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 やがて長い廊下も終わり、フロアの一番端に行きつく。

 西に面した角部屋。これまた、理事長が「ミズヒラくんの夕焼けの写真が好きなんだよねぇ、私」なんていう自分勝手にもほどがある考えで決めた、めいっぱい西日の差しこむその部屋が俺の部屋である。
 ちなみに、確かに毎日夕日は見放題だけど、同じ構図ばっかじゃつまらないから正直あまりシャッターを切ることはない、っていうのが現実だったり。

 カードキーを取り出しドアノブのすぐ脇にある差込口に入れる。ピピッと小さな電子音がしたかと思うと差込口のランプが緑色に灯った。開錠の合図だ。

「ドア、開けます」

 俺がカードキーを引き抜くなり、日下部さんはサッとドアノブと掴みドアを開けてくれた。閉まらないように片手で押さえながら「どうぞ」と室内を手で示してくれる日下部さんは、なんていうか、もういっそこんな学園のウェイターなんか辞めて高級ホテルとかで働いた方が良いと思う。

「ありがとうございます」
「いえいえ」

 二人してペコペコと頭を下げ合いながら俺はドアを潜り抜けた。
 靴を脱いで、玄関から廊下にあがったところでふと背後を振り返る。日下部さんは、まだ共同廊下に立ったままだった。
 変わらずドアを押さえたまま、どこか申し訳なさそうな何とも言えない顔をしている日下部さん。きっと、微妙に入りづらいのだろう。まだ知り合ったばかりの俺の部屋なんて。
 なんとなくその気持ちを察して、まるで小さな子供の手を引くような気持ちで俺は室内を手で指し示した。ちょうどさっき、日下部さんがそうしてくれたように。

「どうぞ、日下部さん」
「……ありがとうございます」
「いえいえ」

 わざと日下部さんの口調を真似して言ってみれば、日下部さんはおかしそうに笑った。それに俺も、つい釣られて噴き出してしまう。
 二人して顔を見合わせてしばらく笑いあってから、日下部さんはようやくドアを挟んだこちら側へと足を踏み入れた。お邪魔します、と口にした彼のその背後で、パタリと静かにドアが閉まる。



――日下部さんがこうして一緒にいるのは、例にもれず理事長の一言が原因だったりする。



 あのあと、日下部さんが申し出た「俺のサポート」をたった一言で認めてしまった理事長は、こんなことをのたまったのだ。

「どうせなら、しばらく一緒に暮らしちゃえば? 日下部くん、社員寮住まいでしょ。ミズヒラくん一人部屋だし、ちょうどいいんじゃないかな」

 いやそんな無茶苦茶な、と俺はもちろん断ろうとしたんだけど、予想外にも日下部さんが了承してしまったのである。曰く

「一人になって他に頼る人がいなくなる寮でこそサポートというのは必要になるものですから」

 とのこと。

 正直、別に怪我したのだって日下部さんのせいじゃないのにそこまでするなんて、いくらなんでも気にしすぎじゃないだろうかとは思わないでもない。
 それでも、俺が一人部屋なのも寮で一人じゃ何かと不便なのも事実なので、俺はありがたく日下部さんに部屋へと来てもらうことにしたのだった。

 電気がついていないせいで暗い廊下を抜ければリビングに辿り着く。手探りに照明をつければ、室内がパッと淡いオレンジの光に照らされた。
 そして薄闇の中に浮かび上がった見慣れた自室に、俺は「失敗した」と思わずうめき声を漏らす。

 そうだった、忘れてた。
 俺は決して片付け上手なほうではなかったのだった。

「汚い部屋ですみません……」

 三日前、食堂に出かける前からそのままになっていた俺の部屋は、汚いの一言に尽きた。

 壁際に鎮座する大きなデスクのパソコン周りには仕事関連の書類や作品のアイディアを書きなぐったメモが散らばり、最後にいつ使ったのかも解らないような筆記用具が散乱している。
 ダイニングテーブルにも飲みかけのコーヒーが入ったカップやら、これまた書類やら普通授業用の教科書やらなんやらが盛りだくさん。更に床には、脱ぎっぱなし出しっぱなしの服や資料、本にCD。果ては使用済みフィルムで一杯になったプラスチックケースやら機材の段ボールやらが山積みになっている。

――そして、その乱雑さは壁にまで及んでいた。

 隣から、遅れてやってきた日下部さんがはっとしたように息を呑む音が聞こえる。この部屋のあまりの汚さに、ではないと嬉しい。

「……すごい、写真が。こんなにたくさん……」

 沈黙を経ての日下部さんの第一声は、それであった。どうやら、俺の願いは通じたらしい。日下部さんの視線はただ一点、部屋の壁に釘付けになっている。

 しみ一つないくらい真っ白な部屋の壁には、一面にいくつもの写真が張り付けられていた。どれもこれも、俺が撮ったものである。
 ただ撮っただけのもの、色調やコントラストなどの加工をしたもの、コラージュ画像にしたもの。種類は様々だけれど、そのすべてに「俺のお気に入りの作品」であることが共通している。

 均一にL版の写真用紙に印刷されて、べたべたと無造作に張られた写真たち。日下部さんは、その一つ一つに食い入るようにして順番に視線を向けて行った。
 ふわふらと部屋の中央まで進んだかと思うと、その場でゆっくりと一回転する。360度、余すところなくすべての写真を視界に映さんとしているようだった。

 やがて、長い時間をかけてすべてをその目に収め終えたのか、日下部さんは満足そうにほうと息を漏らす。

「月並みすぎる言葉ですが……きれい、ですね」

 少しためらいがちに口にされたのは称賛の言葉。
 確かに、日下部さんの言う通りそれはありふれた言葉ではあった。けれど、感情の込められた声はすっと俺の心の中に沁みこむように入ってくる。自然と、口元が緩んだ。

「その言葉が、一番嬉しいんです、俺」

 自分の心が揺れ動くもの、きれいだと思ったものを、狭いファインダーの中に切り取る。それが、俺が師匠から受け継いだ「写真」のスタイルだ。
 だから「きれい」だと言ってもらえるのが一番嬉しいのだと繰り返せば、そこでようやく壁の写真から視線を外して、日下部さんは俺に向かってにっこり微笑んだ。

「きれいです、本当に」
「……ありがとう、ございます」

 さっき言われたのと同じ言葉のはずなのに、真正面から目を見つめて言われると、なんだかどうしようもなく気恥ずかしくなる。照れを誤魔化すように俺は右手で頬を掻いて口を開いた。

「あー、とりあえず、あれですね」
「はい?」
「3ヶ月間、どうぞよろしくお願いいたします」

 冗談交じりに、わざとらしいにもほどがある形式ばった言い方をする。ついでににやっと口角をあげてみせれば、日下部さんは一瞬きょとんとしたのちにまたふわりと破顔して、

「はい、こちらこそ」

 よろしくお願いしますと、同じ言葉を返してくれたのだった。





いちじかんめ おわり

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