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「宇佐木先輩、いましたっ! こっちです!」
秋山くんの声だ。
どうして、とそちらを見やれば、部屋着姿でこっちこっちと誰かに手招きしている秋山くんの姿が目に入る。続いて、校舎の角からオレンジ頭が駆けてきたかと思うと……
「阿良々木! てっ、めぇッッ!!!」
「え、」
オレンジ頭ことうーたんの右ストレートが、ゴッとワタルの左頬をとらえた。みんな、右ストレート、好きね。
衝撃でワタルの腕の中から解放され、とっさにワタルから離れる。十分に距離を置いたところで振り返ると、よろめいたワタルへうーたんがさらに追撃をしようとしているところだった。
「……ん、でだよ……」
「え?」
ぼそり。風の音にかきけされてしまいそうなほどの声で、ワタルは何事か呟いた。聞き返せば、自分のつま先を睨めつけるようにうつむいていたワタルがばっと顔をあげる。
「なんでだよ!? 俺なら、俺ならヤギのこと幸せにしてやれんのに……ッ!」
うーたんに殴られたせいだろうか。唇の端に血をにじませて、激しい感情に肩を震わせながらワタルは咆哮をあげる。
まっすぐに俺を見つめてくるその瞳には、うっすらと涙の膜が張っていた。
(いま、ワタルはなんて言った?)
俺なら? ヤギのことを、幸せにしてやれる?
つまり、俺はワタルと付き合えば幸せになれると。なのにどうして、自分を拒絶するのかと。そう言いたいのだろうか。
「――ちげえよ」
「おい、ハル……?」
「ちげえだろうがッ!」
突如大声をあげた俺を、理一が慌てたように引き止める。それを振り切って、俺はさらに言葉を続けた。
「違うだろ? 俺が幸せかどうか決めんのはお前じゃない! 俺だよ、俺が決めんだよ!! お前と付き合っても、ワタルが思ってる『幸せ』になれるとは、俺は思わない!」
呼吸する余裕もないまま一息に言い切る。吐き出した声のほとんどはいつだったかの理一の言葉からの受け売りだけれど、それは同時に俺の本当の想いでもあった。
息が苦しい。肺が、肩が、体全体が大きく上下して酸素を吸おうとしているのがわかる。ゼェゼェとみっともなく荒い呼吸を繰り返しながら、俺は、息苦しさよりも激しく大きな胸の痛みを感じていた。
「……ワタルだって、ほんとは、とっくに気付いてんだろ」
さっきみたいに無理矢理キスしたって、たとえ俺のことを無理矢理に抱いたって、そのたびにワタルだってちょっとずつ傷ついてるんじゃないのか?
だったら、そんなのはただ、虚しいだけだろう。
それに、
「別に俺は、お前のこと見捨てるなんて言ってねぇだろ。ただ、恋人にはなれねぇから友達でいてくれって言っただけだろうが」
それなのになにを勘違いしてるんだ、こいつは。図体ばっかでかくてこんな金髪の不良なのに、思いの外ワタルは臆病なやつなのかもしれない。
「俺は、お前のことを見捨てたりしない。お前が困ってたら、これからも何回だって助けるよ」
ただし、それは友達の範囲内で、だけど。
補足するように付け足してへらりと笑って見せれば、ワタルの目尻からぽろりと涙がひとしずくこぼれ落ちた。操り人形の糸が切れたかのように、ワタルは急にがっくりとその場に崩れ落ちる。
「ははっ、そうだよな……だからお前は『ヤギ』なんだもんな」
土で汚れるのも厭わず地面に手をついて、ワタルは静かにぽろりぽろりと涙をこぼし続けた。
「悪い、ヤギ……それでも俺は、お前が好きだった」
好きだったんだ、と繰り返したワタルに、俺はただ「ああ」とだけ頷き返した。
好きだと言ってくれるワタルの気持ちを、全面的に受け入れることはできない。けれど、その気持ちだけはしっかりと受け止めた。
・
・
・
秋山くんたち風紀委員に連行されるワタルは、いままでの反抗っぷりが嘘のようにおとなしかった。それだけ自分がワタルをおかしくさせていたのかと思うと、またチクリと胸が痛む。
「めーちゃん」
ワタルの後ろ姿が見えなくなったところで、うーたんに呼びかけられる。
「ん? な――うわっ!?」
完全に油断しきった状態で振り返ったら、ガッと勢いよくシャツの胸元を掴まれた。ぐいと引き寄せられて、うーたんと至近距離で見つめ合う。
うーたんは眉間にしわを寄せて目を据わらせていた。どこからどう見ても、怒っている。
「う、うーたん……?」
恐る恐る声をかければ「なんで」という声がぽつりとこぼれ落ちた。
「なんで、こーいうことするの? なんで俺たちに黙って、ワタルと二人きりであったりするの!? かいちょーは知ってたのに、なんで俺たちには言ってくんないの!? 俺にだって、ちゃんとめーちゃんのこと守らせてよ!」
俺が口を挟む隙もないまま、うーたんは怒涛の勢いでそう叫んだ。あまりの剣幕さに、俺はただびっくりしてしまう。
ワタルと二人だけで話すことを決めた時、そりゃあ怒られるだろうなとは思った。うーたんだけじゃなくて、スーザンにも。けど、まさかここまでうーたんがキレるとは思わなかった。
「めーちゃん、なにもわかってないでしょ。めーちゃんが居ないってスーザンから連絡もらった時、俺がどんな気持ちになったかわかる?」
至近距離からじっと見つめられているこの状況で、ヘタに「わかるよ」なんて言えるはずもない。ふるふると首を横に振れば、だよね、とうーたんは力なく呟いた。
かと思うと、俺のシャツを掴んでいた手からゆるゆると力が抜けていく。
「俺だって……めーちゃんのこと、大事なのに……っ!」
絞り出されたその声は、どこか泣きそうな声だった。予想外すぎる自体に動揺している俺をよそに、うーたんはオレンジ色の髪を翻すとそのまま立ち去ってしまう。
引き止めようと伸ばしかけた手は「めーちゃん」と、突如割って入った声に止められた。
声の方を向けば、いつの間にやってきたのか、忍がそこに立っていた。大乱闘をしていたときそのままの格好で、髪の毛だけがすこし乱れている。王子様なんて言葉とはかけ離れたその姿に、それだけ俺を心配して探してくれていたのかと胸が苦しくなった。
「あのさ、めーちゃん。俺はうーたんの気持ち、わかるよ」
「うーたんの気持ち……?」
「うん。会長のこと頼るんだったら、俺を頼ってくれたらよかったのに。俺に守らせてくれたらよかったのに、って。正直、スゲー悔しいもん」
歯噛みするように、でも、と忍は続けた。
「俺がワタルのこと『あんなやつどうでもいい』とか言ったから、俺には言えなかったんだよな」
ごめんな、と言って忍はくしゃりと表情を崩す。泣き笑いのようなその表情のあまりの儚さに、俺はなにも言い返すことができなかった。
やがて忍は、うーたんと同じように俺を置いていってしまう。俺は徐々に遠ざかっていくその背中を、ただ立ち尽くしてじっと見つめ続けることしかできなかった。
しばらくして見かねた理一が俺の肩を叩くまで、俺はただ、その場に立ち尽くし続けていた。
今回の行動は、ワタルへの対応としては、ベストとまではいかずともベターであったのだろうと思う。というか、そう思いたい。
けれどもっと広く俺の周りを見たら、一概にこれが正しかったんだとは言えないことに俺は今更のように気付いて、そして、なんだか泣きたい気持ちでいっぱいになった。
7.vs○○なう END
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