05






「副委員長! 被害者、は……」

 焦燥感の滲む声でそう言いながら、閉じられていたほうのドアをガラリと開けて誰かが教室内に飛び込んでくる。しかしその彼は、あたりを見回して俺の姿を目に留めた瞬間ハッとしたような顔をして言葉を途切れさせた。

「しっ、失礼しました!」

 慌てて後ろを向く風紀委員の生徒。見てはいけないものを見てしまったかのような反応に首を傾げるも、すぐにその理由は明らかになった。

 今の俺は、下半身こそうーたんのパーカーのお陰で隠れているものの、上半身はシャツ一枚。それも思い切りはだけている。その上、晒された肌にはワタルが付けた噛み痕やらキスマークやらが大量に残っていた。
 まあ、こんな格好だし、仕方ないか。苦笑していると「ちょっと待て」と腕章を付けた彼の後ろ姿に向かって言ったうーたんがスタスタと俺の前までやって来る。ひょいとその場にしゃがみ込まれれば、視線の高さが同じになった。

 うーたんの顔には、相変わらず表情がなかった。殴り合いのせいで結びなおしたばかりの髪もまたボサボサになっているし、血は出ているし。
 外見はもちろんのこと、纏う雰囲気までなんだかいつもと違っていて、少しだけ怖くなる。

 すっと手を伸ばされて、俺は思わず後ずさろうとしてしまった。けれどうーたんは、特に気に掛けた様子もなくパーカーを握りしめる俺の手を取り上げた。
 何度もワタルを殴ったせいだろう。うーたんの手は、指の付け根の出っ張った辺りの皮が赤く擦りむけていた。

――痛く、ないのかな

 思ってから、すぐさま馬鹿げた問いだと考え直した。
 痛いに決まってる。ただ、うーたんがそれを顔に出さないだけで。

 俺の動きを封じ込めていたネクタイを解くと、うーたんは、手首に出来た擦り傷をそっと指先でなぞった。労わるような、優しい動き。

「……一応聞くけど、未遂? 最後までされてないよね?」
「ああ、一応……」

 なんかもう、一発抜かれちゃったし散々喘がされちゃったし、先っぽだけとはいえ尻に指入れられちゃったし。完全に無事だとは言い切れない。
 でも。

「うーたんが来てくれたから、だから」

 だから大丈夫だ、と。そう伝えたのとほぼ同時に、視界が白で埋め尽くされた。背中に爪を立てるくらいの勢いでぎゅっと抱きしめられて、うーたんに抱きしめられたのだと気付く。

「……うーたん?」

 なんだか、俺のシャツを握る指先が震えているような。どうしたのかと声を掛ければ、ぐりぐりと額を肩口に押し付けられた。

「よかった、間に合って……!」
「うーたん、ちょ、苦し」
「ほんと……ほんとに、」

 よかった、とうーたんはぽつり零して、はーっと深く息を吐いた。心底安堵したような様子に、俺はもう何も言えなくなってしまう。
 この状況で、肋骨が痛いから離してくれだなんて言えるほど俺は無神経じゃない……つもりだ。
 なんと声を返すべきなのか。解らなくて、迷った末に俺はうーたんの背中にそっと腕を回す。

「うーたん」
「うん〜?」
「……あり、がとう」

 改めて口にするのは少しだけ恥ずかしかった。でもまあ、「どういたしまして」とうーたんが笑ってくれたから、それでいいか。
 ようやくいつも通りのうーたんに戻ってくれたことに内心ほっとしながら、俺は黙ってうーたんからの抱擁を受け入れた。













「嫌かもだけど、ちょっとごめんね」

 暫くの後、ようやく落ち着いたらしいうーたんは、そう言うなり俺の下半身から自分のパーカーを取り上げた。

「ちょっ、うーたん?!」

 待て待て待て。俺、色々丸出しなんですけど???

「えっ、ちょ、ちょっ?!」
「はいめーちゃん、腰浮かせてー」
「えええ」
「はい、ドーン!」
「えええええええ」

 混乱しきった頭では、うーたんからパーカーを取り返そうという行動を取るどころか、とりあえず手で隠すとかいった考えすら思いつけない。
 ただワタワタと慌てふためき手を彷徨わせていると、うーたんはにこにこ笑顔のまま俺の腰を床から浮かせ、その僅かな隙間を使って手早く俺の下着とスラックスを引き上げた。

 ひいいいいい。色々丸出しだったものが隠れたのはいいけど、なんというかその、色々良くない。俺の精神衛生状態的に。

「ちょっと気持ち悪いかもだけど、今だけだから我慢してね〜。すぐにシャワー浴びせたげるから」
「えっ、あっ、ああ……うん」

 告げられた言葉の意味もよく解らないまま頷く俺。うーたんは、へらっと笑ってそのまま俺のシャツに手を伸ばすと、ワタルが外したボタンを順に留めて行った。
 ワタルといいうーたんといい、やけにボタンの留め外しが早い。不良はみんな手先が器用なんだろうか。

「はい、オッケー。秋山ぁ、こっち向いていいよ〜」
「あっ、はい! すみません、副委員長」

 パンパンとうーたんが手を叩いたのを合図に、ドアのところに立っていた風紀委員が恐る恐るこちらを振り向く。
 そうして明らかになった彼の顔と、うーたんが口にした名前。その二点から、俺はようやく、それが以前風紀室で俺たちに食堂のデリバリーを運んできてくれた秋山くんだったことを知った。

「八木先輩、でしたか。被害者は」
「あはは。秋山くん、やっほー」
「先程は失礼しました」
「あー、いいよ。っていうか、俺こそ変なモン見せちゃってごめんね」
「……いえ、」

 ペコリと頭を下げてきた秋山くん。うーたんを真似てへらりと笑ってみせれば、少しだけ右頬の筋肉が引きつるような感覚。それを受けて、なぜか秋山くんは何か言いたげな奇妙な表情を浮かべた。
 ……なんでだろう?

「あき――」

 俺、なんか変なこと言ったかな。気になって声を掛けようとするも、それより先に、またうーたんにグイと抱きしめられてしまう。まるで、俺の顔を秋山くんから隠すような形で。

「秋山、アイツはぁ?」
「今、警備に当たっている委員以外の全員で追跡・捜索に当たっています」
「イインチョーは?」
「委員長も別ルートにて追跡中です」
「そう、なら良かった。ええと、じゃあ〜……めーちゃんの担任、誰だっけ?」

 半強制的にうーたんの胸板へ押し付けるような形になっていたところへ、顔を覗き込むように問いかけられる。

「二木せんせー、だけど」
「じゃあ、二木せんせーにも連絡しといて。あとはスーザン……鈴木忍にも。2年A組で、めーちゃんの同室者」
「解りました」

 つらつらと淀みない口調で秋山くんに指示を出す間、うーたんはずっと、ポンポンと俺の背中をそっと叩いていてくれた。寝付けない赤ん坊か泣き止まない子どもによくやるようなアレだ。
 その手の温度がなんだかやけに心地よくて、さっきまでの疲労も相まって一気に瞼が重くなる。
 加えて耳元でうーたんの声がしていたら、もうダメだ。こんなに安心できる状況で眠らずにいるなんて、正直無理だとさえ思う。

 それでも、寝たらダメだ、とうーたんのシャツをぐっと掴んで耐えていると、うーたんは俺の様子がおかしいことに気付いたらしい。

「めーちゃん? ……もしかして、眠い?」
「なんか、そーらしー……」

 うつらうつらと船をこぎ始めた俺を見て言ううーたんに、俺はたどたどしい口調で返す。クスリ、と頭上で誰かが笑う気配。

「いいよ、寝てて」

 おやすみ、という優しい声とともに、髪を撫でつけるように頭をそっと撫ぜられた。
 ああ、もうだめだ。限界まで到達した眠気に、俺はそっと瞼を閉じる。

「おやすみ、うーた……」
「――おやすみ、めーちゃん」

 意識を手放す直前。もう一度繰り返された「おやすみ」と共に、頬っぺたに温かくてやわらかい感触が降ってきた。

「……ごめんね」

 そんな贖罪の声が聞こえたような気がしたのは俺の気のせいか、それとも。

――なんで、うーたん、謝ってるんだろう……

 おぼろげな思考でそんなことを考えるも束の間。俺は眠りの世界に落ちて行った。





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