05






「それにしても、大丈夫なんですかね」
「え?」

 日下部さんが思い出したようにそんなことを言ったのは、生徒会長から逃げるようにして食堂を後にした直後のことだった。
 教室に戻る道すがら、一体なんのことかと聞き返した俺に、日下部さんは続ける。

「ほら、この学園は美形がもてはやされる風潮にあるじゃないですか。先程の生徒会長くんはその良い例でしょう? そんな人と食堂なんていう人目の多い場所で接触してしまいましたが、清水くん、制裁されたりしませんかね」
「あー……そういう……」

 俺には、見た目がいいからというだけで相手をちやほやしたりアイドルと熱狂的なファンのようになったりするその心理はよく解らない。だから正直、親衛隊だのなんだのと言われてもあんまりピンと来ないところがあった。
 けれどきっと、俺と会長がさっきああやって会話したのを見て、良く思わないファンも居るのだろう。日下部さんはそれを心配しているに違いない。

 どうなんですかね、と会長ファンの筆頭とも言えよう、隣を歩く真生さんを振り返ってみる。

「うちの隊には、ちょっと話したくらいでそんなくだらないことする馬鹿はいないから、大丈夫」
「そうですか、それなら……」
「ただし、」

 ほっと胸をなでおろしかけたところで、鋭い口調で真生さんは続けた。

「うちは入隊テストが厳しいから、親衛隊に入れないような生徒も多いの。ミーハーで理性の低い、頭が悪いようなの」
「……それは、えーっと」
「そういうのはあんたにちょっかいかけてくる可能性高いから、気を付けなさいってこと」

 なんですか、それ。全然ほっとできないじゃないか。もたらされた嫌な情報に、頬がひきつるのを感じる。

「気を付け、マス」
「本当に、冗談じゃなくね。あんた、ただでさえぼけーっとしてんだから」

 本当に大丈夫なのかと訝しそうにこちらを見てくる真生さんに、はははと乾いた笑いしか返せない。

(制裁、かぁ……)

 今まで身近で起こったことがないから全然想像つかないけど、どんなんだろう。いじめの一種みたいなものかな。靴隠したり、教科書に落書きされたりとか?

(……や、さすがにそんな低レベルなのはないかな)

 なんにしても、絶対に面倒くさいことになるんだろう。ただでさえここのところ面倒続きなのに、さらに問題が増えるのかぁ。そう思ったらちょっと憂欝だ。少し前までの平穏な日々が恋しい。
 そんな風に、気分が落ち込みかけてきたとき。

「大丈夫ですよ」

 俺と真生さんの会話を一歩後ろで聞いていた日下部さんが、キッパリとそう言い切った。

「制裁だろうがなんだろうが、何があっても、私が清水くんを守りますから」
「……まーた出たよ。天然口説き文句」

 やんなっちゃう、なんて言って真生さんは顔をしかめる。

「まあ、なんにしても僕からも隊員たちに話しとくから。親衛隊のことは安心していいよ」
「ありがとうございます」

 さすが隊長、真生さん頼りになる……! ちょっとだけ気が楽になって、それでも警戒は緩めないでね、と釘を刺してくる真生さんに頷き返す。そんな俺の後ろで、辻くんは囁くようにして日下部さんに問うていた。

「どこまで本気なんですか、ウェイターさん」
「私はいつでも真剣ですよ」
「いや、だからそれが……ああ、もう、いいか」

 いったいなんの話をしているんだろうと疑問に思いながら、俺はついさっき思ったことを少しだけ訂正した。

 平穏な日々は恋しいけど、真生さんと辻くん、それになんだかんだ頼もしい日下部さんが居ない日々に戻るのは、やっぱり寂しいかもしれない。













 ……なーんて。そんなのんきなことを考えていた、翌日の朝。

「うわぁ」

 登校してきて、鞄の中身を机に移し替えようとしたところで、空っぽのはずの机から出てきた「それ」に思わず声を上げる。

「清水くん、どうかしました……か……」

 俺の声を聞きつけてか、手元を覗き込んだ日下部さんの声も徐々に尻すぼみになる。さっきまでふんわり柔らかだった日下部さんの気配が、どんどん鋭く尖ったものに変わっていくのがわかった。
 それもそのはずだ。だって俺の手の中にあるのは、切り裂かれてズタボロになった「ミズヒラヤスシ」の写真集と、宛名のない妙な威圧感を放つ封筒という、あまりにもわかりやす過ぎる二点セットだから。

「清水くん、それ……」
「俺の写真集、ですね」
「ということは」
「やられちゃったみたいです」

 制裁、と呟いてへらりと笑ってみせた俺に、日下部さんの顔が鬼のようになったのは言うまでも無かった。

「『調子に乗るなよ、会長様に近付くな』……だそうです」
「だそうです、じゃないっ!」
「あでッ」

 急遽、こういうことに一番詳しそうな真生先輩を呼び出して、慎重に慎重に封筒から取り出した手紙(ちなみにカミソリつきだった)の内容を読み上げてみた俺。を、容赦なく丸めた雑誌でスッパーンと叩く真生さん。本当に容赦がない。

「なに昨日忠告したばっかの今日で手出されてんのよ!?」
「って言われましても、まさかほんとにこんな古典的な手で来るとは思いませんでしたし……」

 教科書に落書きよりは悪質だったことは否めないけども。

(それにしても、このズタボロの写真集、どうしようか)

 もはや元の形状がわからないくらいに引き裂かれた冊子を手にしてうーんと唸っていると、日下部さんが気遣うように言った。

「清水くん、大丈夫ですか?」
「え? なにがですか」
「その、写真集が……」

 日下部さんの視線は手の中の写真集に向いていた。その視線と、痛ましそうな横顔に、なんとなく言いたいことを察する。
 きっと、俺が自分の作品集をこんな風にされたことに関して、傷ついてないかと心配してくれてるのだろう。日下部さんは、優しいひとだから。
 けれど、

「これ、あれですかね」
「え?」
「わざわざ買ってくれたんですかね、俺の写真集」

 元から持ってたってことはないだろうし、きっと昨日の騒動のあとに急いで購入したんだろう。たぶんこれも理事長の暴挙のせいだとは思うけど、俺の写真集はなぜか学園の購買にも売ってるから。
 俺に嫌がらせするっていう、ただそれだけのためにわざわざ写真集まで買ってくれるとは。ご苦労なことだ。思いながら、日下部さんに向かってにっこり笑ってみせる。

「やりましたね日下部さん、これで印税ゲットですよ!」
「そういう問題じゃ、ないでしょうがッ!」

 ぐっ、とガッツポーズを作って見せた俺に、また怒りの声を上げる真生さん。でも今度は鉄拳は飛んでこなかった。ふしぎなことに。

「あんた、いいの?」
「なにがですか?」
「自分の作品、こんな風にされて。本当にいいの?」

 なんでそんな風にヘラヘラしていられるのか、と。真生さんの目が真剣に俺に問うてくる。いいのか、って聞かれましても、ねぇ。

「まあ、いいかよくないかで聞かれたら、そりゃよくないですよ」

 手の中のこれは、物質的にはただの紙だ。ぺらい紙にインクが乗っているだけの、本当にただそれだけの代物。
 でも、その紙とインクが表してるのは俺がきれいだと思った景色やものやひとで。その紙とインクの集まりの冊子をつくるために、何人もの人が俺と一緒になってがんばってくれたってことも、俺は知っている。

 だから、良いか悪いかで聞かれたら、悪い。悪いに決まってる。俺がきれいだって思うものを踏みにじられて、いろんなひとの努力も切り裂かれて、不快に思わないわけがない。

「……けどね、真生さん」

 これを買ったひとは、俺のつくったものをきれいだって思わなかったから、こんなことができたんだ。だったらそこに意味なんてないし、ただ最初から価値観が違ってただけのこと。それに俺が傷つく必要なんてない。

「だから、いいんですよ」

 そんなこと、どうでも「いい」。

(……それに、俺は)

 俺がきれいだと思うものをきれいだって言ってくれたひとに、見放されてしまうほうがよっぽどこわい。一度すきだと言ってくれた人にきらわれてしまうほうが、もっとずっとこわい。

 ぐしゃり。手の中からかさついた音が聞こえる。視線を落とせば、握り締められて皺の寄った写真集が目に入った。無意識のうちに指先に力が入ってたらしい。
 慌てて力を抜いて、出来てしまった皺を一本ずつ指先でなぞって伸ばしていく。

「……とにかく、理事長に報告しましょう。清水くん」
「え、なんでですか」
「何かあったら言うように、と言われていますので」

 理事長め、いつのまに日下部さんにそんなこと言ったんだ。「ミズヒラヤスシの写真集を切り裂かれて机の中に入れられてた」なんて理事長に報告したら、めんどくさいことになるのは目に見えてる。ギャーギャーと騒ぐあの人を想像して思わずゲッと顔をしかめた、そのとき。

――ピンポンパンポーン

 校内放送を知らせるメロディーがスピーカーから流れて、ザザッというノイズの後に、心当たりしかない声が聞こえてきた。

『ええー、2年F組ミズヒラヤス――』
『理事長、ミズヒラくんではありません。清水くんです』
『――ああ、そうだった。ありがとう秘書くん。ええと、清水恭平くん。今すぐ理事長室に来なさい』
「……めんどくさいですね」
『間違えました、来てください。お願いします』
「更にめんどくさいですね」

 まるで俺の声が聞こえてたかのように訂正を入れた理事長の放送に溜息をつく。そんな俺を見て、近くで様子を窺っていたクラスメイトが呆れたように口を開いた。

「理事長にそんなこと言うの、お前くらいだぞ。清水」

 それは、芳春先輩がどんな人か知らないから言えるんじゃないかな。うん。





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