06






 背後でぴしゃりとドアを閉める。思いの外大きな音がした。すぐそばの壁に寄りかかっていた秋山くんが、びっくりしたような顔でこちらを見てくる。

「待たせてごめんね、秋山くん」
「いえ、それは、大丈夫ですけど」

 なにかありましたか、と視線で問われているような気がした。でも、実際になにかと聞かれても答えられる自信はない。

「そんじゃ、帰ろっか。秋山くん」
「はいっ!」

 気づかない振りで通して、秋山くんと並んで歩き出す。

「ていうか秋山くん、声かけてくれたら良かったのに」
「イヤ……なんか入りづらかったんで。お邪魔したら悪いかと思いましたし」
「うん? 別に秋山くんに聞かれて困るような話はしてなかったけど?」

 確かにせんせーの様子はちょっとおかしかったけど、と思いつつ返せば、なぜは秋山くんはきょとんとしたような表情になる。

「ああ、そうでした。八木先輩ちょっとニブいんでしたね……」
「えっなにソレ、どーいう意味?」
「そのまんまの意味です」

 ……あれ? 忠犬かと思いきや、秋山くんが早くも反抗期なんですけど。
 俺、早速なんかやらかしたかなぁと不安になる。

「あ、そういえば。委員長からの伝言なんですけど」
「おお、話逸らされた」
「もうっ、ふざけないで聞いてくださいよ!」

 おこですよ、なんてまじめくさった顔で言う秋山くんに思わず噴き出しそうになる。おこって、おこって言うかフツー、男子高校生が。

「っとにかく! 明日の放課後、風紀室に来てほしいそうです!」
「明日? いいけど、なんで?」
「この間の事件の事情聴取、なんだかどたばたしてしまっていてずっとできてなかったので」
「あー……」

 言われてみればそうだった。突然、一週間の引きこもり生活を余儀なくされたせいで、すっかり忘れてた。

「ん、わかった」

 それじゃ、明日な。約束するように言えば、隣から「はいっ!」と元気な返事が返ってきた。













 とまあ、俺は確かに風紀室に行くことを約束した。だから、こうやって風紀室に向かっている現状はなんらおかしくない。
 おかしくない、のだけれど。

「どうしてこうなった……」
「え? なにがぁ?」

 思わず呟いた俺に、隣からのんきな声が帰って来る。声の主は俺の隣をゆったりと歩く男――本村アカネだ。

「お前のことだよ! なんで風紀室行くのにお前が着いてくるんだよ!?」

 そう、そこだ。どうして風紀室へ行くための護衛がよりにもよって本村アカネなんだ。思わずツッコむと、隣を歩いていた彼はますますふしぎそうな顔になる。

「え〜、だからぁ。風紀副いいんちょーは別件で手が離せなくってぇ〜、一年のわんこくんは補習で来れなくって。だから俺が風紀室まで送ることになったんだってぇ。さっき言ったじゃあん」

 わざわざ二度目の説明をして「聞いてなかったのぉ?」と小首を傾げる本村アカネ。
 本人は至って普通に話してるつもりなんだろうけど、妙にバカにされてる風に聞こえるのは間延びした口調のせいだろうか。

「や、聞いてたけどさ」

 そうじゃなくって、単に風紀室に送ってくだけなら二木せんせーとかでもよかったじゃんって話ですよ。生徒会室も同じフロアにあるから、って理由で本村アカネになったらしいけども。

(……って言っても、実際に二木せんせーになったらなったで、ちょっと気まずかったかもしんないけど)

 昨日のあの変な空気が、なんとなく俺のなかではまだ後を引いてる。二人きりになるのはできるだけ避けたかった。

 でも、だからってなにも本村アカネじゃなくてもいいだろうに。これで本村アカネの親衛隊に目をつけられでもしたらどうしてくれるんだ。

 ハラハラしているうちに、徐々にひと気のないエリアにやってくる。あまり人に見られることなくここまで来れたことにひとまずほっと息をついた。
 そのとき、ふと思い出したかのように本村アカネが口を開く。

「それにしてもさぁ、かいちょーって、ほんとに八木くんのこと好きだよねぇ〜」
「は? 理一?」
「そうそう」
「あー……」

 そういえば、こいつも俺と理一が知り合いだって知ってるんだっけか。今更のように思いつつ、言われたことを反芻する。

(理一が俺のことを好き、ねぇ)

 そりゃまあ友達だし、理一は状況が状況だったから俺のこと特別みたいに思ってくれてるとこあるかもだけど。

 でも「好き」って言い方はちょっと違うんじゃないだろうか。特にこの学園じゃ誤解を招きかねない。
 訂正を入れようとしたとき、それより先に本村アカネが口を開いた。

「どうやったの?」
「え?」

 どう? って、なんだ?
 きょとんとする俺に、本村アカネはじれったそうな顔をする。

「だから、どうやってかいちょーのことオトしたの? 八木くん」

 「かいちょー、今までどんなかわいい親衛隊の子に言い寄られてもぜんっぜんなびかなかったのに〜」なんて、なんてことないように本村アカネはごにょごにょと続けた。けれど、俺はその前の段階から話に着いていけていなかったりする。

「オトすって、どういう意味だ?」

 物理的な、じゃねえよな。まさかとは思うけど。

「え、そりゃあ、どうやって会長のこと惚れさせたの? って話だよぉ」
「……はぁあ!?」

 なんじゃ、そりゃ。
 誤解を招くどころか、言ってる本人が誤解してたらしい。どうりで、どっかおかしな言い方にもなるはずだ。

「あのな、惚れさせって、ねーよ」
「えっ、なにその反応。どゆこと?」
「どういうことはこっちの台詞だっつーの」

 なにをどうしたらそんな発想にたどり着くんだ。まったく、わけがわからないよ。

「ちょっと待って、ねね、あのさぁ? 一個確認させてほしいんだけど」
「んだよ」
「……八木くんとかいちょー、付き合ってるんじゃないの?」
「まっさか! ありえねーよ」

 そんな恐ろしいこと、冗談でも言わないでほしい。万が一にも理一のファンに聞かれてたりしたら俺が殺されかねないだろうが。
 恐ろしさのあまり、ブンブンと顔の横で手を振りながら速攻で否定した俺に、本村アカネは「ええっ!?」とおおげさに仰け反る。

「うっそぉ、まじでぇ? 八木くんとかいちょー、付き合ってないの!?」
「マジだよマジ。超、大マジ」
「えええ……」

 まじかー、と呟いて、本村アカネはがっくりと肩を落とした。あまりの落ちこみっぷりに、いや、どんだけ自分の仮説に自信あったんだよと突っ込みたくなる。

「だってさぁ、八木くんが学校来てないって言ったときのあの反応、絶対恋人同士なんだと思ったのに〜〜〜!」

 だからからかったのに! と続けられた言葉に、思わず相手が仮にも生徒会会計サマだということも忘れて後頭部に手刀をくらわせてしまった俺は悪くない。悪くないったら悪くない。
 「ブゴブヘェッ!」という、生徒会会計らしからぬ声が聞こえてきたけれど、そこは華麗にスルーする。

「……じゃあ、かいちょーの片思いってワケ?」
「なんでそうなんだよ。大体、」

 俺に対して恋愛感情を抱くなんてこと自体、ありえない。そう言い掛けて慌てて口をつぐむ。ワタルと西崎の顔が脳裏を横切ったからだ。
 たとえただの謙遜だとしても、そういう言い方は二人に対しても失礼だ。自分の無神経さを振り切るように口を開く。

「理一のは……なんていうか、恋とかじゃなくって、あこがれみたいなもんだろ」
「あこがれ?」

 後頭部をさすりながら、本村アカネが俺の言葉をなぞるように繰り返す。それにうなずいて、俺は続けた。

「理一は、学園っていう鳥かごの中にずっといるから、外の世界を知ってる俺がものめずらしく見えるだけだよ」

 それに、俺と知りあったタイミングも影響してると思う。
 佐藤灯里のことでゴタゴタしてて疲れ切っているところで、俺がそこにつけこむみたいに仲良くなったから。生まれたての雛鳥がはじめにみたものを親鳥だと思いこむみたいに、刷り込み効果的に俺が『特別』だって思ってしまってるだけだ。

 じゃなきゃ、なんで理一があんなに俺を大事に思ってくれるのか、正直俺にも説明できない。

「だから――アレは、ただの錯覚だよ」

 錯覚にしても、ちょっと思い込みが激しすぎるかもしれないけれど。理一が必死になって寮の部屋まで来てくれた先週のことを思い出しながら、少しだけ苦笑する。
 そんな俺を見て、本村アカネは「ふーん?」なんて微妙に納得いかなさそうな反応を示した。

「でもさー、八木くん」
「ああ?」
「……恋なんて、案外錯覚から始まったりするものなんじゃないかなぁ。ゲレンデやテニスコートに立ってると、それだけで何割増しかでイケメンに見える! じゃないけどさ」

 ね? と本村アカネは俺に人差し指の先を向けた。
 確かに、その類の話はよく聞く。けどだからって、それを弱ってた理一とたまたまそこにやってきただけの転入生の俺に応用するのは無理があるんじゃないだろうか。

「なんだそれ、恋愛マスターからの助言か?」
「そんな感じかなぁ?」
「そんな感じ、ねえ」

 どんな感じだよ、と思いながらも少し先のドアに目を向ける。なんだかんだ話をしながら歩いているうちに、風紀室はすぐそこまで迫っていた。
 もうここまでくれば、これ以上護衛の必要はないだろう。判断して「それじゃあ」と手を挙げかけたとき。

「あ、あとさ」

 本村アカネの声に、俺は動きを止めた。何の気はなしに隣を振り返れば、にんまりと笑みを浮かべた本村アカネと目が合う。嫌な笑い方だ。

「もし、かいちょーが弱ってるときに出会ったのが八木くんじゃなくって、他の人だったとしても、さ。その人がかいちょーに優しくしたとは限らないよ」
「……」
「それにもし優しくしてくれる人だったとしても、それだけでその人を『特別』にするほど、かいちょーはチョロくないと思うよ」

 つまり、なにがいいたいんだ。黙って視線を返す俺に、本村アカネは口元の笑みを更に深める。それはそれは、至極愉快そうに。

「八木くんだから、なんじゃないかな」

――俺、だから?

「それって――」

 意味深な言葉の真意を問いつめようとした、そのとき。

「それじゃあ、俺の役割はここまでだから〜」
「あっ、ちょ、お前っ!」

 バイバーイ、なんて手を振って、本村アカネは踵を返した。呼び止める間もなく、ひょうひょうとしたその背中は生徒会室のある区画のほうへと消えてしまう。

「……俺、だから」

 なんだっていうんだ、一体。
 掴み切れなかった言葉の意図を辿るようにぐっと拳を握り締める。けどそこには何もつかめなかった。当たり前のこと、だけれど。

 なんだか、すごく。やりきれない気分だった。





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