07
「失礼します」
言い逃げした本村アカネの背中を見送ったあと、俺は形式だけのノックをしながら風紀室のドアを開けた。一歩踏み入れて室内を見渡せば、ちょうど顔を上げた君島委員長と視線が合う。
「来たね、八木くん。どうぞ中に入って」
会釈をしながら後ろ手にドアを閉めた。まだ二度目の風紀室にどきどきしつつ、君島委員長の待つ奥のデスクへと向かう。
その途中、なんの気なしにあたりを見渡して、俺はふとあることに気付いた。
「あれ、うーたんは?」
風紀室内には、委員の生徒たちが大勢いる。それぞれ書類整理だったり見回りの準備だったりと忙しそうに仕事をしていた。
けれど、その中に、見慣れたオレンジ頭の彼の姿はない。
どうしたんだろう。別件とかいうから、てっきり風紀室でなんか別の仕事でもしてるのかと思ったけど。
見回りにでも出てるのかなと君島委員長を見れば、委員長は「ああ」と少し困ったような顔になった。
「宇佐木はね、今日は校外に出てるんだ」
「え、学園の外に?」
そりゃまた、どうして。っていうか、風紀委員の仕事で外にまで行くことなんてあるのか。驚きを隠せない俺に、君島委員長は更に説明してくれる。
「阿良々木があまりにも姿を見せないもんだから。もしかしたら実家のほうにいるんじゃないかと思って、様子を見に行かせてるんだ」
「ワタルの実家に?」
「そう。彼の地元、この学園がある山のすぐ下の街だから」
そう言って、君島委員長はここから一番近い公共機関の駅名を上げた。ワタルの実家はそこからすぐ近くのところにあるらしい。
ワタルの地元がここら辺だったとか、なんか意外だ。もっと大都市っぽいところからわざわざ転入してきたのかと思った。
(てか、実家がそんな近いなら、なんぜわざわざ全寮制のここに入ったんだ……?)
ワタルに限って、勉強のためとか将来のためになんてことはないだろうし。
そう思った俺に、君島委員長はさらなる問題発言を投下する。
「……まあ、阿良々木くん、高等部からの入学だったけどGWもお盆も帰省してないし、たぶんないとは思うんだけどね」
「えっ」
高校から入学したってことは、急にワタルからのしつこい連絡がなくなったのはそのせいだったのか。なんの前触れもなくネトゲの世界にもTLにも現れなくなって、スカイプにもログインしてこなくなったから、おかしいとは思ってたけど。
そういうことだったなら納得だ。しなくなったんじゃなくて、寮に入ったせいでしたくてもできなくなってしまったんだから。
(でも、一回も帰省してないってどういうことだ?)
長期休みの間は食堂とかも閉まって、寮に居残り続けるにはいろいろと不便になる。だからみんな、特別な事情がない限りは帰省するもんだって、前に忍が言ってたけど。
実家の位置的に、帰省したくてもできないってことはないだろうに。なんでワタルは帰省しなかったんだ?
(よっぽど帰りたくない「なにか」があったとか?)
……いや、そこまで考えんのはさすがに深読みのしすぎか。考えを振り払うように首を振る。
「そんなわけで、阿良々木くんには話を聞けないからね。八木くんから、あの日なにがあったのか話してもらってもいいかな? それを宇佐木たちの話と照らし合わせて、風紀で適切な判断する必要があるからさ」
「はい」
あの日のことを思い出したら、いまでも怖くなる。指の先が凍り付いてしまうような錯覚にすら襲われる。
それでも俺は、話さなきゃならない。俺のためにも、ワタルのためにも。
決意を固めるように強くうなずけば、君島委員長はデスクチェアから立ち上がって俺を応接セットへと招いた。そこに、あの日と同じように向かい合って座る。
すぐさま、初めて見る顔の委員が二人ぶんの紅茶を用意してくれた。カップを手にとって一口すする。なんとも言えない渋みが口に広がって、思わず眉をひそめた。
そして、俺は話し出す。
「あの日、クラスメイトの西崎と保健室で分かれたあとーー」
ひとりでぼーっとしながら廊下を歩いていたこと。そうしたら正面から阿良々木がやってきて、そこで初めて阿良々木がずっと俺をストーカーしてたワタルだって気付いたこと。
保健室まで戻ろうと思って逃げてたら、途中で近くの空き教室に追い込まれたこと。そこで噛まれたり殴られたり、……キス、されたり。いろいろあって、本格的にヤバくなってきたとこで、うーたんが来てワタルを蹴り飛ばしたこと。
あの日の記憶をひとつひとつ辿っていきながら、俺は君島委員長にすべてを話した。
さすがにこんな衆人環視の状態でワタルに抜かれたことまでは話したくなかったから、そこらへんは誤魔化したけど。
「ざっと、こんな感じです」
「ふむ。宇佐木の報告と一致してるね」
メモを取っていた手を止めて、君島委員長はそう言った。ひとまず大体の状況をわかってもらえたらしいことにほっと息をつく。
「宇佐木が言っていた通り、八木くんには非はないようだね。……でも、それでも君は、阿良々木くんに処罰を与えるのは気が進まないんだよね?」
「は、い」
「なんの処罰もなしだと、模倣犯が出たりしかねないんだけど、それでも?」
「…………やっぱり、そう、ですよね」
君島委員長の静かな声に、俺は生返事しか返せなかった。
風紀の体裁とか、きっとそういうのもあるんだろう。ワタルひとりを俺のエゴで「特例」みたいに見逃してしまったら、それが原因でほかの何の罪もない生徒まで同じような被害にあってしまう可能性だってある。
それを考えたら、感情的なことは二の次にしてワタルに処罰を与えたほうがいいんだろう。理論では、頭ではきちんとわかっていた。それでも、やっぱりそれはなにか違う気がして、俺はイエスと答えられずにいる。
重苦しい沈黙が俺と君島委員長との間に落ちる。無言のままじっとこちらを見つめてくる委員長の視線が痛かった。
(……息が、詰まりそうだ)
薄く唇を開いて、すうっと意識的に深く息を吸い込んだ。そのとき、
「っ遅れました!」
がちゃり、と乱暴にドアを開ける音がして、秋山くんが飛び込んでくる。反射的にそちらに顔を向けると、秋山くんはパタパタと慌ただしく俺たちのところまで駆け寄ってきた。
「八木先輩すみません、俺がバカなせいでご迷惑おかけして……!」
「いやいや、いいよ。それより補習お疲れさま」
「っ、はい! ありがとうございます!」
あまりの慌ただしさに思わず笑いをこぼして言えば、秋山くんはハッとしたようにこちらを見上げてきた。
……なんだか、柴犬の子犬にしっぽを振りながら「撫でて撫でて!」とアピールされているような気分になる。
キラキラした目で見つめられていると、ふしぎと罪悪感のようなものが湧いてきた。
それに耐えきれずに、俺は秋山くんの頭へ手を伸ばす。そのまま数回頭を撫でてやれば、秋山くんの背後で、見えるはずのないしっぽがぶんぶんとより勢いを増して振られた気がした。
「……きみ、秋山まで手懐けたの?」
宇佐木だけじゃなくて、と様子を見ていた君島委員長が言う。
「手懐けた、っていうか……うーたんは元々友達でしたし」
友達って言っても、ネットの、だけれど。そこら辺はまあいいだろう。
思いつつもなんとなく言葉を濁す俺に、君島委員長は「ふーん?」となんだか意味深な反応を示した。
「……まあ、いいか。そうしたら、今日はもう大丈夫だよ」
「えっ、あ、はい」
「次は阿良々木くんが見つかり次第っていうことで。秋山、来たばっかで悪いけど、八木くんのこと送ってあげて」
「ハイっ、よろこんで! 八木先輩、帰りましょ」
「あ、ああ……」
まるで居酒屋の店員のような返事をする秋山くんに、なんだか微妙なきもちになる。
早く早く、と急かされて席を立ちながらも、俺は君島委員長のさっきの反応が気にかかって仕方なかった。
(委員長、なんて言いたかったんだろ。うーたんのこと)
ちらっと横目で君島委員長の顔を盗み見る。けれど、委員長はすでに眼鏡の向こうに表情を隠してしまっていて、なにを考えているのかは読めそうになかった。
(ワタルも、まだなんかありそうだし。本村アカネも妙なこと言ってくるし……)
君島委員長のこの反応といい、二木せんせーのあの台詞といい。なんだか、相も変わらず問題が山積みすぎやしないだろうか。
まだまだ心休まるときは来ないらしいことに、俺は一人ひっそりと溜め息をついた。
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