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「付き合い始めた頃とかもさ、付き合うとかよくわかんなくて、俺、あいつのこと結構傷つけちゃったりしたんだけど」
「……ああ」
「そん時は距離が近かったし、毎日教室で会えたから、すぐ話し合って誤解解いたりとかして、なんとかやってきてたんだよ」
「ああ」
「でも、さ」

 大学が離れて、毎日会えないことや話したいことがあってもすぐには話せなかったりすることに彼女のほうが疲れてしまって。そんなところに、同じ大学の最近知り合った音に優しくされて、そっちに気持ちが傾いてしまった、と。

 ぼそりぼそりと言葉を連ねて吉澤が話したのは、大体そんなようなことだった。吉澤たちの場合は遠距離というほどでもないけれど、遠距離恋愛にはありがちな話だろう。実際、同じ大学の上京組のなかにも何人かそんなようなことになってしまったやつがいた。
 その話を聞いたときは、吉澤本人も「まじかー、ドンマイ!」なんて軽く言っていたけれど、やっぱり自分自身のこととなると違うのだろう。それに吉澤の場合、生まれて初めての彼女だったというところも影響しているのかもしれない。どんよりとしたオーラを吉澤は背負っていた。

 一通り話し終わったところで、まずいコーヒーをすすりながら時折相槌を打つほかは黙って話を聞いていた俺に何を思ったのか、吉澤はふとこんなことを言った。

「酒井はさ、失恋とかしたことあんの」
「そりゃ、あるけど」
「えっ、マジで!?」

 それまでの悲壮感はどこへやら。突然大声を上げて、信じられない、といった顔で吉澤は俺を見た。なんだ、その反応。あまりに大げさすぎる仕草に思わず笑ってしまう。

「マジだよ、マジ。てか、そんな驚くことか?」
「や……酒井ってモテそうだから、どっちかっていうと女の子に失恋させる側だと思ってたわ」
「ひっでぇー、なんだそれ」

 顔をしかめて空になった紙カップをぐしゃりと握りつぶせば、ごめんごめん、なんていう悪気のない声が帰ってくる。

「酒井も、やっぱ悲しかった?」
「失恋したとき?」
「そう」
「そりゃな、悲しくて悲しくて仕方なかったわ」

 好きな子に振り向いてもらえなくて悲しい思いをしたこともあるし、自分では一生懸命尽くしてたと思っていた相手にあっけなくフラれてしまい悔しい思いをしたこともあった。
 俺がモテそうかどうかはともかく、みんなそんなもんなんじゃないだろうか。

「……ま、でも、そのうち時間が解決してくれんじゃねえの?」

 少なくとも、俺の場合はそうだった。時間が経つにつれて徐々に失恋の痛みが薄れて行って、気が付いたら次の恋に足を進められていた。だから吉澤だって、今は消えてしまいたいくらい悲しくても、きっとそのうち大丈夫になる。その彼女とのことだって、いつか良い思い出として振り返れるようになれる。
 特に深く考えもせずに思ったことをそのまま口にすれば、吉澤は「そっか」と呟いてコーヒーをずずっと啜った。そのうち中身が空になったのか、同じようにカップをつぶす。

「ありがとな。酒井に話聞いてもらって、なんかスッキリしたわ」

 ぴょんと飛び出すようにベンチから立ち上がって吉澤は大きく伸びをした。それから俺を振り返って、ようやくいつもと変わらない笑顔を浮かべる。

「さんきゅー、酒井」

 その言葉になんて返したのかは、よく覚えていない。けれどたぶん「おう」とか「ああ」とかそういった感じの、当たり障りのない返事をしたんだと思う。ただ、ふんわりとした、優しくもどこか切ない吉澤の笑顔だけが鮮明に思い出される。
 曖昧に微笑み返したのちに、俺もつられるようにベンチから立ち上がった。そして、そこで初めて傘を打つうるさい雨音がしなくなっていることに気が付く。

「雨、上がってたんだな」
「全然気付かなかったな。いつのまに止んだんだろ」

 気が付かなかったのは吉澤も同じだったらしい。吉澤は、無駄に差し続けていたビニール傘を、数回振って水滴を落としてから畳んだ。
 少しだけ濡れてしまった指先をジーンズで拭うその横顔にさあっと光が差す。何の気なしに光のほうへと顔を向ければちょうど雲が晴れていくところだった。徐々に開いていく雲間から、もう沈みかけの太陽の光が街中に降り注いでいく。

「なぁ酒井、見ろよ」
「もう見てる」
「はは、そうか」
「すげぇ夕焼けだな」
「……だな」

 どこか間の抜けた会話をしながら、俺たちはただ立ち尽くしてその光景に見入っていた。
 雲が晴れていくのにつれて、街が徐々に夕焼けに染まってく。ほんの少し前まで灰色の雲に覆われ色を失っていた街が、西の方角からどんどん赤一色に塗り替えられていく。それらすべての様子が、丘の上からは一望できた。

 こんなに綺麗な景色を俺たちだけで独占しているのかと考えたら、それはとても贅沢なことに思えた。

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