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「ほんっとーーに、悪い!!!」
痴話喧嘩は嘘なわけで、つまり俺たちに「静かに話し合う」ことは必要ない。
ならば西崎の部屋に行く必要もないわけで。とりあえず濡れ鼠な西崎をなんとかしようと、俺たちは保健室へやって来ていた。
「まじごめん。勝手に、巻き込んで」
ごめんごめんと何度も謝りながら、手だけは休めずに棚を漁る。
テスト期間だったせいなのか、保健室は無人だった。けれど前回の斎藤くんのときに見たお陰で、どこに何があるかは把握している。
まずはタオルを取り出して、もう一度謝罪の言葉を口にしつつ、びしょ濡れな西崎に手渡す。
「あとは、シャツ……シャツシャツ、っと、あった」
「……なあ、めーたん。あのさ」
「ん?」
どこか切実そうな西崎の声に、がさがさと新品のシャツを漁っていた手を止めて振り返る。すると、濡れた髪を拭うためにかぶったタオルの下から、まっすぐな視線がこちらを射抜いていた。
「めーたんって、生徒会長とどういう関係なん?」
ぎくりとした。その視線の鋭さにも、質問の内容にも。
慌てて西崎に背を向け、再び無意味にシャツの山を漁り始める。
「ていうか西崎、お前シャツのサイズ何?」
「なあ、めーたん」
「M? L? それともLL?」
「……L、やけど」
いつの間に背後に立ったのか、思いの外近くから聞こえた声。隠しきれない怒りの色が混じったそれに、やばい、と内心で焦るが、時すでに遅し。
とん、という軽い音とともに、すぐ脇の閉まったままのガラス戸に西崎が手を付いた。恐る恐る首だけで振り返れば、すぐそこに西崎の顔。
ああ、これが噂の壁ドンってやつか――なんていう現実逃避をする暇さえ、西崎は許してくれない。
「話、逸らすんはやめてーや」
とてもじゃないが、これ以上はごまかせそうもない空気。それでも、強すぎる視線からだけでも逃れたくて俯く。
西崎の肘から滴った水滴が、リノリウムの床にパタパタと小さな水溜りを作っていた。
「……ごめん」
自分勝手な都合で振り回しておいて、その事情は話したくない、なんて。さすがにそんなのは許されない。
「ごめんやのうて、なあ、どうなん?」
「どうって……」
「めーちゃん、さっき生徒会長のことかばったんやろ? なあ?」
「違う?」と問いかけながら、西崎はぐっと顔を近付けてきた。俯いていても、かすかにかかる吐息だけでその近さは解る。
「ちがく、ない、けど」
「けど、なんや」
「西崎お前、さっきから近い」
一体何なんだ、この状況は。
脳味噌がパンクしそうな中、現在進行形で徐々に距離を詰めてくる西崎の顔を押し返そうする。が、そんなささやかな抵抗は、出した腕を逆に引かれ抱き締められたことによって、失敗に終わった。
「ちょ、西崎っ!」
これはもう、顔が近いどころの騒ぎではない。水に濡れた西崎のワイシャツに顔が押しつけられている。
ひんやりとしたその感触とは裏腹に、熱でもあるのかと疑いたくなるほど、背に回された西崎の腕は熱かった。
「なあ、俺、言ったやろ? 本気で落としにかかってもええ? って」
骨が軋みそうなほどに強く俺を抱きしめて、西崎はそっと囁く。確かその言葉は、俺が転入してきたその日に、西崎が俺に言った言葉だ。
「覚えとる?」
問いかけられて、腕の中でこくりと頷く。
「めーたんは、あれ、冗談やって思っとるかもしれんけど。本気やから」
「それ、って」
「ほんまに、俺、めーちゃんのこと好きやから」
……なんだ、それ。
思わず西崎の顔を見上げようとするが、西崎の大きな手のひらに邪魔された。
「アカンて。今、めっちゃ情けない顔しとるから見んといて」
「いや、お前が情けないのとか、今更じゃね」
「うわあ、ひっどいわあ! せやけど、そんなところも含めて好きやで。めーちゃんのこと」
「……え、ていうか」
マジですか。
うっそだろお、とチラと視線だけを持ち上げてみれば、僅かにだけれど、俺の肩口に鼻先を埋めた西崎の耳が目に入った。ほんの少し色の抜けた茶の髪から覗くそれは、いつもとは違って、真っ赤に染まっている。
――照れている、のだろうか
そう思ったら、途端になんだか恥ずかしくなってきた。かああっと顔が熱を持つ。
「最初は、めーたんの思ってる通り、ふざけてたんや。転入生ってだけで珍しいんに、なんか、ちょっと変わっとるやつが来たなぁて」
「……」
「せやけど、一緒に同じクラスで過ごすうちに、ぶっきらぼうなようで結構回りのこと見とるとことか、さりげなく気遣い出来るとことか、ええなあって思って」
そんで、と。やけに熱の籠もった言の葉を、西崎は吐き続ける。
「気付いたら、アカンかった。もう、好きで好きでしゃーなかったん」
「……にし、ざき」
「せやから、」
ぎしり、と背骨が軋んだ音を立てた。より一層強く、西崎の胸板に顔を押しつけられる。
どくどくと、耳に直接入ってくるこの鼓動は、俺のものなのか。それとも西崎のものなのか。それすら解らなくなった。
「めーちゃんが、さっきみたいに会長のこと庇ってるみたいなんとか見ると、やっぱ、嫉妬してまうんよ。正直言うと、普段クラスのやつらとかと話しとんの聞いとるだけでも、しんどかったり」
する、ので。
「めーちゃんが俺のことを恋愛対象として見とらへんのは、なんとなく解っとるんや。せやから、さっきもあないなことが出来たんやと思うし……やから」
すう、と数回深呼吸をして。それから西崎はグイと俺の肩を掴み、ゼロだった距離を一気に開いた。
「もしよかったら、俺と付き合うてください。ダメやったら、思いっきりフってやってください!」
今まで堪えていた気持ちを吐き出すかのように、西崎は早口に言った。ぎゅうと力いっぱい掴まれた肩が痛い。
けれどそれよりも、未だかつてないくらい真っ赤な西崎の顔を改めて正面から見て、ただただ心臓のあたりが痛かった。
「あ、……」
何か言わなければ。何か、答えなくては。
そんな衝動に駆られて口を開くも、喉がカラカラで言葉らしい言葉は発せそうにない。
どうしよう。どうしたらいいのだろう。答えを探すように唇をなめる。ぱりぱりに乾いたそこは血の味がした。
「西崎、その、俺」
「……うん」
「その、……」
「ゆっくりでええで」
うまく言葉を返せない俺をなだめるような優しい声が、逆に苦しかった。
どうして俺なのかとか、いつからなのかとか、疑問は耐えない。けれど、ハッキリと言葉にされてみれば、ヒントはそこかしこに散らばっていた気がする。
たとえば、文化祭の準備中にスピーカーを取りに行った時のこととか。テスト前だからという理由で避けまくっていたときに、やけに悲しそうにされたこととか。
むしろ、あれだけされてどうして気付かなかったのだろうとすら思えてくる。
――いや、もしかしたら
少し考えたら気づけたものを、考えないようにすることで、見ないフリをしていたのかもしれない。
その可能性に辿り着いた、瞬間。
「――ごめん……っ」
そんな一言が、自然と口から飛び出していた。
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