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一人にしてほしい、と言われた。
まあそりゃそうだよなあと思って、震えたその声に俺は無言で頷いた。
そうして西崎をひとり保健室に残してきたのだが、彼はちゃんと濡れたシャツを着替えただろうか。これでもし、明日風邪で休みにでもなったら。本当に合わせる顔がなくなってしまう。
今日はテスト最終日なため、午後の授業などはもう無い。寮に帰ろうか、このまま意味もなく歩き回って頭の整理をしようか。迷いながら、ぺたぺたと足音をたてて進む。
そういえば、筆記用具などを入れた薄っぺらな鞄はどこへやったんだっけ。食堂へ入った時までは持っていたはずだから、あの騒動の前後にどこかに置いてきたのだろうか。
忍あたりが、回収してくれているといいのだけれど。
全く周りが見えていない自分に気付いて、ひとり、溜息を吐く。
「俺って、無神経だったのかね……」
特に何も考えずに、理一を逃がすという目的の為だけに選択した食堂でのあの行動も、今となっては、西崎を傷つける刃としか思えない。
こうやって無意識のうちに傷つけたことが、今までに何度あったのだろうか。考えるだけで死にたくなる。
思えば、ワタルの件だってそうだ。
当初イタズラかなにかなのかと甘くみていたら、どんどんとエスカレートしていって。今ではもう、リアルに辿り付かれてしまうほどまでに、その執着心は成長している。
今回の理一のことだって、理一が好き勝手貶されているのをみていられなくてついつい取ってしまった行動だったが、思い返してみればバカだとしか言いようがなかった。
あんな風に逃がすだけでは逆に理一への不審感を生ませることになったかもしれない。本当は理一本人が強く否定したほうが良かったかもしれない。それとも或いは、志摩や本村アカネが直接否定したほうが早く解決したかもしれない。
一度思い始めたら欠点は次々に浮かんでくる。自己嫌悪に押しつぶされそうだった。
両肩にずしりと重くのしかかるそれから少しでも逃れようと、再び大きく息を吐き出す。すぐさま憂鬱の音へと変わったそれが、無人の廊下にやけに大きく響いた――そのとき。
「あ……」
数メートル先。薄暗い曲がり角から、人影。
すっと音もなく現れたのは、いつの日か振りの、
「――何してた?」
「え?」
目が合ったかと思えば、彼は唐突に問うてきた。いまいち意味が理解出来なくて問い返す。すると彼は不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、繰り返した。
「何してたんだ。あの、関西弁と」
「関西弁……?」
それが西崎のことを示している言葉であろうことは自ずと知れる。けれど、気にかかるのは、どうして彼が俺と西崎が一緒にいたことを知っているのか、ということで。
ただただ困惑するばかりの俺に、彼は苛立たしげにチッと舌を打った。
「食堂でも妙な茶番をやらかしてるしよォ? 誰と誰か恋人同士だっつうんだよ、ふざけやがって」
「なに言って……」
「会長といい書記といい、誰彼構わずタラし込んだかと思えば、スーザンといいアイツといい、見せつけるようにベタベタしやがって」
こいつは一体、何を言っている?
ただでさえ西崎のことでいっぱいいっぱいだった脳味噌が、不測の事態にエラーを告げていた。脳裏に浮かぶのは、赤いランプがけたたましい音を立てながら回転している映像。
緊急事態発生、緊急事態発生。これ以上思考を続けることができません。そんな機械的な声すら聞こえてきた気がする。
それでも、なぜだかこの現状を「意味が分からない出来事」で済ませてはいけない気がした。
俺は考える。
誰か、他にも、西崎のことを関西弁というやつが居なかったか。理一とのことを、志摩とのことを知っているやつが居なかったか。
或いは――
「しかも、ここんとこは全然呟いてもいねェし」
――或いは。忍の、スーザンというHNを知っているやつが、うーたん以外に居なかったか。
「お前は、よっぽど俺にヤキモチ妬かせてェみてーだなァ?」
ハッとして、俺は一歩後ずさる。けれどそれを笑うように、目の前に立つ男は一歩こちらに踏み出してきた。しかもその一歩は、俺の一歩よりも大きい。
一歩、一歩と後退と前進を繰り返すうち、徐々に男との距離は狭まっていく。さっきの時点ですでにカラカラだった筈の喉が、更に乾きを覚えていた。
ここに居てはいけない。本能がそう告げる。
逃げ出さなければいけないと思うのに、鉛のように重たくなった足では、じりじりと後退するのが精一杯だった。
「嫉妬させたかった、ってんなら、それは大成功だな」
一歩、また一歩。男がこちらに近付いてくる。彼は何の前触れもなく制服のポケットへ手を突っ込むと、そこから折り畳み式の携帯電話を取り出した。
どこか見覚えのあるそれは、俺と同じ機種の、色違いの携帯。
「けどなァ……残念ながら、俺はそんなに心の広ぇ男じゃねぇんだよ」
視線はこちらに向けたまま、男は携帯を開くと、カチカチと何やら操作する。
やがて、入力が終わったのか決定キーを最後に押して、それから、パタンと携帯を閉じた。
「さァて。遊びはここまでだ――ヤギ」
「――――わた、る」
渇いた声で、目の前に立ちふさがる金髪の男の名を呼ぶ。彼――ワタルは、嬉しそうにニィと口端を持ち上げた。
「会いたかったぜ、ヤギ」
俺はできることなら会いたくなかった、なんて。そんな軽口を叩く余裕はなさそうだった。
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ワタル@lovelove-goat
@meemee-yagisan に が さ な い
05.テスト期間なう END
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