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 迷路のような狭い通路を駆け抜け、息を切らし、途中何度か出てきたおどかし役を逆に奇声でおどかしまくって。
 セリヌンティウスのためにひた走るメロスのように、必死の形相で走り続けた俺は、柳の木のようなものが立っただけの開けた空間に出たところで足を止めた。

「しっ……」
「し?」
「…………死ぬかと思った……」

 ぜーぜーと肩で大きく呼吸をしながら、不思議そうに首をかしげた二木せんせーに言う。
 なんだあれ。なんだったんだ、あれ。ばくばくいう心臓のあたりに右手を当て、深呼吸を繰り返す。左手では、走り出した時にとっさにつかんだ二木せんせーのスーツの裾をがっしりと握りしめたままだった。

「なんだ。お前、ホラー系だめなのか?」
「いや、映画とかは大丈夫だけど……自分の足で歩く系とか、あと、おどかし系が」

 むりです、と小声で吐き出すと、頭上からぶはりと吹き出す音。怪訝に思って顔をあげれば、そこには片手で顔を覆ってくつくつと肩をふるわせる二木せんせーの姿があった。

「なに笑ってやがるんですかコノヤロウ」
「いや、なに。その、……な? っぶ、くくくっ」
「オイコラ」

 いくらなんでも笑いすぎだろ。失礼だとは思わないのかとスネを蹴り飛ばせば、余計に笑い声がひどくなった。何でだ。
 じっとりとした目つきで俺が睨みあげると、二木せんせーは、ようやく少し笑いが収まってきたらしい。目尻にうっすら浮かんだ涙を人差し指の先でぬぐい取る。

「なんつーか、アレだな、アレ。……っく、くくく」
「だっ、から! さっきから何なんだよアンタは! バカにしてんのか?!」
「まさか」

 俺の顔を真っ正面から見るなりまた笑いをかみ殺し始めたせんせーにイラつく俺。せんせーはそれにけろりと返したかと思うと、こんなことを言った。

「お前にも、意外とかわいーとこがあんだなって思っただけだ」

 ふわりと優しくわらって、俺の頭へ手を伸ばす二木せんせー。さわさわと髪を撫でつけるように頭上を行ったり来たりを繰り返すあたたかい手の感触に、俺は、まるで金縛りにでも遭ったかのように動けなくなる。





ヤギ@meemee-yagisan
 【速報】4(@nininga-4)のタラシ疑惑浮上なう【拡散希望】





 そんなツイートが、何かのお知らせかのように俺の脳内で点滅して消えていった。

 ……ええと、これはいったい、なんと返すべきか。ぱくぱくと数回口を開閉させた後、俺の口から出てきたのは、次のような間抜けな台詞だった。

「……せんせー、もしかしてどっかで頭打った?」

 もしくは、西崎に叩かれた衝撃が脳にまで回ったか。
 そうとしか思えない、とほぼ断定の形で問うが、せんせーはそんな俺の言葉を笑って否定する。

「打ってねぇよ」
「じゃあ目ぇおかしくなった? それか急激に視力落ちたとか。眼科行ったほうがいんじゃね?」
「目もおかしくなってねぇっつうの」
「いやいやいや、ぜってーおかしいって。だって、じゃなきゃ」

 いったい何がどうなって、こんなかわいげの欠片もないような俺をかわいいだなんて言えるのだ。意味が解らない。
 理解不能にもほどがある出来事に全力で顔をしかめてみせる俺をよそに、せんせーは一向に頭を撫でる手を止めてくれない。

「まじで目も頭もおかしくなってねぇよ。でも、」
「……?」

 そこで、せんせーは不自然に言葉を切った。そうして、何かを確かめるように俺を見おろしてくる。いつもどこか気だるげな目元がすっと柔らかく細められた。まるで小動物か何かを見つめるような、そんな目だと思う。

――たぶん、だけれど。その目元に滲んでいるのは、愛しさとか、そういう類の……
 後から思い返してみたなら羞恥心の固まり以外なにものでもない俺の思考は、そこでせんせーが口を開いたことで遮られた。

「マトモな目と頭で見て、お前のこと、たべちゃいてぇくらいかわいいって思う」
「は……」

 はああああ?!
 なんっっっじゃそりゃ!!!

「なにそれ、きもっ! きっも!!!」

 ぞわわわわっと瞬く間に立った鳥肌に、反射的にせんせーの手を叩き落とす。頭を撫でられたとき、一瞬でも安心感を覚えてしまった自分が憎かった。

「どうした。急に警戒し始めて」
「どうしたもなにも、警戒すんに決まってんだろうが。この変態教師が!」

 たべちゃいたいってなんだ、たべちゃいたいって!
 物理的な意味なのか、それともそれくらいかわいいっていう比喩的なものなのか、ちょっと違ったほうの意味の物理なのか。まずはその辺りをはっきりさせてほしい限りである。

 ……なに? そういう問題じゃない? そんなの、解ってるに決まってんだろうが。
 フーッと牙を剥く俺に、せんせーはちょっと困った風に頬を掻いた。

「変態教師、なぁ。さすがにそれは心外なんだが?」
「だとしても事実だろ?」
「まあ、じゃあ、仮にそれが事実だとして。だとしても、その変態にさっきすがりついてきたのは誰だっけなァ?」
「……う、ぐっ」

 にたにたとイヤな笑みを浮かべるせんせーに、思わず言葉に詰まる。確かにさっきは思わずせんせーのスーツを掴んじゃったりしたわけだけど、それは緊急事態だったからで、つまり。

「つまり?」
「俺の意志じゃねぇっつー意味だよ! こんの、ダメ教師がッ!!!」

 ここが文化祭の出し物であるオバケ屋敷の中だということなどすっかり忘れて一喝した俺に、せんせーがまたぶはりと吹き出したのは、すぐその後のことだった。





 せんせーの笑いが止んで、俺の怒りも落ち着いた頃。
 俺とせんせーは、今度は手とスーツの裾ではなく、手と手を繋いで意外にも長いオバケ屋敷内をゆっくり進んでいた。

 ほらよ、と差し出されたせんせーの手を取ったのは、決して先の発言を許したからではない。単に、一人でゴール地点までずっと歩き続けるのが心許なくて、そこに二木せんせーしか居なかったから。それだけだ。
 つまり、ざっくり言えば妥協である。

「まあ、たべちゃいたいっつーのは冗談だけどな」
「冗談じゃなきゃ困るっつの」

 ぺたぺたと、ひんやりした闇の中を慎重に進む。落ち着こうという理性すら奪ってしまうようなBGMにもようやく慣れてきた。恐らく、ゴールはもうすぐそこだろう。

「でも、お前のことをかわいいと思うのはマジだからな」
「……できれば、そっちのほうも冗談だっつってほしいんですけど?」
「そりゃ無理だな」

 だってマジだから、なんてせんせーはうそぶく。それすら含めて冗談なのかと横顔をのぞき見てみるも、薄闇の中ではその表情を読みとることはできなかった。

「そういえば、さっき睨まれたっつったろ?」
「宮木さんに?」
「そう」

 どうせ何か余計なことでも言ったんだろうと、さっきと同じことを思って口にする。しかし、返ってきたのは予想外にも「ちげぇよ」というちょっと苦笑混じりの否定だった。

「よろしく頼む、って言われた」
「へ?」
「お前のこと。自分は学園では守れないから、よろしく頼む、って。そんで、自分がずっとお前の傍に居れないこと、すっげえ悔しそうにしてた」

 だから睨まれたんだと言って、せんせーは握った手にぎゅっと力を入れる。

「たぶん、もどかしくてたまんねぇんだろうなァ」
「……もどかしいィ?」
「そっ。ホントは自分がずっと傍に居れたらいいけど、そうはなんなくて。そんでもって、自分が欲しいポジションにいる俺がうらやましくてたまんねぇんだろ」

 せんせーは愉快そうに言うけれど、俺としてはなんだか複雑だった。だって俺は、宮木さんにそうまで思ってもらえるような存在じゃない。
 ぐっと唇を噛んだ。そのとき、不意に二木せんせーが足を止める。

「言っとくけど、俺もだからな」
「……なにが」
「もどかしいのと、うらやましいの」

 どこか苦しそうなせんせーの声に、脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされる。
 もどかしいのと、うらやましいの? せんせーも、誰かに対してもどかしく思うと同時に、誰かをうらやましく思っているのだろうか。話の繋がりが見えてこず困惑する俺に、二木せんせーが向き直る。

「――俺は。お前を見てて、いつももどかしい」

 え、

「俺……?」
「ああ、お前だ」

 空耳かと問い返した声には、あっさりと肯定のうなずきが返ってきた。





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