。唇をきゅっと引き締めて、代わりの言葉をゆっくりと探した。
「俺の知り合いに、男同士のカップルがいるので。それに、俺の通ってる学校……日下部さんの職場でもあるんですけど、ちょっと特殊な学校なんですよね」
全寮制の男子校で、男ばっかだからって同性愛が横行してるっていう。
そんな風にすごくざっくりとした説明をすれば、松原さんはぱちくりと瞬きを繰り返した。
「似ているな」
「え?」
「俺のとこも、そういう学校だったんだ」
俺の母校で、雪永と日下部さんの前の職場な、とさりげなく松原さんは重要そうな情報を付け足していく、けれど、ちょっと待ってほしい。
「不純同性交遊が蔓延していて、変な風習やルールもたくさんあって。すでに技術のあった雪永を、ずっと見習い扱いしてまともに厨房に立たせもしない。……そんな、頭のおかしな学校だったな」
昔を懐かしむように松原さんは言う。その表情はすこし苦しそうだった。
「なにかあったんですか、その学校で」
「まあ……まあ、な。俺は要領が悪かったから、気づいたら色んなものを押し付けられていて、そんな役回りばかりで……まぁ、いろいろあったな」
松原さんの言う「いろいろ」には、ほんとうに、ずいぶん多くの「いろいろ」が込められているようだった。きっと、俺なんかには想像も及ばないくらい、いろいろなことがあったのだろう。かける言葉に迷っていると、「でも」と、急に松原さんが明るい声を出した。
「でも、そこを雪永に助けてもらったんだ」
「浅井さんに?」
「浅井さん」と「助ける」というワードがしっくりこなくてつい松原さんの隣を見る。が、そこはいつの間にやら空席となっていた。
「あれ?」
俺の隣にいてくれたはずの日下部さんもいなくなっている。いったいどこに、と慌てて視線を巡らせれば、店の外、大きな窓ガラス越しに見えるテラス席のある庭に二人の姿はあった。しかも、なぜか取っ組み合いをしている。なにをしているんだ、あの大人たちは。
呆れを覚えていると、テーブルの向かいからもくすくすと笑い声が聞こえた。松原さんが、顔を真っ赤にして本気で取っ組み合いしている二人を前に、どこか眩しそうに目を細める。
「あんなんだがな、俺にとっては大事な、かけがえのない人なんだ」
決して大きくはない声だった。けれど、それでもその松原さんの声は、しっかりと俺の胸の奥の方まで響いてきた。浅井さんが愛しいんだと、全身全霊で伝えようとする声のあまりのあまさに、俺の方まで顔を緩ませてしまいそうになる。
本当に、松原さんは浅井さんのことが好きなんだな。そう思い知らされた次の瞬間、俺は急に思い出した。
「……ああ、そうだ。ホタル」
「え?」
「店の名前、ホタル、ですよね」
ドアのスチール看板にあった店名は「La Luciole」。あれはたしか、フランス語で蛍を意味する言葉だった。そして松原さんの名前も、むずかしいほうの字で「螢」と書いて「けい」と読む。
これは、つまり、そういうことなのだろう。
「浅井さんも、本当に松原さんのことが好きなんですね」
ぽつりとそう零せば、かああっと向かいに座る松原さんの顔が真っ赤に染まった。ああ、愛されている自覚はあるんだなとわかってしまって、そんな様子が余計に愛おしく思えてくる。
「あの、松原さん」
「なんだ」
呼びかければ、ちょっと弱ったような声が返ってきた。視線はこちらを向いてくれないけれど、たぶんこれは照れてるだけだろう。判断して、話を続ける。
「俺の左手が治ったら、写真を撮らせてくれませんか?」
「写真? ……俺を、か?」
「あなたと、浅井さんを。二人一緒に、です」
顔を赤くして、恥ずかしそうに目元をこすったり意味もなく指先を遊ばせたりする松原さんは、きれいなひとだ。衣装も化粧も撮影場所もなにもこだわらず、なにもないところで、ただ一人だけでフレームにおさめたって、十分芸術品としてそこに映し出されることだろう。
けれど、それじゃ意味がない。それはたぶん、松原さんの本当のうつくしさとは程遠い。
松原さんを一番きれいにうつしたければ、衣装も化粧も本格的なスタジオもなにもなくても、その隣には浅井さんだけはいなければだめだと、俺はそう思う。
だから二人一緒に撮らせて欲しいんだと強く言葉を重ねれば、そこでようやく、松原さんの目が俺を捉えた。
羞恥からか、すこし涙に潤んだ瞳が、くすぐったそうに目尻を緩ませる。
「ミズヒラヤスシに撮ってもらえるなんて、光栄だな……俺でよければ、いつでも」
そう言って、松原さんはひどくやさしく、きれいに微笑んだ。きっとこの人は、浅井さんが隣にいる限り、世界で一番しあわせでうつくしい人であり続けるんだろうなと、そんなことを思う。
(誰かを愛して、誰かに愛されてって、そういうことなのかな)
今まで、いまいちわからずにいた「愛」や「恋」が、少しだけわかった気がした。全貌までは掴めずとも、今なら、その輪郭くらいは見ることができた。
それから、俺と松原さんが連絡先を交換して、ふたりの馴れ初めについて聞いたりしているうちに、ようやく日下部さんたちは取っ組み合いから戻ってきた。原因不明の勝負は浅井さんの勝利に終わったらしい。悔しそうな顔をした日下部さんを前に、そりゃあそうだろうなぁと、その体格差を思って納得してしまったのはここだけの話だ。
すこし冷めてしまった食事を食べ終えるころには、あれだけあった時間はすっかりなくなってしまっていた。午後の授業に間に合わせる為にと、俺と日下部さんは慌てて車に乗り込んだ。
「それじゃあ、またな。恭平」
「はい、また。螢さん」
店の前まで見送りに来てくれた螢さん、浅井さんと窓越しに挨拶をしたところで、日下部さんがゆっくりと車を動かし始めた。ひらひらと手を振るふたりの姿がサイドミラーのなかでどんどんと小さくなっていって、そのうち、米粒のようになって消えてしまった。
「どうでしたか?」
なんの前触れもなく日下部さんがそう問うてきたのは、徐々に周囲から建物がなくなり、学園へと向かう一本道に差し掛かったころのことだった。
なにが、かなんて聞くまでもない。浅井さんと螢さんのことだろう。
「楽しかったです」
浅井さんの料理もおいしかったし、螢さんの浅井さんを想うきもちも、愛しさに溢れたあの視線も興味深かったし。
あのふたりには、なんだかすごくいいエネルギーをもらった気がする。いまなら、良い作品が作れそうだなんていう、確信もない予感すらしていた。
「そうですか」
「そうですね」
「清水くんが楽しそうで、俺も嬉しいです」
どこかほっとしたような声に、ちらりと隣を盗み見る。けれど、まっすぐにフロントガラスの向こうを見据える日下部さんの目はいつもと変わりなくて、それがどういう意味で発せられた言葉なのかをうかがい知ることはできなかった。
(……もしかして、気遣ってくれてるんだろうか)
すぐに犯人も見つかったし、大したことはなかったとはいえ、制裁みたいなこともあったし。
もしかしたら日下部さんは、俺のことを元気付けようとしてくれているんだろうか。だとしたら、ちょっと嬉しい。
「日下部さん」
「はい?」
「ありがとうございます、ね」
今日のことも、いつも俺のそばにいてくれることも。
「俺、やっぱり早く手、治しますね」
それで、早く写真が撮りたかった。螢さんと浅井さんのももちろんだけど、それよりもなによりも、日下部さんの写真が、撮りたかった。
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