01
日が明けて翌日、土曜日。
日下部さんとの共同生活初日は、これからふたりの「家」となる部屋の片付けから始まった。
――といっても、俺は満足に片付けなんてできやしない。
だから、実質的には日下部さんがせっせと作業している様子をアレコレと指示を出しながら眺めているだけだったりするんだけど。
「これはどうしますか、清水くん」
まずは寝床の確保をしよう。ということで、二つある寝室のうち物置と化していたほうの部屋の整理をしていた日下部さんが、分厚いファイルを片手に部屋から出てくる。開いてもらうと、その中には今までの仕事の発注書やら契約者やらがギッシリ入っていた。
「あー、それは段ボールにつめちゃってください」
「わかりました」
俺の言葉に頷くと、日下部さんは慣れた手つきで段ボールにファイルを入れた。似たような段ボールは、リビング内に他にもたくさん積まれている。
これらは全部、貸し倉庫に預ける用の荷物である。さすがにふた部屋分あった荷物を一部屋に収めるのは無理があるから、と近くの街のレンタルスペースを利用することにしたのだ。
「清水くん、これはどうしますか」
「あー、それは捨てちゃってください」
「わかりました」
入学前に貰った学園案内のパンフレットは俺の一言によってゴミ袋行き。まあ、そのゴミ袋もすでに片手じゃ足りないくらいの数積まれてたりするんだけど。
ちなみに、日下部さんは本当に仕事を休んできたらしい。一回食堂までその報告に行ってきたあと、いつものウェイター姿じゃなくて私服に着替えて俺の部屋に戻ってきた。
それも右手にはお掃除道具一式、左手には当面必要となる着替えなどなどをつめたバッグを手にして、だ。
シンプルなシャツにカーディガンを羽織っただけの質素な格好なのに、それを身にまとっているのが日下部さんだというだけでなんだか様になってしまっていた。やっぱり素材が良いというのは得だなぁと、内心感心してしまったり。
有給があるからという言葉が本気だったらしいことに驚いたらいいのか。或いは、初めて見る私服姿に見惚れたらいいのか。
玄関に立ち「よろしくお願いしますね」なんて微笑んだ日下部さんに、俺がちょっと混乱してしまったのは言うまでもない。
「清水くん」
「あっ、はい?」
「これはどうしますか?」
「えーと……」
どれどれと覗き込んだ先にあったのは一枚の紙だった。夜空の写真の上に白い字で「夜のはじまり」と書かれている。B4サイズのそれは一年ほど前に開いた個展のパンフレットの色校だ。いわば、印刷時の色チェックのための試し刷りである。
結局、師匠のアドバイスもあってもっと明るい表紙にしようということになり、この夜空の表紙はボツになったわけなのだけど。
「あー、いいです。捨てちゃってください」
どうせとっておいても使い所も何もないだろう。そんな考えから特に迷いもせずにそう答える。すると日下部さんは、「ええっ?!」と大袈裟なくらいに驚きをあらわにした。
えっ、なんですかその反応は。
「捨てちゃうんですか? これ」
「えっ、ああ、はい。まあ」
「でもこれ、なんかの作品なんじゃないんですか?」
「ああ……でもそれ、ボツになったやつなんで」
完成品の本当のパンフレットのほうは別のとこに保管しているし、そっちはデザインのデータも色校も残している。だから別にいいんだと説明すれば、日下部さんはなるほどと興味深そうに頷いて、それでもやっぱり残念そうに瞼を伏せた。
「清水くんからしたらたくさんある作品の一つでしかないのかもしれませんが、やっぱり、こんなにきれいなものを捨ててしまうのはもったいない気がしますね」
ほうと溜息まじりに吐き出された言葉に、俺はハッと目を見開いた。
……そっか。俺からしたら見飽きてしまっているものでも、日下部さんからしたらそういう風に見えるのか。
なんだか、当たり前だけどどこか新鮮な言葉にどきりとした。
本当に、日下部さんは俺を喜ばせるのがうまいなぁと思う。そして、こんな言葉一つで飛び上がってしまいそうなくらい喜んでいる自分は単純だなぁ、とも。
「……よかったら、」
「え?」
「よかったら、もらってくれませんか。日下部さん」
ボツになった、しかも色校なんかで申し訳ないんですけど、と小声で付け足す。
いつもなら色校なんて師匠や編集さんや印刷所の人くらいしか目にしないから、それを人に見せて、ましてやプレゼントするだなんて恥ずかしくてたまらないのだ。
けれど、それでも、日下部さんみたいな人がもらってくれたなら、きっとこの紙だって嬉しいだろう。そんな思いが俺の口を動かしていた。
俺の言葉を受けて、日下部さんは黙りこくっている。なんの反応もないことに一抹の不安が胸を過った、その時。
「……いいん、ですか?私なんかが、清水くんの作品をもらってしまって」
「俺、は」
日下部さんだからあげたい、日下部さんだからもらってほしい。そんな思いは、どんな言葉なら伝えられるのだろうか。考えても、いろんな思いが複雑に絡み合った俺の気持ちをありのままに表現できる言葉なんて、見つけられそうになかった。
――だから、代わりに。
「大事にしてください、ね」
微笑みとともにそんな言葉を口にして、俺はそっと、色校の紙を握る日下部さんの手に自分の右手を重ねた。
手の暖かさからこの想いが伝わればいいなぁ、と。そんなことを思いながら。
・
・
・
「……ふう、とりあえず今日はこんなものですかね」
「ほんと、なんて言うか、お手数おかけして申し訳ないです」
ただでさえサポートしてもらう側なのに、そのための準備まで日下部さんにしてもらっちゃうなんて。なんだか肩身が狭かった。
「ところで清水くん、お腹空いてませんか?」
「あ……言われてみれば」
若干空いているような。
そういえば今何時だっけ、と釣られて壁の時計に目をやる。いつだったか芳春先輩にもらったスタイリッシュなデザインのそれは、驚くことに三時過ぎを示していた。通りでお腹が空くわけだ。
……というか。
「えっ、いつのまに」
いつのまにこんな時間になっていたのだろうか。驚きを隠せない。この時間ではとっくに食堂もランチタイムの営業を終了してしまっている。厨房はディナータイムの営業に向けての準備の真っ最中だろう。
購買はまだ開いているものの、どうしたものか。急激に空腹を訴え始めた腹を思わずさすったとき、日下部さんが声を上げた。
「もしよかったら、私が何か作りましょうか」
「え、日下部さん料理できるんですか?」
ウェイターなのに? と思わず言ってしまう。
「ウェイターですけど、まあ、それ以前に一人の独身男なので」
簡単な料理くらいはできますよ、と苦笑する日下部さん。そうか、日下部さん独身なのか。まあ、こんな辺鄙なところにある学園で寮住まいしてるんだからそうか。日下部さん、まだ若そうだしなあ。
ふむふむと一人勝手に納得していると、がたりと椅子を引く音。トリップさせていた意識を引き戻せば、立ち上がった日下部さんが腕まくりをしながらこちらを見ていた。
「チャーハンとかでも大丈夫ですか?」
「あ、はい。もう、食べられればなんでも」
好き嫌いはないのでと告げれば、わかりましたとうなずいて日下部さんはキッチンへと向かった。
「なんか、本当、何から何まですみません」
椅子に座ったままペコリと頭を下げれば、日下部さんは「いいんですよ」と朗らかに笑った。
「気にしないでください。全部私が好きでしていることなので」
なんていうか、ほんと、あれだ。日下部さん、いくらなんでもイケメンすぎます。
とりあえず感想を述べておくと、日下部さんお手製のチャーハンは大変美味でした。
- 11 -
[*前] | [次#]