07






「別に、俺、大丈夫だし。どうせ謹慎とかそれくらいしか出来ないっつーんなら、やんなくても状況的には変わんないだろうし。そんなことで風紀の人の手ぇ煩わせんのもなんだかなー、って」
「ちょっとめーちゃん、何言っちゃってんの〜? 自分がアイツに何されたか、ほんとにちゃんと解ってるぅ?」
「解ってるよ。解ってる、けど……」

 なんと伝えたものか。誤解を招かずに上手く説明する方法が見つからなくて言葉を濁せば、まさか、と二木せんせーがソファから立ち上がった。その拍子に、がちゃんと音を立ててティーカップが倒れる。

「お前、阿良々木に脅されでもしてんじゃねぇよな」

 パタリ。琥珀色の液体がローテーブルを伝って、床に染みを作る。ぱたぱた、ぱたぱた。続けざまに落ちた水滴は二木せんせーのスラックスの裾にも飛ぶ。
 ああ、早く洗わないとシミになってしまうんじゃないだろうか。落ちなくなってしまうんじゃないだろうか。そんな心配をする俺をよそに、二木せんせーは零れた紅茶のことなど気にもかけずに続ける。

「アイツになんか弱み握られてて、そんで、だから庇ったりしてるとかじゃねぇよな」
「まさか、そんなこと――」
「そうじゃなかったら!」

 そんなことあるわけない。笑い飛ばそうとした俺だが、二木せんせーの凄い剣幕さに口をつぐむ。

「じゃなかったら、なんでンなこと言うんだよ。なんで庇ったりするんだ! あいつは!」
「……せんせー」
「お前のことを、」
「っ、二木先生!!!」

 感情的に言い募るせんせーの声を遮れば、二木せんせーはハッとしたように口を閉ざした。俺はそれを見て数歩前に踏み出す。そしてせんせーの真正面に立ったところで、深呼吸を数回した。
 せんせーも忍もうーたんも、みんな、俺のために怒ってくれている。それが不謹慎だけど少し嬉しくて、それと同時に、ほんの少しだけ心苦しかった。

「もしかしたら、忍からもう聞いたかもしんないですけど」

 そう前置いて、俺は体の脇でぐっと拳を握りしめ、二木せんせーを見上げた。せんせーは、話のつながりが解らないのか困惑したような目でこちらを見下ろしてくる。

「ワタルは……俺の友達、でした」

 本当は、です、と言い切りたいところだけれど、そう思っているのは俺だけだろうから過去形にする。

「ネットしか繋がりはなかったけど、フツーに話したりバカやったりしてた、友達でした」
「……ああ」
「友達、だって、思ってたんです」

 ずっと、そう思っていた。ワタルからのストーカー行為が酷くなって、ネトゲでもツイッターでも関わらないようになっても。それでもその内、お互い落ち着いて適切な距離感でまた接し合えるようになれるんだろうって、ずっと思っていた。
 だからこの学園に転入してきて、またワタルにツイッターで付きまとわれるようになっても、忍にも誰にも言わずにいた。けれど。

「でもそれは、間違いでした」
「……」
「そう思ってたのは俺だけでした。ワタルは俺のこと、友達だなんて思ってなかった」

 だってあれは、「友達」に向けるものじゃない。何度もワタルから伝えられてきた「愛してる」という言葉の意味を、俺は今更、ようやく理解したのだ。

「だから、俺が悪いんです。アイツの気持ち、ちゃんと理解しようとしてなかったから。そのせいでワタルのことを傷つけて、こんなことになった」

 自業自得です、と自嘲的な笑みと共に零す。めーちゃん、と右側からうーたんの声がした。
 それには答えず、まっすぐと二木せんせーを見つめ返したままの状態で「君島委員長」と俺は呼びかける。

「事情聴取、やっぱりまた今度でもいいですか。なんか、思いのほか俺疲れてるみたいなんで」
「ええ……それは構いませんが」
「ワタルのことは、保留っていうか、そういう形にしといてください」

 お願いします、と顔も見ないままに言ってから、俺はせんせーのすぐ隣にいる西崎を通り越して、その更に隣へと視線を移した。

「……忍」

 たしなめるように呼びかければ、忍は君島委員長を睨みつけたままにぐっと拳を握りしめる。そして「いつも通り」の声でこう返した。

「どうかしたか? めーちゃん」

 にっこりと、俺に向けられた作り笑顔が痛い。パッと見、爽やか王子とかもてはやされているいつもの眩いほどの笑顔に見えるけれど、その右頬が若干引き攣っていることに俺はしっかりと気付いていた。
 どうやら、忍にも随分心配をかけてしまったらしい。もしくは、罪悪感とか責任とか、そういうのだろうか。
 自分はワタルのことを知ってたのに、とか思ってそうだな。別に、そんなの忍のせいだなんてありえないのに。

――全面的に、悪いのは俺なのに。

 変なところで生真面目なやつだなとちょっとおかしく思った。

「帰ろう、忍」

 俺たちの部屋へ。













 護衛を付けるという君島委員長の提案を断って、俺は忍と二人だけで風紀委員室を後にした。角を曲がって西に面する廊下に出る。
 そうして目に飛び込んできた夕焼け色に染まるリノリウムの床に、そこでようやく俺は今がもう夕方だということを知った。案外、長いこと眠っていたらしい。

「……あのさぁ、スーザン」

 二人きりになったところでようやく忍をハンドルネームで呼ぶ。鈴木忍、という本名よりも長い間定着していたそれを口にすることで、少しだけ混乱しきっていた心が落ち着いた気がした。

「俺さ、さっき……っていうほどさっきでもねぇけど」
「うん」
「告白されたんだよ、西崎に」
「うん、西崎に聞いた」

 やっぱり。なんとなくそんな気がしていた。
 風紀委員室でみた西崎は、怒っているのも勿論だけどそれよりもなんだか悲壮な表情をしていたから。自分が俺と離れなければとか、そういうことを言ったんじゃないかと思っていたのだ。

「先に言うけど、西崎のせいじゃねぇからな」
「解ってる」
「お前のせいでも」
「……解ってた」

 今度は語尾を変えて、忍は続ける。

「めーちゃんが、俺にそう言うだろうなって、解ってたよ。でも、」

 不意に、忍の歩みが止まる。斜め前に伸びる俺の影に寄り添っていた忍の影が無くなったことでそれに気付いた。
 中途半端に途切れた不安定な声色に、胸がざわつく。

「俺は、ずっと前からワタルがめーちゃんに執着してることを知ってた。ワタルがどれだけめーちゃんに執着してるのかも、最近は平和だったのに、また急にめーちゃんにリプ送ってきてたことも」
「……忍、だから」
「なのに俺は、何もしなかった!」

 諌めようとする俺の声を遮るように、かつ割り込む隙を与えぬように忍は早口で続ける。

「めーちゃんが危ないかもって知ってたのになんもしなかったし、めーちゃんがなかなか帰ってこなくてもどっか寄り道してんのかなあってそれくらいしか考えなかったし、西崎がめーちゃんはどうしてるかってメールして来てそこで初めてめーちゃんが危ないって気付いて、」
「忍」
「そもそも、俺、めーちゃんがまたワタルにストーカーされてたことにも気付けないで、めーちゃんとワタルを引き合わせたのも俺なのに、なのに、」
「なあ、忍ってば……」
「ぜんぶ、全部全部俺のせいだ。俺がもっと早く気付けたら、めーちゃんは……!」

 自分自身を殺してやりたいとでも言いたげな顔で、忍は吐き出した。力のこもったその言葉の一つ一つが痛く、胸に突き刺さる。
 ああ、だからあんなに君島委員長につっかかっていたのかと、妙に納得した。スウと息を吸う。

「それは、違うだろ」

 論破、じゃないけれど。ただひたすらに自分を責める忍を真っ向から否定する言葉を強く紡ぎ出す。

「それは違うだろーが。お前が、一体なにをしたんだよ」
「……めーちゃ、」
「お前が気付けなかったのは俺が悟らせないようにしてたからだし、そもそも、ワタルを今日こんな風にさせるまでにしたのは、俺だろ」

 そうだ、俺だ。他でもない俺がワタルとの関係を、それから、西崎との関係も壊してしまった。

「俺が、ワタルの気持ちにもっと早く気付けてたらこんなことにはならなかった。俺がもっと視野の広い人間だった、こんなことにはならなかった。俺が、」

 俺が、と更に列挙しようとしたところで、前からぐっと伸びてきた掌がそれを阻む。ぴたり、と忍の体温が俺の声を押さえつけるように口元を覆った。

「めーちゃん、」
「……」
「そんなこと、言わないでよ……っ!」

 ぐしゃりと歪んだ、泣き出しそうな顔。夕日に照らされるそこには、学園中に爽やか王子だなんて呼ばれる男の影なんて欠片もない。
 なぜだか急に、忍のこんな顔を知っているのはもしかしたら俺だけなのかもなあなんてことを考えてしまう。

「……言わねぇよ」

 だからお前も、なにも悪くないのに自分を責めたりしないでくれ。そんな思いを込めて、忍の手首をぐっと握りしめる。
 冷たかったワタルの手とは違う、けれど、保健室での西崎の手のような熱も孕んでいない、あたたかい手。友達だったはずの二人とは違う手の感触に俺はほっと息を吐いた。

「言わないから、安心しろ。そんで」
「うん」
「俺の話、ちょっとだけ、聞いてくんないかな」

 そろそろキャパオーバーで熱暴走でも起こしそうだと付け足せば、それは大変だと言って、忍は笑った。





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