13 *R18






 右手はワタルに蹴られたダメージが大きすぎて使い物にならない。左手は地面に縫い付けられてる。さらに言うなら、両足はワタルが体重をかけてのしかかっているせいでばたつかせることすらできそうにない。
 完全に詰んでいた。

 あまりにバッドエンド一直線すぎる状況に、いくらしたたかな俺でもさすがに泣きたくなる。だけどふしぎなことに、実際には涙なんて一粒たりとも流れてこなかった。
 だって、

「頼む、ヤギ……ヤギ、見捨てないでくれ……っ!」
「だから、見捨てるってなんのことだよ……」

――だって。今まさに俺を襲ってるワタルのほうが、こんな風に沈痛な面持ちをして、今にも泣きそうな声を出してたら、泣けるもんも泣けないだろう。

 ほんと、なんなんだこいつは。泣きてぇのはこっちだよ! と怒鳴りつけたくなる一方で、盛大にため息をこぼしたくもなる。

(ちげぇっつの! 誰も見捨てるなんて言ってねぇだろうが)

 これは前から思ってたことだけど、ワタルはちょっと、いやかなり、思い込みが激しい。いったいなにをどうしたら「付き合えない」イコール「俺がワタルを見捨てる」になるのか。
 そのあたり一度詳しく聞いてみたいところだけれど、正直なところいまはそれどころじゃなかった。

 そんなことを考えている今だって、ワタルの左手は俺の体を暴いていく。

「ちょ、まっ、おい! 待てって!」

 制止の声をよそに、器用にもワタルは片手で俺のズボンの前をくつろげていった。くそ、なんで俺はベルトしないで来たんだ、と後悔するのもつかの間、下着ごと膝のあたりまで引き下ろされる。

「え、」

 嘘だろう。声もなくつぶやいた。サーっと顔から血の気が引いていく。いやちょっとまていくら何でも手が早すぎだろう、とはくはくと口を開閉させている間も、ワタルの動きは止まらない。
 ひょいと足を抱え込まれたかと思うと、がばりと大きく開脚させられた。覆い隠すもののないそこをワタルの眼前に晒すようなその体勢に、羞恥心で目がくらむ。

(……おいおい、まじかよ)

 へらりと作り笑いを浮かべてみれば、それを斬り捨てるように冷たい視線で射抜かれた。

 ワタルの目には、ふしぎなことに俺をどうこうしたいというような欲望の色は見られない。どちらかというと、その視線はすがるような、不安な恐れの色合いが強いように思う。
 だからこそ、逆に説得でどうこうできるような気がしなくて、絶望感ばかりが募っていく。じわじわと、俺を見下ろすワタルの姿が涙で滲んでいく。

「おい! バカ、ワタル! お前、ふざけん、」
「黙ってろ」

 せめて口だけでもと抗ってみれば、口を口で塞がれた。ついでとばかりにガリッと下唇を噛まれた。生臭い血の味が口の中に広がる。
 甘じょっぱいそれにとっさに顔をしかめた。血の混じった唾を吐き出そうとするも、さらに続けて口付けられて防がれる。

 その上、体の下の方からはかちゃかちゃとベルトを外すような音が聞こえてきた。さっき言った通り、俺はベルトをしないできてしまったから俺のじゃない。ワタルが自分のベルトを外しているのだ。

 そのことに気づいた直後、ぐっと親指で尻の肉を鷲掴みにされる。そしてさらけ出された奥まった場所に、ぬるりと熱いかたまりが押し付けられた。
 どうやら今回は、前とはちがって一通り俺の体を弄んでからいざ本番、というふうにはしないらしい。ずいぶんせっかちだなと逃避気味に思うものの現実は変わらない。
 それどころか、ワタルは俺の足をぐっと抱えなおして、腰を押しすすめるために体勢を整え始めた。

(ああ、もうだめだ――)

 ワタルと話し合おうと思わなければよかった、なんて。そんなことは決して思わないけれど、それでももうちょっと警戒すればよかったとは思う。
 理一にもっと近くで待機して貰えばよかったとか、一応うーたん達にも言ってくればよかったとか。けど、そんなの今更もう遅い。

 ぶわり、と突風がその場を駆け抜ける。ワタルの傷んだ金髪が煽られその表情を覆い隠した。と同時にあたり一面にあまいにおいが広がる。
 それは、いつも理一からしているあの花のにおいだった。

 いままでは移り香程度にしかかいだことのないその花のにおいを、いっそむせかえるほどに吸い込む。
 自分の肺を理一のにおいがする空気が満たしていることと、いまのこの状況と。そのふたつを交互に考えたら、じわりじわりと胸のあたりが熱くなった。

(りいち……)

 そんなに都合よく行くなんて思ってない。こんなときにばかり頼るのも調子がいいってわかってる。
 それでも、こんなときばかりはどうしても、すがりたくなってしまう。

(りいち、理一――ッ!)

 あわよくば、あの電話で俺の異変に気付いてくれて、助けてほしい。そんなあさましい願望とともにぐっと瞼を閉ざした、その時。

「っ、ハル!!」

 聞きなれた声が俺を呼んだ。

 ハッと目を見開けば、覆い被さってくるワタルのさらに向こう側に、さっき俺も通ってきたあの小径から人が飛び出してくるのが見えた。
 大きく肩を上下させ荒い呼吸を繰り返しながらせわしなくあたりを見渡したかと思うと、その人――理一は、ワタルに押し倒された俺を見てざあっと顔色を変えた。

「阿良々木、おまえっ……ハルを離せッ!」

 駆けてきたその勢いのままワタルに体当たりすると、理一は俺をぐいと抱き起こした。そのままワタルの前に立ちはだかるようにして俺を背にかばう。

「ハル、大丈夫か」

 肩越しにそう問いかけてくる声はひどく気遣わしげでやさしかった。これが大丈夫に見えるのか、なんていう憎まれ口すら消えてしまうほどに。

「おせぇ、ばか……ありがとな、理一」
「おう」

 涙声が隠せないのが情けなくて仕方ない。慌てて目尻に落ちた涙をぬぐって、服装を整えた。ズボンのジッパーを上まできちんとあげてボタンもとめれば、少しだけ気持ちに余裕ができたような気がする。

「チッ……」

 荒々しく舌打ちしたワタルは、真正面から理一を睨みつけた。視線にこもった殺気の量が以前うーたんとやりあったときと段違いで、ぞわぞわと全身に鳥肌が立つ。
 ……そういえば、ワタルは俺と理一が文化祭の時にこっそり会ってたことを知ってるんだっけ。そうすると、もしかして、理一の存在ってワタルの中で結構な地雷なんじゃなかろうか。

 その可能性にたどり着くのもつかの間、俺の予想を裏付けるように、ワタルがだんっと地面を蹴った。

「どいつもこいつも……邪魔しやがって」

 ワタルがぐんっと一歩踏み出す。右手はしっかりと拳を作っていた。喧嘩なんてしたこともないだろう理一がそれを避けられるはずがない。ワタル渾身の一撃をまともに喰らう形となった。

「理一っ!」

 よろめいた理一の背を慌てて支える。うめくような声を二、三あげたのち、理一はペッと血混じりの唾を吐いた。どうやら口の中を切ったらしい。
 じわじわ赤くなり始めている理一の左頬に、動揺のあまり「美形の顔になんてことを」なんてトチ狂ったことを思う。
 と同時に、俺は改めてうーたんやワタルがチートだったということを理解した。

「ヤギっ、こっちに来い!」

「うわ、ちょ、」

 理一から引き剥がすようにして、ワタルがぐいと俺の腕を引く。なすすべもなくそのまま抱き込まれる俺と、急に支えを失ったことにより体勢を崩してどさりとその場に尻餅をつく理一。

(あー、やばい、これってもしかして)

 絶体絶命。その四文字が脳裏をよぎりかけたとき、「あーっ!」と誰かが大声をあげた。

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