08






「それじゃ。秋山くん、どうもありがとうな」
「いえいえ、これが俺の仕事ですから!」

 嫌そうな素振りも見せずににっこり笑顔で笑って見せた秋山くんと寮の部屋の前で別れて、俺は自室のドアを開けた。801と番号の振られたドアをそっと手前に引けば、風の流れに乗ってふわりと甘い匂いが漂ってくる。嗅いだことのあるそれに(またか)と思いながらも、俺はふっと今までこわばっていた体から自然と力が抜けていくのを感じた。

 廊下を抜けてリビングに入る。いつもは俺と忍のノートパソコンかゲーム置き場でしかないテーブルの上には、書類の山が積み上がっていた。それから、黙々とテーブルに向かって一枚、また一枚と書類の山を高くしていっている男がひとり。
 集中しているのか、俺が帰ってきたことにはまだ気づいていないらしい。俺は、そんな彼を驚かせてやろうとその背後にそっと忍び寄った。

「わっ!」
「うっ、おああああああ?!」

 どんっ、と少し強めに背中を押せば、甘い匂いの原因でもある、作業をしていたその男――理一は大げさなぐらいにビクリと跳ね上がった。その上、慌てて飛び上がってこちらを振り返る。

「なっ、な……?」
「……ぷっ。理一お前、びびりすぎ!」

 オロオロとする様がおかしくてつい吹き出してしまう。と、理一はそんな俺の姿を目に入れて、ようやく自体を理解したらしい。びっくり顔が、徐々に不機嫌そうに変わっていく。

「……ハル、」
「あはは、ごめんごめん」
「ちょっとでも悪いと思っているなら、今すぐそのにやけた面をおさめろ。説得力皆無だぞ」
「いや、だって」

 威圧感たっぷりの声で名前を呼ばれたって、さっきの今じゃ効果半減だ。

「あー、ははは。マジうける。天下の生徒会長サマがこんなびびってんの見たら、お前のファンのやつら、きっと度肝抜くだろうなぁ」
「ハル、お前、ほんとは悪いと思っていないだろう」
「いやいや、そんなことないですよ」

 これでも反省しているつもりだ。ちょっとくらいは、だけれど。
 おどかしてごめんなさい、と、反省しているアピールがてら両手を合わせて頭を下げてみせる。理一はそれで納得したのか、はたまたこれ以上言っても無駄だと諦めたのか、わかったからもういい、とばかりに溜め息をついてみせた。

「ていうか、理一なにしてたんだ? また生徒会の仕事?」
「ああ……生徒会室だとうるさくて集中できないからな。悪いが、持ち込ませてもらった」
「いや、別にそれはいいけど……うるさい?」

 だれがだ? 本村アカネとか? と問いかけると、一瞬理一は変な顔になった。

「本村も……まあ、ある意味ではうるさいんだが」
「うん?」
「それよりも、今は早瀬が、な」
「早瀬? って、副会長?」
「ああ。佐藤灯里に会いたい会いたいとうるさいんだ」
「あー……それは、」

 その様子は想像にたやすい。たやすすぎて、ちょっとだけコメントに困る。自分から納得して生徒会に復帰した志摩や本村アカネたちならともかく、副会長は戻ってこざるを得なかったから仕方なく、という部分が大きかっただろうし。きっと心の奥底の方では納得できてない部分も大きいんだろう。
 しかしそうだとしても、理一に迷惑をかけるとは、と思うと少し腹立たしい。

「まあ、そのこともあるんだが」
「うん?」
「それになにより、あそこよりここの方がずっと落ち着くからな」

 書類が乱雑に広がったテーブル上を片付けて、俺がくつろげるだけのスペースを確保しながら、理一はしみじみと言う。きっとその言葉は本音なんだろう。事実、スペアキーをあげたあの日以来、理一は二日に一回くらいのペースでこの部屋にやってくる。それも、うまいこと毎回、忍がいないタイミングを見計らって、だ。
 さっそく活用してもらええいるのは嬉しい……けど、これじゃ誰が本当の俺の同室者なんだかわからなくなりそうだ。それに、これだけ頻繁に来ていたらそのうち誰かに理一と俺との関係がばれてしまうんじゃないかと、今更ながら不安にもなる。甘い匂いががしているということは、きっと今日も裏道を通ってきたんだろうけど。

「なあ。理一さ、いつもここまでどうやって来てんの? 寮入ってから、フツーにエレベーター使って昇ってきてるわけ?」

 この部屋に入るとこ、誰かに見られたりしてねえよな?それ以前に、生徒会長さまが一般生徒フロアを歩いていたりしたら、それだけで大騒ぎになってしまいそうだが。
 本当に大丈夫なのか?と念押しするように問いかければ、理一は「ああ、そのことか」となんてことないような声を出す。

「それなら大丈夫だぞ。いつも非常階段を使って来ているからな」
「え、階段って、一階から?」

 ここ八階だぞ?さすがにつらくね?
 そう思ったのが顔に出たのか、理一は半笑いになる。

「ちげぇよ。いったん十階の生徒会フロアまでエレベーターであがってから、そこから非常階段で降りてきてんだよ」

 非常階段は普段ロックがかけられていて、非常時に一斉に解除される仕組みになっていること。だから普段は一般生徒は立ち入れないこと。けど、理一の生徒会キーならそのロックを解除できて、自由に行き来できること。そして、俺の部屋が801号室で角部屋だから、階段から出てくるタイミングさえはかれば誰にも見られずにここまで来れること――。
 それらのことを、理一は懇切丁寧に説明してくれた。

「……お前、案外色々考えてんだな」
「そりゃあな。誰かに見つかって騒がれて、お前に危害を加えられたりしたら嫌だからな」

 きっぱりとそう宣言する理一に、俺はさっきの本村アカネとの会話を不意に思い出した。

『かいちょーって、ほんとに八木くんのこと好きだよねぇ〜』

 ……どうして今、こんな言葉を思い出したのだろう。知らず、頬が引きつってしまう。
 もやもやとした感情を振り払うように、俺は理一にこんな話題を振ってみた。

「ねぁ、理一んとこの親衛隊って、どんななの?」
「どんな……どんな、なんだろうな?」
「えええ、なんだよ、それ」

 逆に首を傾げてしまった理一に、思わず笑みをこぼす。ずっと立っているのもおかしいかと、俺は理一の隣に腰を下ろした。なんの気なしに肩にもたれかかってみれば、ふわりとした甘い匂いが強くなる。肩に触れたあたたかい体温とかぎなれた花の匂いに、ワタルのことでささくれだっていた気持ちが凪いでいく。癒されるなぁと、ほうと息を吐いた。

「自分で言うのもどうかと思うがな、この学園内の親衛隊で、一番規模が大きいのは俺のところなんだ」
「いや、まあ、そりゃそうだろうな」

 生徒会長の親衛隊だもんな、と言えば、「そう!」と、なぜか理一は食いつくように頷いた。

「『生徒会長の親衛隊だから』規模がでかいんだ」
「え……?」

 どういう意味かと首を傾げる。

「いいか? 生徒会長の親衛隊って言ったら、そこが一番規模がでかいんだろうなって誰でも思うだろ。たとえば、入学してきたばっかの一年にでも、そういうことに興味がない生徒たちにも」
「まあ、そうかもな」
「だから『柏木理一の』親衛隊だから、じゃなくて『黄銅学園生徒会長の』親衛隊だからって理由で、部活感覚とかで入ってくるやつもいんだよ。人数が多いからって小柄な生徒が自己防御のために入ってくることもあるし、親衛隊ってどんなんだろうなって興味本位で入ってくるやつもいるし」
「へー……そういうもんなのか」

 てっきり、佐藤灯里に対する副会長とかミドリに対する本村アカネとか、そういう熱狂的なやつらばっかりが集まってるもんだと思ってたら。そういうわけでもないらしい。

「だから、本当に俺のことを『そういう』意味で好きで入隊してるやつはあんまりいないんじゃないのか」
「……いやいやいや、それはないだろ」

 たとえ、親衛隊に入ったきっかけや理由はそうであったとしても、仮にも自分は生徒会長の親衛隊なんだって意識を持って、会長としての仕事を懸命にこなそうとしている理一の姿を見ていれば、自然と好きになるやつもいるんじゃないだろうか。ていうか、好きにならないほうがおかしいだろ、たぶん。
 いくらなんでも謙遜しすぎだと言うが、理一はただどうだろうなと言うように苦笑する。

「こんな風になる前は、定期的に親衛隊との交流会をしていたんだがな。あいつら、最初は俺の尊愛にキャーキャー言っていても、すぐにいつも通り仲良しグループでカードゲームしたり恋愛相談し始めたりするんだぞ」
「え、まじ?」
「まじだ、まじ」

 冗談めかした口調で答えて、当時のことを思い出したのか、理一はクツクツと肩を震わせた。

「親衛対象そっちのけにする親衛隊なんて、たぶんうちのところくらいだろうな。……まぁ、だから『どんな親衛隊なのか』って聞かれると、正直どう答えたらいいかわからないんだよな」
「そっか……」
「まぁ、ある意味穏健派なのは確かだな。むしろ、過激派なんて生徒会じゃ今は早瀬のところくらいじゃないのか」

 え、本村アカネのとこは? と反射的に前の席の彼のことを問えば、ああ、と理一はこう教えてくれた。

「本村アカネのとこは、あいつのブラコンが判明してからおとなしくなってるらしいぞ。今じゃ隊全員でアカネとミドリの恋を応援してるらしいぞ」
「うわ、まじか。よかったぁ〜」
「本村の親衛隊となにかあったのか?」
「や、別になんもないんだけど。単に、席替えで本村アカネと前後になっちゃったからさ。親衛隊に目つけられたらどうしようかと心配だっただけ」

 けど、そういうことならそう心配する必要もなさそうだ。ちょっとほっとする。





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