08






「俺ってさぁ、鈍感なのかなぁ」

 時間的には一日が過ぎただけだというのに、随分久しぶりな気がする801号室にようやく戻ってきたのが十分ほど前のこと。
 それから温くなっていたポットのお湯を沸かし直し、紅茶を淹れ。お互い手に湯気の立つマグカップを持ったところで、俺は口を開いた。

「今だから言うけどさ、俺、初めてワタルに好きだって言われたとき、フツーになんかのジョークだと思ったんだよ」

 またスーザンとなにか企んでいるのか、あるいは他のネトゲ仲間たちとの賭けかなにかにでも負けたのか。真っ先に考えたのはそんなことだった。

「そりゃ、男同士だし。そんなもんじゃねーの、フツーは」
「……『フツー』は、な」

 俺の告白に、忍はちょっと不思議そうに首を傾げて言う。それに俺は若干の皮肉をこめつつ肯定の言葉を返して、紅茶を一口すすった。
 確かに、この学園が特殊なだけであって、同性に愛を打ち明けられた際の反応なんて俺のそれが「フツー」なのかもしれない。けれど、

「最初はまあ、それでもフツーかもしんねぇけどさ。何回も何回も繰り返されて、徐々にアイツの行動がエスカレートして行っても、『おいおいマジかよ〜』なんて口ではいいながら、俺、心のどっか奥底のほうではアイツの言うことを信じてなかったんだよ。……それも、ずっと」

 きっと俺は、無意識のうちにこう思っていた。「誰かが自分のことを、恋とか愛とかいう意味で好きになるなんてありえない」と。
 別に謙遜でも自己卑下でもない。ごく当たり前のこととして、俺はそう考えていた。
 今になって考えてみれば、それは単純に愛や恋っていうものについて俺がよく解っていなかっただけなのだろう。俺自身が誰かを好きになったりしたことも、そういったことの当事者になったことも無かったから。

「けど、西崎に真正面から好きだって言われて解ったんだよ。あ、これが恋ってやつなんだ、って。それと同時に、そん時初めてワタルが本気だったことに気付いたんだ」

 俺は、なんて残酷なことをワタルに対してしてきたのか。考えるだけで自己嫌悪と申し訳なさに押しつぶされてしまいそうななる。
 ぎゅっとマグカップを両手で握り締める俺に、忍はただ「うん、うん」と時折相槌を交えながらも、黙って話を聞いてくれていた。

「……だからささっきお前に言ったの、ぜんぶ本、心なんだよ。心の底から後悔してる。俺がもっと早くきちんと向き合ってやれてれば、ワタルだってこんな風にはなんなかったんじゃないか、ってさ」

 後悔せずには、いられなかった。
 ぐっと奥歯を噛みしめつつ、もう言わないとさっき忍に言ったばかりなのに、早速それを破ってしまっている自分に内心苦笑する。

 痛々しげな顔をする忍を見ていたら、ただでさえ重い口をそのまま閉ざしてしまいそうだった。俺は、カップの中を覗き込むことで視線を逸らす。
 揺れる琥珀色の水面は、なにも映しはしなかった。

「ワタルの処分だってそうだ。ワタルのためや忙しい風紀のためみたいなこと言っときながら、結局は全部、自分のためなんだよ」
「……」
「贖罪、とか。そういうの。あとは、ちゃんとワタルと向き合って話したいからっていう」

 風紀に停学にされちゃったらそれすらできなくなるだろ。と、わざと冗談めかして言えば「そうだね」といつもの口調で忍は言った。

 ほとんど思ったことをそのまま口にしているだけでも、声に出すという行為にはなんらかの効果があるらしい。こうして忍相手に話していたら、少しずつ、もやもやと霧のかかった頭の中が整理されてきた気がする。
 まだ湯気の立つカップにそっと口を付けて、息を吹きかけること数回。それでも火傷をしないように慎重になりながら、俺はマグカップを傾けた。

「あのさ、めーちゃん」
「うん?」

 ふと思いついたように忍が声を上げる。カップに口を付けたまま視線だけを持ち上げてみれば、まっすぐにこちらを見つめていた忍の瞳に行き当たった。

「なんつうか、上手く言えないけどさ」
「うん?」
「俺はさ、めーちゃんの言うその鈍感さが、めーちゃんの良いところでもあると思うよ」

 躊躇いがちに、ひどく慎重に口にしてから、忍はにぱあといつもの笑顔を浮かべて見せた。
 どちらかというと、普段は「空気を読む」なんていうこととは無縁なスーザンに気を遣わせてしまったことに、ちょっとだけ申し訳なさが胸を刺す。でもそれ以上に有難さのほうが勝って、俺は、少し堅そうな忍の黒髪へとそっと手を伸ばした。
 ぽふぽふと軽く叩くように数回撫でれば、やっぱり固い髪の感触が俺の指先に触れる。

「はは、さんきゅ。スーザン」
「ん。どーいたしまして」

 そのまま、わしゃわしゃと犬でも撫でるようにする俺の手を、忍は黙って受け入れていた。時折「もっと撫でて」とでも言うように目を細める様子を見ていると、余計に犬のように見えてくる。
 忠犬、スーザン。なんだか本当にどこかに存在していそうなフレーズに、俺はひとりぶはりと噴き出した。ぶくく、と堪えきれない笑いに肩を揺らしていると、「めーちゃん?」と困惑したような忍の声。

「どったの?」
「いや、なんつうか……」

 げほんげほん、とわざとらしい咳を数回。声を調子を整えたところで、俺は、ニッといつも通りの笑顔を浮かべて見せた。さっきの忍のように。
 そして、感謝の念を込めて言う。

「お前が『友達』で良かったなって思って」

 ただの友人、という存在がこんなに有難く思える日が来るなんて思わなかった。だから本当にありがとう、と。そんな気持ちからの俺の言葉に、けれど忍は僅かに顔を歪めて見せた。

――え……?

 ほんの一瞬だけ引き攣った忍の右頬に、ふっと俺の口元から笑みが消える。だが、見間違いだろうかと瞬きをした次の瞬間にはもう、忍は元通りの笑顔を浮かべていた。

「ははは。めーちゃん、もっと俺に感謝してくれてもいいんだぞー?」

 なんだ、気のせいか、と。
 すっかりいつも通りの調子に戻った忍に、どこか傷付いた風だった忍の表情を俺が忘れてしまうまで、そう時間はかからなかった。





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