08






「それでね、ミズヒラくん。今日君を呼び出したのは他でもない、君のお仕事についての話なんだけれど」

 その後。理事長がどんよりとしたムードから復活してきたのは、結局それから30分ほど経った頃のことだった。
 何食わぬ顔でティーカップ片手に話し出す姿はできる男そのもの――だけれど。約30分もの間、一人ブツブツ呟く理事長の姿を見ていた俺たちからすれば失笑ものである。
 それでも、仕事の話だからと日下部さんが差し出してくれていたクッキーを断ってしゃきんと背を伸ばせば「あのね、」と理事長は切り出した。

「君の手、どれくらいで治るって?」
「全治3ヶ月だそうですけど」
「3ヶ月……3ヶ月、かぁ」

 俺の応答にどこか遠い目をする理事長。

「カメラは持てそう?」
「いや、無理だと思います」
「だよねぇ〜。じゃあ逆に、何なら出来そう?」
「えーと……」

 それはたぶん、仕事に関して、だよな。理事長の顔色から判断して俺は思案する。

「メール処理とかの事務関連と、出来て画像編集ですかね」
「却下。」
「えっ?」

 却下? 却下って、一体なにが却下?
 絞りだした末の答えをあっさりと芳春先輩に切り捨てられ、俺はうっかりティーカップを取り落としそうになる。

「恭平お前、手が治るまで一切仕事禁止な」
「え……」

 ええええええ。

「いや、ちょっとそれは」
「なんだよ」
「今割と仕事溜まってるし」
「どれも急ぎの案件じゃねぇだろ」
「そりゃそうだけど、どれも3ヶ月も待ってもらえるようなもんじゃないって」
「そこはなんとかするだろ」

 このオッサンが、と付け足して、芳春先輩は親指で理事長を示した。だから、理事長をオッサン呼ばわりは……いや、もういいか。そんなことは。

「もし待ってもらえたとしても、どっちにしても3ヶ月も休むわけにはいかないって。個展の準備もあるし……」
「それこそなんとかなるだろ」
「いや、だからさぁ」
「っつーか!」

 煮え切らない俺に我慢の限界が来たのか。声を荒げた芳春先輩は、ばんっ、と勢い良くテーブルを叩いた。

「お前に仕事依頼してくるやつも、お前の個展楽しみにしてるやつも。みんな『お前の作品』だからそうなわけであって、お前が怪我したっつったら、ンなことよりも真っ先にお前の心配するようなやつらばっかだろ……どこぞの変態みたいに」
「おや、それは私のことかな? 菅原くん」
「ハッ、よく解ってんじゃねぇか」
「私がミズヒラくんに関しては変態的だということは、自他共に認める事実だからね」

 えっへんと胸を反らせて理事長は言うけれど、それ、多分自慢するとこじゃない。芳春先輩に完全にバカにされてますよ、とは伝えるべきか否か。

「まぁ、仕事に関しては私も菅原くんと同意見だよ。今もそれを伝えようと思ってこうして呼んだわけだったりするしね」
「理事長まで……」

 まじですかぁ、と苦笑を禁じ得ない。

「えっ、ていうかほんとに? ほんとのほんとにですか?」

 突然の「仕事禁止令」を受け入れられずに聞き返せば、理事長と芳春先輩は当たり前だろと言わんばかりの顔でうなずきを寄越してくる。いや、ちょっと二人とも過保護すぎやしませんか。左手を怪我したくらいで。
 カメラを支えるのは確かに左手だけど、シャッターボタンを押すのは右手だし、画像編集は殆どマウス操作な上メール処理だって右手だけでキーボードを打てば何ら問題ない。多少撮れる写真の幅と活動範囲が狭まるだけで、活動縮小という形でなら今までとほぼ変わらないと、俺は思う。
 けれど、この二人にはそんな俺の思いは伝わらないらしい。

「それじゃ、公式ホームページにしばらく活動休止って書いとくから。あと、各方面にもそれぞれ連絡しとくから」
「いや、だから……」
「個展も延期ね」
「……ええー、それは、ちょっと」
「延期、ね」

 ね、と念押しするように繰り返されてしまえば、俺はもう

「――ハイ」

 と、渋々ながらも頷くしかできないのであった。
 ほんと、いつもは「ミズヒラくんの言う事なら何でも聞くよ!」みたいな顔をしておきながら、肝心な時にはいつも俺の言葉なんて全く聞き入れてくれないんだから、この人はずるい。ずるすぎる。

「はあ……俺、、個展超楽しみにしてたのに……」
「まあ、ミズヒラくんの気持ちは解らないでもないけどね。でも今は、大人しく言うことを聞いておきなさいな」

 一足遅い夏休みだとでも思ってね、だなんて理事長は言う。もうすっかり秋めいてきた今日この頃に「夏休み」だなんて、いくらなんでも遅すぎる。それに、長期休暇にしても3ヶ月はどう考えたって長すぎだ。
 ……なんて。ぐちぐちと内心で文句を言ってはいるけれど、その一方で俺は諦めの念を抱いていた。

 だって俺はこの学園の特待生で、理事長は学園のトップである。腕を買ってもらって諸々の免除と共に学園に居させてもらっている限り、ある種の雇用関係が俺と理事長との間にはあるのだ。
 だから、雇用主である理事長の決定をくつがえすことなんて、そもそもどだい無理なのである。

「私は全力で君をサポートする。だからミズヒラくんは、安心して治療に専念してよ」
「理事長……」

 なんだか、すごい良いことを言ってるっぽい。というか実際、「っぽい」だけじゃなくて良いことを言っているんだろう――けれど。

「おいオッサン、ドヤ顔してんじゃねえよ」

 「決まった……!」とでも言いたげな満足げな笑顔は、鬱陶しいことこの上なかった。芳春先輩ナイスです。
 ガーン、とあらかさまにショックを受けた理事長をよそに、思わずサムズアップしそうになった、その時。

「あ、あの!」

 突然、それまで黙って話を聞いていた日下部さんが声を上げた。俺と芳春先輩、理事長で計三人分の視線が日下部さんに集まって、日下部さんはちょっと緊張したような顔になる。
 ちなみに、有能な秘書さんは空になった理事長のカップへと紅茶のおかわりを注いでいた。本当、有能すぎる。

「その、清水くんのサポートなんですが、私にも手伝わせていただけないでしょうか」

 日下部さんは、俺にではなく理事長に向かって強い口調でそう言った。

「怪我の原因は私にもありますし……利き手が使えないと、お仕事以外の面でも不便でしょうし。良ければ、一日つきっきりでのサポートをしたいのですが」
「でも、日下部さん、食堂の仕事は」
「休みます」

 ……いやいやいや。なに言っちゃってるんですか、日下部さん。
 キッパリと言い切ってみせた日下部さんは、動揺する俺をよそにまた視線を理事長に戻し、口を開く。

「いいですよね? 理事長」

 同意を求めるような形を取りながらも、日下部さんの背後には「駄目だとは言わせない」という圧力のようなものが確かに見て取れた。ほとんど理事長に喧嘩を売っているようなものである。
 日下部さんにとっては間違いなく雇用主である理事長に対して、そんな態度を取っていいのだろうか。ハラハラしながら理事長を振り返れば、その当の本人はわざとらしいほど優雅に紅茶を啜っていた。
 そして、沈黙を三秒。一体どうするのかと見守る俺と芳春先輩の前で、理事長は――

「うん、いいよ!」

 先程までのしかめっつらが嘘のように、パッと笑顔を浮かべると軽い口調でそう言った。



 ええー……なんですか、それ。
 そんなんでいいんですか、理事長サマ。





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