08






「それじゃあ、話はこれで終わりだよ。私が話したことの内容と意味を、しっかり受け止めて考えてみてください」

 それでは解散、と理事長はにっこり笑顔に戻って手を叩いた。パンパン、と乾いた音が響き渡る。
 解散と言われたはものの、理事長のあまりのオーラに圧倒され、身じろぎひとつできずにいるものが多いなか、音に反応するようにして立ち上がったのは。

「よっしゃ、したらば帰るか〜」
「おー、さっさと制作もどんねぇとな。締め切りちけぇし」
「え、お前も? 俺ももうすぐ大会あっから、練習手ぇ抜けねぇんだよなー」
「まじかー、お互いがんばんべー!」

 唯一、理事長からの圧力を逃れることとなった、E組とF組の生徒たち、だった。
 普段から担任の手拍子を合図に行動することに慣れている2年F組の生徒たちも、それは例外ではない。なんてことない様子で立ち上がり、ぞろぞろと連れ立って講堂を後にしていく。

「俺たちも戻りましょうか、日下部さん」
「はい、そうですね」

 背中にあちこちから視線が突き刺さっているのには気付いてた。理事長に名指しにされたせいだろう。
 けれど、あいにくと人に見られるのには慣れている。展覧会で、雑誌のインタビューで、授賞式で。いくつもの視線を浴びてきた俺にとっては、これくらいなんてことはなかった。

 いつものように日下部さんと一緒に席を立つ。そしてそのまま、俺たちは他のF組の生徒たちと同様に講堂を後にしたのだった。













 この集会をきっかけに、俺へのものはもちろん、それまで頻発していた大鳥悠里への制裁までもがピタリとやんだこと。
 さらに、それまで学園内で下に見られがちだった特待組の地位がちょっとだけアップしたらしいこと。

 これらの情報は、それから数日後のランチタイムに真生さんから聞かされたことだった。
 地位がアップした、と突然言われても具体的な実感はあまりない。けれどそういえば、最近よくクラスメイトたちから

「お前のお陰だぜー! さんきゅー清水!」

 ……なんて言ってありがたがられるから、まあ、そういうことなんだろう。
 誰かが喜んでいるなら、なんとなく俺も嬉しいし。まあいいだろうと俺は思う――のだけれど。

 どことなく平和になったように思われる学園の空気のなかで。ふしぎなことに、日下部さんだけがひとり、どこか落ちこんでいた。

「……日下部さん? どうかしましたか?」

 日下部さんは、コーンスープをすくったスプーンを構えた体勢のまま、さっきからずっと動かずにいる。まさに心ここに非ずといった様子に心配になって声をかければ、日下部さんはハッとしたのち、俺を見て困ったようにふにゃりと眉を垂らした。

「すみません。少し、考え事をしていました」
「なにを考えてたのか、聞いてもいいですか?」
「いえ……その、」

 スプーンを一旦おろして、日下部さんは少し躊躇う様子を見せる。

「……理事長はすごいなぁと、思いまして」
「え、そうですか?」

 あんな残念な人のどこがすごいのか。思わず素で落ち返せば、ええ、と苦笑交じりに頷かれる。

「理事長は、ああやって言葉だけで清水くんへの制裁を止めさせてみせました。しかもそれと同時に特待生たちの地位も高めて、それが、学園内の風紀を良くすることにも繋がっています」

 なかなかできることではないのだと日下部さんは言う。確かに、そう言われてみればすごいかもしれない。
 けれど、どうしてそれが日下部さんが落ち込むことにつながるのか。じいっと見つめ返せば、日下部さんは弱ったように目を伏せる。

「俺じゃ、たとえウェイターじゃなくて理事長だったとしても、ああはいきませんから。俺は無力だなぁと、少し、自己嫌悪に陥っていました」
「……あ、」

 どうしてそこで日下部さんが自己嫌悪しなければならないのかは、やっぱりよくわからなかった。これもきっと、「きもち」の問題なんだろう。
 けれど、ひとつだけ。そんな俺でも気付いたことがある。

「日下部さん、今自分のこと『俺』って言いましたね」

 初めて聞きました、と続ければ、日下部さんはたった今そのことに気付いたかのように目を見開いた。

「あ、すみませ――」
「えっ、どうして謝るんですか?」

 俺、日下部さんが気を許してくれたみたいで嬉しいのに。なのにどうして、この人は謝ったりするのだろう。

「……ねぇ、日下部さん」
「はっ、はい! なんでしょう清水くん」
「あと三か月くらいずっと一緒なんですから、もっと気楽にいきませんか?」

 敬語とか、そういう堅苦しいのはなしにして。
 俺が呼んだだけで変に改まったりするのも、俺をいちいち主人のように扱うのも。俺にケガをさせてしまったなんていう負い目も感じないでほしい。
 年齢も立場も関係なく、日下部さんとは対等で居たいなと、俺はどうしようもなく思ったのだ。

「それに俺、別に日下部さんに理事長みたいになってほしいとは思わないですよ。今回のことで日下部さんに心配してもらえたの、俺、嬉しかったんです」
「清水くん……」
「だから、日下部さんはそのままで、今のままで居てください。俺は、今のままの日下部さんが好きですよ」

 相変わらずスプーンを握りしめたままの日下部さんの手に、包帯の巻かれていない右手を重ねる。見た目には繊細そうなのに案外ごつごつとした指の節をなぞりながら、日下部さんに向かってにっこり微笑んだ。
 そんな俺の言葉にか、あるいは表情にか、日下部さんは僅かに目を見張ったのち。

「――ありがとう、ございます……」

 消え入りそうな声で、うつむき、そう答えてくれた。

「日下部さん、顔真っ赤ですよ」
「言わないでくださいよ、恥ずかしいから」
「なんでですか?」

 かわいいのに、とじわじわと耳まで朱色に染まってしまった日下部さんに言ったとき。俺と日下部さんとの間の空気を遮るように、はーっと深く溜め息がつかれた。

 その主は、同じテーブルで食事をとっていた芳春先輩だ。
 溜め息こそついていないものの、同様に食事中だった真生先輩や辻くんもうんざりといったような顔をしている。なぜだ。

「……恭平、お前なぁ。プラスの感情をなんでもかんでも『かわいい』って言うのやめろよ」
「ていうか、公共の場でいちゃつかないの!」
「なんかもう、いいですけどね。慣れてきましたし」

 好き勝手にそれぞれ言いたいことを言ってから、三人はまた食事に戻る。俺と日下部さんの姿を意図的に視界に入れないようにしている気がするのは、俺の思い違いだろうか。

「別にいちゃついてないですよ」

 とりあえず、そこだけはきっぱり否定しておかなくてはと真生先輩の言葉だけは訂正しておく。けれど、芳春先輩に言われたことに対しても、そうじゃないんだけどなあという気持ちでいっぱいだった。

(たしかに「かわいい」は俺の口癖かもしれないけど……)

 その自覚はあったけれど、でも、日下部さんに対しての「かわいい」は、他のそれとはちょっとだけ意味が違っているような気がしてならなかった。
 具体的にどう違うのかと聞かれたら、上手く説明できる自信はないけれど。

(自分のことなのに、な)

 形のないもやもやとしたものが胸の中に溜まるのを感じながら、再び日下部さんに視線を向ける。どうかしましたかと、やさしい微笑みを返してくれる日下部さんは、やっぱりかわいかった。
 それがなにを意味するのかはわからないし、どうして日下部さんと対等でいたいのかもわからない。ただ、俺の中でなにかが変わりつつあるらしいことだけは、痛いくらいにわかっていた。





にじかんめ おわり

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