07






 ぎしりとベッドに腰掛けて着信履歴から理一へコールする。無機質な呼び出し音が三つと続かない内に、もしもし、と理一の声が聞こえてきた。

「もしもし、理一?」
『俺の携帯にかけてんのに、俺以外のやつが出るわけねぇだろ』
「や、そりゃそうなんだけど」

 別に確認したわけじゃねぇよと唇をとがらせれば『重陽、』となぜか不機嫌そうな声色で名前を呼ばれる。

『お前、今日また志摩に会ったんだってな』
「ああ、まあ……なんか、たまたまというか、偶然というか?」
『同じ意味だろ、それ』
「ですね」

 自分の語彙力のなさが嫌になるな、全く。茶化すように自虐してみる俺だけれど、理一の反応は芳しくない。なんだか、何かに怒っているみたいな雰囲気が無言の中からビシバシと伝わってきた。
 一体、何に怒っているんだろう。俺、なんかやらかしたっけ?
 首を傾げ考えていると、ようやく理一が声を絞り出すように口を開いた。

『お前、世界史が苦手なんだってな』
「そうだけど、志摩に聞いたわけ?」
『……俺は初耳だぞ』
「は?」

 何が?
 俺が、世界史が苦手だってことが?

「いや、まあそりゃ、言ってねぇしな」
『なんで志摩なんだよ。俺じゃなくて』
「なんでって……」

 別に、志摩だから苦手科目を教えたとか、理一だから教えないとかではない。単に話の流れでそうなっただけ、なんだけれど――ていうか、あれ、もしかして。

「理一、そのせいでなんか不機嫌そうなわけ?」

 俺が、理一には教えたことの無かった苦手科目を志摩に先に教えたから? いやでも、まさか、そんなことで?
 半信半疑な俺。けれど、

『だったら何が悪い』

 そんなのあり得ないと否定し続ける俺の心を、理一はあっさりと打ち砕いた。
 いつかも聞いたことのあるような、どこか拗ねたような声。それに俺は、あの文化祭の日に北棟で人目を忍んで落ち合ったときのことを思い出した。

 そういえば、あの時にも理一は俺が志摩と関わったことに対して拗ねていたっけ。理一の不機嫌スイッチは志摩なのだろうか。
 ……それとも、もしかして。

「なに、嫉妬ですか? 会長サマ」

 理一の反応が、お気に入りのおもちゃを取り上げられた小さな子供のようで、ついついからかい口調になってしまう。
 ニヤリ。無意識のうちに弧を描く唇。
 理一に見られていたらさらに機嫌を損ねてしまいそうだ。電話越しでは見られないことは解っていても、空いた掌で気休めに口元を覆い隠す。

 妙な沈黙が、電波につながれた俺と理一の間に落ちた。かと思えば、しばらくの後に聞こえてきたのはどこか諦めたかのような溜息で。

「理一?」

 恐る恐る、どうかしたのかと呼び掛ける。一拍間を置いて返ってきたのは、「そうだよ」という半ばやけくそ気味な声だった。

『ああ、そうだ。嫉妬だよ。俺は今、嫉妬しているんだ』
「……へ?」
『俺の知らないお前のことを、志摩が知ってることが気にくわないんだよ。俺は』
「え、ちょ、理一?」

 あれ、ちょっと待て。そもそも今なんの話をしていたっけ?
 急に饒舌になった理一に混乱する俺。けれど理一は、そんな俺を待ってはくれない。

『俺のほうが先にお前と出会ったのに、なんで志摩なんだ』
「いやだから、なんでって……」
『なんで、俺じゃないんだ』

 俺が、と理一は繰り返す。

『お前のことは、俺が一番に、一番知っていたい。――こんな友人は、迷惑か』

 あまりにも切実な、まるで懇願でもするかのような声に息を呑む。こんな風に誰かに訴えかけられたことなんて生まれて初めてだ。
 適当な答えは返してはいけない、気がする。けれどだからといって、適切な答えなんて俺に解るはずもなく。

「迷惑なんかじゃ、ないよ」

 迷いに迷った末、ようやく出てきたかすれ声が紡いだのは、ただそれだけであった。
 一番が良いだなんて言われて、それになんと応えたらいいのかは解らない。けれど理一のそんな思いが迷惑かと問われて、迷惑だなんてとんでもない、と思ったことだけは確かな事実で。

「迷惑じゃない。むしろ――ちょっとだけ嬉しい」

 確かめるようにもう一度言えば、電話の向こうで理一はほっと安心したように息を吐いた、気がした。

『……なら、良い』
「うん」
『悪かったな、急に変なこと言って』
「いや、べつに」

 俺の人生、基本的に「変なこと」だらけだから。だから大丈夫だと言って笑えば、それもそうかと笑われた。失礼な。













 それから俺たちは、先程までの理一の不機嫌さなど無かったかのようにいつも通り話をした。

 志摩と本村アカネが戻ってきて少しずつ生徒会が正常な状態に戻りつつあることとか、でもやっぱり、理一専門のパソコン入力担当だった副会長がいないから少し手間取ってることとか。
 そろそろ授業にも出られるようになるかもしれない、という朗報に、俺が喜んだのは言うまでもない。

 本村アカネと同じ教室で授業を受けるようになることを思うと少し憂鬱だったけれど、理一が今まで通りのふつうな生活に戻れるのがただただ嬉しかった。
 テスト前ということもあって、どうするんだろうと内心ちょっと心配でもあったし。

『そういえば、志摩がお前のようすが変だったと心配していたが……何かあったのか?』

 理一がそう切り出したのは、お互いに一頻り目新しい話題を語り終えて、いつもならばそろそろ電話を切ろうかというタイミングでのことだった。
 恐らく、世界史の話を聞いたときに一緒に話されたのだろうその内容に、俺はギクリとする。

「え、なにかって?」
『それを俺が聞いてんだろ』
「や、特になんもないけど」

 むしろなんかあったっけ? という声を取り繕って見せると、理一は疑うような反応を見せた。けれど、俺の様子から何かあったとしても言わないだろうことを察したのだろう。すぐさま追及することを諦めてくれた。

『まあ、お前が言いたくないならそれでいいがな』
「……なんか、ごめん?」
『謝るくらいなら、心配させんじゃねぇっつうの』

 この俺を、とでも言いたげな俺様口調。いつもの理一とはちょっと違う、どちらかというと生徒会長サマモードな口振りだった。
 聞き方によっては高圧的ともとれるそれが、俺には少し嬉しかった。だって、わざとらしいその言い方が照れ隠しだということが俺には解ってしまうから。

 本当に心配してくれてたんだなあと思うと、じんわりと胸のあたりが暖まる。と同時に、正体不明の罪悪感のようなものがチクリと刺さった。

『ああ、そういえば』
「うん?」
『志摩から、お前に世界史のポイント伝えといてくれって頼まれたぞ』
「えっ、なにそれ」

 世界史のポイント?
 確かに、放課後話したときにコツくらいなら教えてやろうかとか言われたけれども。まさか、そこまで真剣に考えてくれていたとは。
 ぱちくりと目をしばたかせる俺だったけれど、そんな驚きは、理一が続けた「だから、あとでメールする」という言葉に簡単に塗り替えられた。

「メールって、……えっ? 理一、お前そんなに打てんの?」

 さっきでさえ「でんわしろ」の五文字しか送ってこなかった理一のことだ。テスト勉強法の要点だなんて、いちいちチマチマと打てるとはとてもじゃないが思えない。
 不安いっぱいな俺の言葉に、理一はハッと鼻で笑った。

『馬鹿にすんなよ? 志摩がメールしてきたのをお前に転送するくらい、俺にだってできるっつの』
「……あっ、そう。転送ね……」

 どこか自信満々に言う理一に、一気に脱力する。そりゃそうだ。理一が長文を打てるはずないことくらい志摩だって解ってるだろう。なんてったって、生徒会の仲間なんだし。

「なんか、」

 やだなあ、と。ぼそり呟く。

『あ? なんだよ』
「や、なんでもない」

 耳聡く俺の独り言を聞きつけたらしい理一には、ただ曖昧な言葉だけを返した。

 その後もしばらく会話を交わしてから、俺たちは電話を切った。
 理一から志摩のメールが転送されてきたのは、通話終了から20分ほど経ったときのことである。あれだけ大見得切っておいて、結局手間取ったのかと思うとちょっとおかしい。

 そんな理一を想像して、うっかり可愛いななんて思ってしまってから、俺ははっと我に返った。

「……今日、なんか、色々頭おかしいな。俺」

 じゃなきゃ、理一の機械音痴を知っているのが自分だけじゃないことに嫌悪感を抱いた理由も、理一をごく自然に可愛いなんて思ってしまった理由も、説明できやしない。
 志摩らしいとしか言いようのない、わかりやすく丁寧にまとめられた世界史のポイントを流し見しながら、ぎゅっと携帯を握りしめる。

――まずは、二週間。

 前向きに、うまいこと乗り切ろう。
 そうすればきっと、このおかしな思考回路も元に戻っているはずだろうと、なんの根拠もなくそう思った。





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