朝霞さまリクエスト;柏餅×ヤギ02
そうしてやってきた理一の部屋。さすが生徒会長のための特別仕様な部屋というだけあって、学生寮とは思えないほどに室内は広く豪華だった。
生徒会室と同じくふかふかした絨毯の敷かれた床を歩きながら、そういえば理一の部屋に入るのは初めてだなと、今更のように思う。
「つうか、ハル。お前なんか汚れてんな」
「クゥン?」
「泥だらけになってんぞ。足の裏とか腹のあたりとか」
ああ、そういえばちょっとぬかるんだ道を通ってきたからかもしれない。変な雑木林の中突っ切ってきたりもしたし。ぶるぶると全身を震わせれば、どこからともなくバサバサと枯葉が落ちてきた。
「うわっ、なんだこれ。毛に引っ掛かってたのか……?」
ちょっと予想外だったらしいその光景に、理一は絶句していた。まあ、それも仕方ないだろう。別に潔癖症というわけでもない俺だって、これはちょっと引いてしまう。ハッキリ言って、汚ねぇ。
「おい、ハル」
だから、
「風呂、入んぞ」
理一のその言葉はもっともで。
「わおんっ!」
俺が即答したのも自然なことで。でも、
(……どうしてこうなった……?)
一緒に湯船につかっているこの状況は、ちょっと、いやかなり、予想外だった。
「ああー……生き返る……」
俺を脚の間に挟み込むようにして湯船につかっている理一は、濡れた前髪を掻き上げながらおっさんくさい声をあげた。それ、親衛隊のファンの子とかが見たらどう思うんだろう、って気になったり。
けど、それよりも俺は、いくら犬の姿だとはいえ理一と一緒に風呂に入っているこの状況が想定外すぎて、それどころじゃなかった。
理一いわく、
「犬の姿じゃまともに風呂なんて入れねぇだろ」
とのことで、まあそれは確かにそうなんだけど。だからってなにも一緒に入んなくても良くねえかと思わず首をひねって背後の理一をじとりと睨みつけたら、何見てんだよとばかりに睨み返された。
くそう。言葉が使えないのって、本当に不自由だ。
「あー……にしても、誰かと風呂入んのなんてひっさしぶりだな……」
え、そうなの? ふつう修学旅行とかで大浴場とか行かねえ?
そんなことを考えるも、すぐにこの学園が「異常なほどに金持ちばっかのトンデモ学園」だったことを思い出す。きっと修学旅行先もトンデモナイのだろう。大浴場なんて縁がないような、高級ホテルとか泊まったりするのかもしれない。よくわかんねぇけど。
……とかなんとか、俺は俺なりに理一の言葉を解釈してみた。けれど、それは大間違いだったらしい。
「子供のとき以来だから……十五年? そこまではいかねえか? まあでも、十年ちょっとぶりか?」
(……んん?)
十年ちょっと? そんなにか?
学校行事で風呂に入ることがなくても、家族と一緒に風呂入ったりしねえもんなのか? 少なくとも俺は、小学校低学年くらいまでは親と風呂入ってたし、それ以降も一緒に銭湯行ったり旅行先で一緒に大浴場入ったりしてたけどなぁ。
うちがおかしいのだろうか。不思議に思ってクゥンと鳴き声を上げれば、理一は俺の疑問を察したのか、へにょりと眉を八の字に垂らして、言った。
「ハルんとこもそうだけどな、うち、結構な大企業だろう」
それは、まあ、そうだな。この学園で生徒会長の座を任されるくらいだし。すごい企業なんだろう。よくわかんねぇけど。
「それでな、親はやっぱり優秀な息子に会社継いでもらいてぇみたいでさ。自分で言うのもアレだが、英才教育っていうのか? そういう感じだったんだよ。ウチは」
そろそろ出るか、と言って理一は湯船から上がった。ざばりと立ち上がった勢いで浴槽からお湯があふれ出す。
浴室を後にする理一の背中はどこか寂しそうで、なんだか放っておけなくて、俺はあわてて後を追った。
「キャウンッ!」
結果、濡れたタイルに滑って転んだ。
濡れた俺の体を丁寧にドライヤーで乾かして、ブラッシングまでしてくれたあと。理一のベッドにもぐりこんだ俺に対して、理一は風呂場での話の続きをしてくれた。
他人に弱みを見せてはいけない、他人に甘えてはいけない。自分ひとりでなんでもできる、強い人間にならなくてはいけない。
そんな人間であれと言い聞かせられ続けてきたのだと、理一は言う。
「まあ、そのおかげで今、学園内で権力をもてて、自立した生活ができてんのかと思えば、親には感謝してるけどな」
それでも、と続ける理一の声に、いつもの自信に満ちた響きはない。
「……それでも、もうちょっと甘えさせてくれても良かったんじゃねえかな、とはたまに思うな」
「……」
「今はともかく、昔は普通の、ただの一人の子供だったわけだし。後継ぎだからとかそういうの抜きにして、ただの親と子として一緒に風呂入ったり、一緒に寝てくれたり、そういうのしてくれたら、良かったのにな、ってさ」
女々しいけどな、と理一は弱弱しく微笑んで見せる。なにもこんなときまで無理して笑わなくても良いのに。そう伝えたかったけれど、相変わらず、口を開いても「ワン」という吠え声しか出てきそうにない。
それがなんだかひどくもどかしくて、俺は代わりに目の前にある理一の頬をペロリと一舐めした。
「ははっ、くすぐってえよ」
身をよじり唾液に濡れた頬を撫でる理一の目に、キラリと光る雫が見えた――気がした。
(……泣くなよ、そんな顔して)
今は俺が一緒にいるだろう、と。そんな思いで理一の体にぴったりと寄り添う。ぐりぐりと胸元に顔を押し付けると、ちょうど理一の腕の中に収まるような形になった。なんだか、抱き枕にされているような体勢である。
くっつきたいという俺の気持ちが伝わったのか、理一は意外にも素直に俺の体へ腕をまわしてくれた。これで本当に抱き枕である。
「慰めてくれてるのか、お前」
ふふっと笑う理一の声に、ふと、犬の体温は人間よりも高いらしいと以前どこかで聞いたことを思い出した。それが本当ならば、理一にとって今の俺の体温は温かいものなのだろうか。
(あったかいかー? 理一)
もぞもぞと身じろぎして、より一層理一と密着する。
理一より少し高い俺の体温が理一に移ればいい。そうして、理一の心をちょっとでも温められたらいい。そんなことを考えながらくっついているうちに、徐々にうつらうつらと瞼が重くなってきた。
昼寝をしたとはいえ、犬になってからなんだかんだで結構あちこち動き回ったし、慣れない姿に疲れていたのかもしれない。
「……ありがとう、ハル」
あったかいな、お前、という理一の声を最後に俺は意識を手放した。
なんだかよくわからないけれど、すごく幸せな気持ちだった。
「……あれ」
あまりの眩しさに目を覚ますと、見慣れない部屋にいた。いつもより広い部屋に、いつもより広いベッド。真正面に位置する、惜しげもなく朝日が差し込んでくる窓もいつもより大きい。
それに、なにより。もっと大きな「違い」が一つ。
「ん、う……はる……」
俺のすぐ横には、いまだ夢の中らしい理一の姿があった。そこでようやく、昨夜理一の部屋で一緒に眠りに就いたことを思い出す。理一の腕は、まだ俺の体に絡みついたままだった。
「――あれ、ていうか」
ハッとして自分の体を見下ろす。が、そこに映ったのは黒い毛に覆われた肉球ぷにぷにの前足ではなく、いつもどおりの指五本生えた人間の手だった。戻ったのか、とほっと胸をなでおろす一方で。
「夢、だったのか……?」
でも、だとしたらいつの間に理一の部屋に来たのだろう。わからない。けれど、
「……まあ、いっか」
隣ですやすやと眠る理一の寝顔が幸せそうだったから、それでいいかと思えた。
一体どんな夢を見ているのか。理一の頬はだらしなく緩んでいる。それをそっと一撫でしてから、俺は再び瞼を閉じた。
(これだけ気持ちの良い朝は、二度寝するに限る)
そんなことを、考えながら。
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