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 確かあれは、今からちょうど二年くらい前。
 大学に入学して二ヶ月ほどが経った日のことだったろうか。梅雨らしく土砂降りの雨が降っていた日曜の昼間に、俺は突然吉澤から電話をもらったのだ。

「吉澤? どうした、急に」
「……フラれた」
「は?」
「彼女に、フラれた」

 吉澤の当時の彼女の話は以前から聞いていた。高校一年のときに同じクラスになった子で、ずっといいなと思っていたら向こうから告白されて付き合うようになったのだと。
 吉澤にとって生まれて初めての恋人だったらしい。すごくすごく好きで、大学は違っちゃったけど大事にするんだ、と本当に幸せそうな顔で言っていたのを覚えている。

 その彼女にフラれたという報告に「まさか」という感想が真っ先に浮かんだ。よく吉澤から聞かされていたのろけ話の中でのふたりは、仲の良いカップルそのものだったから、簡単には信じられなかったのである。
 次に浮かんだのは大丈夫だろうかという吉澤の身を案じる思いだった。いつも無駄にハキハキと明るい吉澤の声がかすかに震えて、時折鼻をすするような音が混ざっていたから。当時はまだ、そのあと同じような出来事が何度も何度も繰り返されるなんて微塵も思っていなかった俺は、純粋に吉澤のことを心配したのだ。

「今、お前どこにいんの」
「どこだろ」

 そんなとぼけた返事のあとに、ギィと椅子を引くような音が電話の向こうからは聞こえてきた。よく耳をすませてみれば、他にも人の声やかすかな物音がバックミュージックのごとく聞こえてくる。二十円のお返しです、なんていう声が混じっているあたり、どこか店の中にいるらしい。

「……ああ、そうだ。スタバだった」

 いかにも「たったいま思い出しました」といった声で吉澤は言う。スタバでよくズルズルと鼻をすすって、恐らくは涙なんかも流したりしながらフラれたことを話せたなと変なところに感心しながらも、俺は財布と家の鍵を引っ掴みスニーカーに足を突っ込んだ。

「どこの?」
「へ?」
「どこのスタバだっつってんだよ」

 今から行くから、早く教えろ。急かす俺の声に、吉澤は小さな声でとある駅の名前を上げた。それは、吉澤が前に地元だと言っていた駅だった。
 それから俺は六畳間を飛び出して、走って、走って。気が付いたら、スタバの店内で一人ぼうっと虚空を眺めていた吉澤の前に立っていた。

「……場所、変えんぞ」

 こんなところじゃロクに話も出来ないだろうと思っての提案に、吉澤はゆっくりと頷く。

 テイクアウトでコーヒーを二つ買ったあと、俺は足取りの怪しい吉澤を引っ張ってスタバを後にした。座ってゆっくり話すことができて、かつ、人があまりいないところ。そんなところはどこかにないだろうか。キョロキョロ辺りを見渡し考える俺の服を、くいっと吉澤が引っ張った。

「酒井、あっち」
「は? どっちだよ」

 指示語じゃなくてちゃんと固有名詞で言えよと思いつつ振り返れば、吉澤は俯いたまま気だるげに右手を持ち上げた。力のない人差し指がさし示した先を目で辿っていく。そして行き当たったのは、古ぼけた看板に書かれた「丘の上公園」という文字だった。

(公園、か……)

 雨脚は弱まってきたとはいえ、まだ雨は降り続いている。そんな天気のなか、わざわざ雨よけもなにもなさそうな公園に行こうとする酔狂な人物はそう居ないだろう。
 公園の方向を表しているのだろう矢印を確かめて、そちらに足を向ける。丘の上公園なんていう率直にもほどがある名称そのままに、矢印の方向には小高い丘があった。
 小さな山のようなその中腹、ガードレールに囲われた長い坂道の先に展望台のような場所があるのもわかる。きっとそこが「丘の上公園」なのだろう。

 話を聞いている間雨に濡れてしまうかもしれない。そんな懸念が脳裏をよぎったものの、迷ったのはほんの一瞬だった。それよりもなによりも、吉澤を落ち着かせて話を聞くということがその時の俺の最優先事項だったからだ。

「吉澤、行くぞ」

 ぐいと手首を引っ張り言った俺に、吉澤は無言のまま素直に付いてきた。
 二人でビニール傘を差しながら、反対側の手はずっと繋いだまま丘に向かって歩く俺たちは、きっと奇妙な二人組だったことだろう。繋ぐというよりは掴んでいるという方が適切ではあったけれど、いい年した男二人がベタベタ引っ付いているというのには変わりない。

「……あのさ、酒井。話、聞いてくれるか?」

 歩いているうちに落ち着いてきたのだろうか。長い坂道を上りきって、雨に濡れたベンチに腰を下ろして。もうすっかり冷めきってしまったコーヒーを飲み始めたところで、吉澤は口を開いた。

「高校んときに、初めて出来た彼女だっていう話、酒井にしたっけ?」
「ああ。前に聞いた」

 鬱陶しくなるほど長いのろけ話と一緒に、とつい余計なことまで言いそうになって、慌てて口をつぐむ。いつもならなんてことない冗談のひとつにすぎないけれど、今の吉澤にはそれすら大きなダメージを与えるだろうことは目に見えていた。

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