ももさまリクエスト;柏餅×めえ02


 ハルの家に着いたのは、日が西に傾き始めた頃のことだった。住宅街に佇む普通の、けれど少し大きめの一軒家。八木と表札の掛かったそこからは、ごく普通の幸せそうな家庭が想像できた。なんともハルらしい、と言えよう。

「……さて」

 正面突破と行くか、と意を決してインターホンに指を置く。ぐっと押しこめば、ピンポーン、と。やはりこちらも平和そうな音が響き渡った。
 短い沈黙ののちに、家の中から「はーい」と受け答えをする声が聞こえてくる。続いて、ガチャガチャと音を立てて玄関の扉が開いた。なんのためのインターホンだ、と思わず突っ込みそうになる。

「はーい、どちらさまー……って」
「あ、」
「柏木くんじゃん!」
「……どうも、八木さん」

 扉の向こうから姿を現したのは、使用人でも執事でもなく、ハルの父でありこの家の主人である、八木清明その人であった。平日の昼間だというのに、スーツ姿の清明さんはごく普通に家から出てくる。

「なになに、どうしたの? うちのヒキコモリンと遊ぶ約束でもしてた?」
「いえ……そういうわけではないんですが」

 ていうか、ヒキコモリンって。なんだそれ。

 想定外の事態に困惑している俺をよそに、清明さんはガチャリと門を開けてくれた。仕事関連と、それ以外にもハル関連で何度か顔を合わせたことのある彼は、実にフレンドリーににこやかな笑顔を浮かべている。これがあのやり手企業、ゴートエンターテイメント株式会社の代表取締役だとは。
 人は見かけによらないななどという感想を抱いたとき、俺はふと、とある違和感に気付いた。

(……待てよ)

 お見合いって普通、両親も出席するもんじゃねえのか? なのに、ここにこの人がいるということは。

(どういう、ことだ?)

 首を傾げたその時、ガチャリと音を立てて再度扉が開いた。

「あれ、理一?」

 唐突に聞こえてきたのは、聞き覚えのある声で。ハッとして顔をあげれば、ドアの向こうから顔を覗かせているハルの姿が目に入った。

「お前大学は? どうしたの?」
「大学、は、もう終わった、が……」
「あ、そうなの?」

 ごく普通の顔でごく普通の受け答えをしながら、ハルは俺と清明さんの元までぺたぺたとやって来る。珍しくびしっとしたスーツに身を包んだハルは、スリッパのままだった。

「ていうかお前、俺んち知ってたっけ?」

 単純な疑問を口にするハルに、俺はもう何が何だかわからなくて、ただ、握りしめすぎて皺くちゃになった年賀状を押し付けた。ハルはそれを受け取って、これ見てきたのか、だなんて言っている。
 それが、なんだかやけに、俺を苛立たせた。

「にしてもお前、なんでここに……」
「――なんで、は」
「……え?」
「なんでなのかは、お前が一番知っているんじゃないのか。ハル」

 携帯電話を取り出して、「これ」と開きっぱなしだったツイッター画面をハルに突きつける。ハルは、苛立った俺の口調に一瞬びくりと震えたのち、困惑を浮かべた目を液晶画面に向けた。

「これ、俺の」
「そうだ、お前のホーム画面だ。それで、このツイート」

 トップに来ている例の「お見合い」ツイートを指差して、続ける。

「どういうことだ、これは」
「え? ……ああ、これ、あれだ」

 宮木さんの、とぼそりと呟かれた声に、ぐさりと胸をえぐられた。
 宮木さん、というのは確か、清明さんの秘書である男の名前だったはずだ。黒髪でいつもサングラスをかけている、ハルにやけに執着している、あの男。まさか、あの男とお見合いをしたとでも言うのか?
 どういうことだと更に問い詰めようとしたとき。それより先にハルが口を開いた。

「宮木さんの、お見舞い」
「――は?」
「だーかーらっ、お見舞いだって! 宮木さん、どっかの誰かのせいで働きすぎて、高熱出してぶっ倒れたんだよ」

 どっかの誰か、の部分でハルは清明さんをじとりと睨みつけた。それに「てへっ」なんて言って困ったように笑ってみせた清明さんの姿は、見なかったことにしておこう。

「……だが、ここには『お見合い』と」
「打ち間違えたんだよ、焦ってて」
「どうやったら『あ』と『ま』を間違えるんだよ」

 携帯のキー配列的に、その間違いはありえないだろうと突っ込めば、ハルは大きく溜息をついたのちにこう説明する。

「ほら、理一。これよく見ろよ、俺がツイートしたクライアント」
「……くらいあんと? なんだ、それ」

 顧客がどうしてここに出てくるんだと顔をしかめる俺に、苦笑を浮かべるハル。なんだ、その表情は。

「えーと、クライアントっていうのは、あー……まあつまり、これで俺がどこから呟いたかわかるわけなんだけど」

 あ、こいつ、説明すんの面倒になったな。あからさまな誤魔化しに内心ムッとしつつも、ハルが指差すところを見る。

「ほら、これ。Webって書いてあるだろ」
「書いてあるな」
「これは、俺がパソコンからツイートしたってことなわけ。それに対して理一がしたリプライ、これはKeitai Webってなってるだろ。つまり、携帯から呟いたってこと」
「……なるほど」
「俺はこのツイート、家出る直前にパソコンからしたわけ。んで、早く行くぞって急かされたから、焦ってて打ち間違い気付かずにそのまま投下しちゃったってこと」

 パソコンからならば、『あ』と『ま』の打ち間違いはあり得るだろう。事実俺も、子音のキーをちゃんと押したはずが母音だけになっている、なんてことはよくある。

――つまり、これは

「……俺の勘違い、ってことか?」
「ざっくり言うとそうなるな」
「じゃあ、ずっと連絡取れなかったのは」
「病院は携帯の電源切るだろ、フツー」

 そういえば入れんの忘れてたな、とハルは俺の目の前でスーツのポケットから見慣れた黒の折り畳み式携帯を取り出して、電源を入れた。それを眺めながら、俺は脳内で様々なことを整理していく。
 ツイートはハルが打ち間違えただけ、連絡がつかなかったのは単に電源を切っていたから。ハルはお見合いなんてしていなくて、すべては俺の勘違いで。

「……まじかよ……」

 ようやく理解が現状に追いついた途端、全身の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。恥ずかしいやら情けないやら、ほっとしたやら。どんな表情をしたらいいのか解らなかった。

「おーい、理一ー? 大丈夫かー?」

 しゃがみ込んだままピクリともしない俺を心配してくれたのか、目の前にしゃがみ込んだハルが俺の肩を揺さぶる。ようやく触れられた暖かさに、じわりと瞼が熱くなるのを感じた。

「……俺、」
「え?」
「お前が、俺以外のやつと結婚すんのかと、思って……」

 焦った、と。吐露した本音に、ハルがハッと息を呑む気配がする。

「なに、もしかして理一、嫉妬してくれたわけ?」
「したに決まってんだろうが」
「それで、わざわざ家まで来たのかよ。年賀状片手に」
「……ああ」

 格好悪ィだろ、と返した声は、どこかふて腐れているように聞こえた。

「別に、格好悪くなんてねぇよ」

 慰めるようにハルが言って、俺の頭をそっと撫でる。恐る恐るといった風なそれに、たまらず目の前のハルの体を引き寄せた。ぎゅっと、まるで拘束するかのように強く抱きしめれば、突然のことに驚いたのか、ハルが腕の中で身じろぎしながら俺を呼んだ。

「なあ理一、どうし――」
「……だ、」
「え?」

 聞き返してきたハルに、俺は震える声でもう一度言う。

「――こんな想いは、二度とごめんだ」

 ハルが俺以外の誰かのものになってしまうんじゃないか、って。そんな不安でいっぱいになって、怖くて怖くてたまらない。こんな気持ちは二度と味わいたくない。心の底からそう思った。

「なぁ、ハル」
「……おう」
「俺と、結婚してくれないか」

 ここまで来る途中。不安と一緒にずっと心の隅にあった考えを思い切って口にする。ゼロ距離にあった体をそっと離せば、驚きに目を見開いているハルの姿がそこにはあった。
 ぽかんと口を開けた間抜けな顔に、かわいいなぁ、なんて場違いにも考える。だらしなく緩んでしまいそうな口元に力を入れた。

「俺はお前と離れるつもりはない。今回のことでよく解った。俺がお前以外の誰かと結婚するなんて考えられないし、お前が俺以外の誰かとなんて、もっての他だ」
「……」
「だから、ハル。俺と結婚してくれないか」

 そっとハルの左手を持ち上げて薬指に唇を落とす。上目遣いに表情をうかがえば、俺と目が合った瞬間ハルはかあっと顔を赤くした。それから、照れくさそうに目を伏せる。
 俺は、その仕草にまた胸がときめくのを感じた。本当に、ハルといると飽きるヒマもない。それどころか、一緒に居れば居るほど、どんどんハルのことを好きになっていっている自分がいる。

――断らないでくれ、と。

 戸惑いをあらわにするハルに、無意識のうちにぐっと下唇を噛み締めた。そのとき。

「えー、ごっほん、ゴホン!」

 ものすごく不自然な咳払いが聞こえてきた。ハッとして見やれば、門にもたれかかるようにして立っていた清明さんが、なんとも言えない表情でこちらを見ている。

「あー、一応俺もこの場にいるってことを忘れないでほしいなー……なんて?」
「すっ、すみませんっ!」
「やっ、だっ、えっと。これは、その」

 慌てて立ち上がり、わざとではないとはいえハルの父親の前でプロポーズなんてしてしまったことに血の気が引く俺。と、完全に父親の存在を忘れていたらしく、顔を真っ赤にしてなんとか言い逃れようとするハル。
 そんな俺たちをじっくりと眺め見比べてから、清明さんは、にっこり笑って言った。

「……まあ、俺はいいと思うけどねー?」

 結婚、と付け足された言葉に「えっ」と俺は息を呑む。

「ホラ、柏木くんちはお姉さんいるんでしょ? 確かもう婚約者も居るって聞いたけど」
「はぁ。えっと、相手方が婿入りする形になると聞いています」
「なら柏木くんはご実家を継ぐ予定は?」
「今のところ無いですね」

 だから呑気に一人暮らしをしながら大学に通っていたりするわけだが。

「だったらちょうどいいんじゃない? うちはこんなんでも一人息子だから、柏木さんちに持ってかれちゃったらちょっと困るけど、柏木くんがうちに来てくれるんだったらね。一向に構わないし、むしろ助かるくらいなんだけど」

 どうかな? と、やけに具体的な話をしたのち、清明さんは首をかしげてみせた。どうかな、なんて聞いておきながら、俺の考えなんて全然聞く気がなさそうなのが何とも言えない。
 と、いうか。

「え、っと……どうかな、と言われましても」

 ただハルと一緒にいたい、ハルを手放したくはないというその一心でプロポーズの言葉を口にした俺としては、あまりに現実的すぎる清明さんの計画に呆然としてしまう。
 返す言葉に迷ってオロオロと視線をさまよわせていると、ぷっと噴き出すような音がすぐ隣から聞こえてきた。

「理一、お前キョドりすぎ」
「……仕方ないだろ。まさか、こんな風に歓迎されるとは思わなかったんだ」
「だからってなぁ。俺にはスゲー強気で『結婚してくれないか』とか言ってきたくせに」

 薬指にキスなんて気障なことまでして、と言ったところで、耐えきれなくなったのかハルはけらけらと笑い始めた。だんだん激しくなっていく笑い方に、そんなに気障だったのかとちょっと恥ずかしくなる。
 収拾のつけようがない現状に本気で頭を抱えかけたとき、やっと笑いが収まってきたらしいハルに「理一」と名前を呼ばれた。

「……なんだ」
「ココ」

 思い切りすねた声を出してみせた俺に、また笑いを噛み殺しながら、ハルは自分の左手の薬指を指差してみせた。

「あけとくからな。給料三ヶ月分、期待してんぞ」

 ニィ、と不敵な笑顔を浮かべるハル。その言葉の真意をすぐさま悟って、俺は、ぐっと胸がしめつけられるのを感じた。

――ああ、もう。本当に。

 重陽にはかなわない。

「……ああ、期待しとけ」

 とりあえず、今のところはこんな強がりでしかない言葉とともに、口づけ一つで許してほしい限りだった。





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