03


「浅井雪永だ」

 よろしくな、と手を差し出してきたのは、やっぱりあのコック服の男だった。

 とりあえず、と自己紹介を始めた俺たちの前には、おいしそうな料理の皿がいくつも並んでいる。
 キャロットラペのサラダ、鳥モモ肉とキノコのクリーム煮、ポーチドエッグに、ほかほかと湯気を立てるオニオンスープ。カゴに盛られた数種類のパンは、ちょうど焼きたてだったのか、まだ皮がパチパチと音を立てていた。

 ちょうど空腹だったのもあり、じゅるり、とよだれが出てしまいそうだ。なんとかこらえて、差し出された右手を握り返す。料理人らしく、がさついた肌に切り傷の多い、ごつごつとした手だった。

「清水恭平です」
「ああ……お前が、あの」
「あの?」

 どの、だろう。浅井さんの知り合いにはシミズヤスヒラが何人かいるのだろうか。思わず首をかしげると、あの、と浅井さんはもう一度繰り返した。

「日下部が怪我させたっつーの、写真家の?」
「ああ、はい」

 なるほど、そういう「あの」か。どうやら日下部さんは、浅井さんに俺のことを話していたらしい。つないでいた手を解いて、俺は右手でごぞごそと胸ポケットを漁った。裏面には俺の作品が全面印刷され、表面はあくまでシンプルに名前と連絡先だけというそっけない名刺を、浅井さんに向けて差し出す。

「写真家のミズヒラヤスシです」
「ミズヒラヤスシだと?」

 ミズヒラヤスシの名前に食いついてきたのは、浅井さんのほうではない。その隣に座っていた、浅井さんの知り合いらしい松原螢さんだった。驚きを露わに、俺の名刺をまじまじと覗き込んでいる。それを見て、逆に浅井さんは驚いているようだった。

「知ってんのか?」
「逆にアンタは知らないのか」
「そりゃ、お前とは育ちが違ェからなぁ、オキャクサマ」
「……今はもう、客じゃないだろ」

 からかう風な浅井さんの言葉に、松原さんは拗ねたようにそういった。そのまま、ツンと唇を尖らせたままにそっぽを向いてしまう。
 浅井さんはそれを見て、すねんなよ、なんて言って肩をつついていた。俺の名刺を受け取ってくれる気配はない。迷った末に、とりあえず名刺はテーブルの上に置いておくことにした。

(このふたり、どういう関係なんだろう)

 知り合いらしいことは確かだけど、友人とかそういうのとは少し違う気がする。浅井さんがこの店の店長らしいけど、店長と従業員といった感じでもないし。兄弟とか、親戚とかとも違う気がした。もっと密接で、濃厚で、でも血縁関係とは違うなにか。

(なんだろう……)

 純粋に疑問に思いながら、岩戸隠れみたいなふたりのやりとりを眺めていると、とんとん、と隣の日下部さんに肩を叩かれた。

「どうぞ、清水くん」

 そちらを見やれば、日下部さんがフォークの先をこちらに向けている。ピカピカに磨かれた銀色のフォークの先には、器用にもサラダが乗せられていた。それも、俺が食べやすいくらいの量だけが。

 はい、と差し出されたそれに向けてぱかりと口を開く。いつもの要領でサラダが口の中に入ってきた。オリーブオイルをベースにしたドレッシングと、キャロットラペの風味、添えられたレーズンやアーモンドスライスとの相性がすごくいい。
 あまりのおいしさに、感想を言うのも忘れて黙々と口を動かす。それに合わせて、日下部さんもただ淡々とフォークを俺の口元に運んでくれた。サラダだけじゃなくて、クリーム煮も。ポーチドエッグはさすがにフォークじゃ難しかったので、くずした黄身とソースをパンにからめて食べさせてくれた。
 パンは、一般的なバゲットだけじゃなくて、くるみの入ったパン、イチジクとアプリコットの入ったパンなど、本格的なものがいくつもあった。卵をつけて食べるのがもったいないくらい、パン単体でもおいしかった。

 そんな風に、俺たち的には「いつも通り」な食事を続けていると、ふと、横顔に痛いくらいに視線が突き刺さっているのに気づいた。いつの間にやら天岩戸ごっこをやめたらしいふたりが、じいっと俺たちを見ている。

「日下部」
「なんだよ」
「お前、マジでそういう関係なの?」
「……はあ?」

 なにがだよ、と日下部さんは疑問に疑問を返した。それを受けて、浅井さんは「はああぁぁ……」と深くため息をつく。

「無自覚か、こりゃあ」
「怖いな、無自覚というのは」

 怖い怖いと繰り返す浅井さんと松原さんに、俺の頭のなかは「???」とクエスチョンマークでいっぱいになっていく。無自覚って、なにがだろう。……まあ、いいか。なんでも。

「それにしても、日下部さんと浅井さんはどういうお知り合いなんですか?」
「前の職場の知り合いです。あそこで働き始める前にも、凰堂みたいな学園の食堂でウェイターをしてたんですが、そのとき浅井さんはそこでコック見習いをしてたんです」
「元同僚ってことですか」
「はい。まあ、そのあとしばらくしたら浅井さんは独立してこのお店を始めちゃって。俺も、転職して今のところに、ってなったんですけどね」
「へぇー、独立」

 そうか、浅井さんが店長ってことはそういうことだよな。残念ながら飲食業界には明るくないからよくはわからないけど、独立って、すごいな。浅井さん、かなり若く見えるのに。たぶん日下部さんとそう変わらないんじゃないだろうか。

 ……と思ってから、ふと気づく。そういえば俺、日下部さんの年も知らなかった。
 どうなんだろう。俺の見立てでは二十代なかばってとこかな、って感じだけど。日下部さんの横顔を見つつ、26? いや、24かな? とあたりをつけていると、ふしぎに思ったらしい日下部さんが俺を振り返った。

「どうかしましたか、清水くん」
「いえ、あの、日下部さんっていくつなんだろうなーって、考えてました」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
「はい、聞いてないですね」
「25ですよ。ちなみに浅井さんは俺のみっつ年上なので28歳です」
「ほえー」

 俺の想像はだいたいあっていたらしい。そのことを喜ぶと同時に、浅井さんのまさかの若さにびっくりした。28って。

「その歳で自分のお店持つなんて、すごいですね」
「あー……まあ、俺の場合、いい出資者がいたからなぁ」

 にやりと笑って、浅井さんはチラリと横を見た。視線の先にいるのは、すました顔をしている松原さんだ。

「別に、関係ないだろ。あんたの腕がいいからだ。じゃなきゃ、いくらなんでも出資なんてしない」
「ははは、そりゃどーも」

 どうやら、二人の会話を聞く限り、浅井さんの出資者とやらは松原さんらしい。新しくお店を出すのに、その出資者となるなんて、松原さんの方も、若さと持っているものとのギャップが結構激しいみたいだ。ますます、二人の関係性がわからなくなる。

「……あの、つかぬことをお聞きしますが」
「あァ?」
「お二人はどういう関係なんですか?」

 あ、答えなければ言わなくていいです、と一応付け加えておく。と、二人はきょとりとした様子で一瞬目を見合わせてから、お互いのことを指差して、

「恋人だ」

 と、声を重ねてそう言った。

「おお、息ピッタリですね」

 さすが恋人同士ですね、とぱちぱちと拍手を送る。見事なハモり具合に思わず感動していると、ぶはっ、と急に浅井さんが吹き出した。

「おまっ、もっと他に言うことねーのかよ!」
「他に、ですか? ええと……お似合いのカップルですね?」

 とか、そういうのだろうか?
 やや首を傾げてみせれば、浅井さんはさらに笑い出す。ゲラゲラと腹を抱えてまでいるけれど、さすがにこれはちょっと笑いすぎじゃないだろうか。俺、そこまでおかしなこと言ったつもりはないけどなぁ。

 浅井さんが抱腹絶倒する一方で、松原さんの方は、やけに真剣な表情をしていた。こわいくらいに張り詰めた顔をして、厳しい眼差しを俺に注いでくる。

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