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まるで親の仇でも見るような目で自分を睨みつけてから、足早に立ち去った一人の生徒。その怒りに満ちた表情に、志摩飛鳥は、ひとり階段の途中に立ち尽くしたまま動けないでいた。
「……どうでもいい、か」
今の自分を見た人がそう思うだろうことは言われずとも解っていた。それでも、タイミングのせいだろうか。つきりと胸の奥が痛む。
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約四か月ぶり、だろうか。
つい先程、志摩は久方ぶりに剣道部が活動する武道館へ足を向けた。練習中に行くのはさすがに気が引けたため、文化祭の準備中で誰もいないであろうときをわざわざ狙って。
けれど、予想外にもそこには人がいた。かつて、竹刀を構え真剣に向き合った仲間、剣道部副部長の早川が、そこで志摩を待っていたのだ。
「帰れ」
ぴっしりと剣道着を身に着け、傍らに竹刀を置いて。道場の中央で正座をしていた早川は、志摩の姿を見るなりそう言った。
「お前はもう、ここに入って良い人間じゃない」
「……早川」
「二度と、俺にその顔を見せるな。――帰れ」
道場内に響いた静かな声は、志摩に対する怒りをはらんでいた。当然だと頭の隅では分かっていながらも、それでも志摩はショックを隠せなかった。
早川と志摩は、おそらくは友人という関係にあった。少なくとも志摩のほうはそう思っていた。
早川はスポーツ特待を貰って入学してきた一般庶民出身の生徒で、志摩は大企業の社長を父に持つ金持ちの家の息子。立場は違ったが、早川は、同じくスポーツ特待生として剣道に打ち込む志摩に対しごく普通に接してくれた。
一緒に必死に剣道と向き合って、数々の試合を乗り越えてきた。2年に進級し志摩が次期主将に選ばれたときも、真っ先に「おめでとう」と言ってくれたのも早川である。
次期主将という立場が伴う責任とプレッシャー、さらに生徒会の忙しさが重なって志摩がスランプに陥りはじめた当初、そのことに一番に気付いてくれた人物でもあった。
その早川に、見放された。
その事実は、思いの外志摩の心を揺さ振った。
「…………待っててくれる、とでも」
自分は、そう思っていたのだろうか。我ながら浅はかだと自嘲する。
何も言い返せないまま道場を後にした志摩は、ふらふらと校舎への道を辿った。早く灯里に会わなくては、と脳内はただそのことだけで占められていた。文化祭に向けてのクラス準備のこと、ましてや生徒会の仕事のことなんて、すっかり忘れていた。
そうして階段を上っている途中に、先程の生徒と遭遇したのだ。名前は八木重陽。志摩の想い人である佐藤灯里のあとの、二人目の転校生だった。
彼を見て、志摩は食堂でのことを思い出した。誰にでも強い影響を与える佐藤灯里を、彼がいともたやすく受け流していたことを。
彼はどうしてああすることができたんだろうか。なにか秘密があるのではないか。それを知れば、自分も強くなれて、プレッシャーなんかに押しつぶされず、さらにはあの苦しいスランプからも抜け出せるのではないか。
そう思ったら、抑えがきかなかった。
――その結果が、これだ。
志摩はバキバキに打ちのめされた。それも、正論という名の堅い拳で。
だが不思議と、志摩はそのことに一種のすがすがしさを感じていた。なぜ今まで自分はこんな簡単で当然で、でもとても重要なことに気付けなかったのかと感じるほどである。
「――言い訳、か」
知らぬ間に、自分は言い訳をしていたのだろうか。そうすることで努力することから逃げていたのだろうか。そう思ったら、激しい自己嫌悪に苛まれた。
いてもたってもいられない。そんな思いで、踵を返し階段を駆け上がる。
元々目指していた、行事好きな佐藤灯里がいるだろう1年の教室がある階を通りすぎ。階段を上って上って上って、最上階の廊下を進んで進んで進んで、息を切らした頃にたどり着いたのは。
「――――久しぶりだな、志摩」
手にしていた携帯電話を置きながら、突如、勢い良く生徒会室のドアを開け入室してきた志摩に、生徒会長・柏木理一は静かにそう言った。
「どうした? 佐藤灯里はここにはいないぞ」
いいのか? と。投げかけられた挨拶に返事をするでもなく、まっすぐに書記のデスクに向かった志摩に柏木はそう言った。
「いいんです、もう」
「へえ?」
「たぶんこれは……いや、あれは。恋なんかじゃなかった、ん、です」
あれは恐らく、志摩が弱っていたタイミングにちょっと優しくされたために「勘違い」をしてしまっただけだったのだろうと、今の志摩は思っていた。優しくしてくれる人なんて、佐藤灯里でなくとも早川だって柏木だって、それこそ佐藤灯里の嫌う親衛隊だって。たくさんいたというのに。
どうしてそのことに気付けなかったのだろう。視野の狭すぎる自分がまた嫌になった。
「恋じゃなかった、なぁ」
「……あの、会長」
「ああ?」
「仕事、してなくて」
すみませんでしたと謝罪の言葉を述べるとき、志摩は柏木の顔を見ることが出来なかった。また先程の早川や八木のように突き放されたらと思うと、ただただ怖かったのだ。
そんな志摩に、柏木はいいとも悪いとも言わず、ただちいさく笑って問うた。
「どういう心境の変化だ?」
「転校生の、八木に。説教をされまして」
「ハ――八木が、か? ……ああ、それで」
ぼそりと呟いて、デスク上の携帯電話を見つめる柏木。そのどこか納得したような表情に、志摩はふと違和感を覚えた。
「もしかして、会長、八木とお知り合いですか?」
「あー……いや、そうだな。まあ、お前なら大丈夫だろう」
しばしの思案ののち、柏木は自慢げにこういった。
「俺とあいつとは、相互フォローのフォロワー同士なんだ」
「……ふぉ?」
「フォロワー、な。気になるんなら自分で調べろ」
にまにまと至極愉快そうに笑いながら言う柏木に、志摩はただ「はぁ」と気のない返事をすることしか出来ない。
「なんだったらお前も始めたらどうだ?」
「はあ」
「立場なんて気にせず誰とでも付き合えるし、それに……」
「ストレスが溜まったときは愚痴も吐けるぞ」とさりげなく付け足してきた柏木に、もしかしたらこの人はすべて見透かしていたのだろうかと、少し怖くなった志摩だった。
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「ところで、会長」
「あん?」
「どうして、書類が全部手書きなんですか」
「そりゃあ、お前、アレだ。……早瀬がいねぇからだ」
パソコン入力担当だった副会長の名前を挙げて、察しろ、と柏木は苦々しげに言った。
文化祭開催まで、あと少し、だった。
03.文化祭うぃる END
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