01
講堂内。
一枚ガラスを挟んだ先には、ざわざわと熱気立つ多数の生徒たちの姿が眼下にある。前方を見やればステージ上で「第○×回 黄銅学園文化祭」と書かれた横断幕がひらめいていた。
全校生徒が収容可能なしっかりとしたつくりの座席は、ほとんどが埋められている。その様子を見て、俺は溜息をついた。
「この開会式さぁ、シュウ?」
「なんだ」
「…………自由参加なハズだよな?」
隣に立つシュウに問い掛ければうんざりしたような顔で頷かれる。だよな、そのはずだよなぁ。――なのに、
「一体なんなんだ、この出席率は……」
普通、文化祭開催直前ってもっとなんか準備とかあるもんじゃねぇの? と、きっと生徒会役員目当てで集まって来たんだろう生徒たちにちょっと呆れた。
「おい、八木ィ!」
遠くから投げ掛けられた声に振り返れば、いつもよりきちんとスーツを着こなした二木せんせーがひらひらと手を振っている。しっかりした服装なのにだるそうに見えるのは、なんかもうそんなもんだろうなと思わざるをえない。
「そろそろ始まんぞ! 準備しとけ」
「へーい」
「中村も持ち場につけよ」
「はい。……そんじゃあな、ハル。またあとで」
「ん。お互い頑張ってパシられようぜ」
顔を見合わせてへらりと笑い合うと、シュウは第一音響ルームを出ていった。ぱたり。静かに防音仕様のドアが閉じれば、機材だらけの部屋に俺ひとりが取り残される。
別に生徒会役員に興味があるわけじゃない俺たちは、二木せんせーに音響を手伝わされて講堂後方の二階部分にあるここに居た。
今朝、強制的にここへ連れてこられたときに「また音響かよ」と内心で思ってしまったのは言うまでもない。
しかし、それにしても暇だ。
機材の操作はもうわかる。開会式の流れも把握済みだ。音楽を流したりはしないから、それ以外に特別することはない。強いていうなら、仕事らしい仕事といえばマイクの音量調整くらいだ。
やることの少なさと果てしない手持ち無沙汰感に、退屈すぎて死にそうだ。
これ、俺必要だったのかなあと思ったとき、ふと階下に見覚えのある姿を見つけた。
「スーザンじゃん」
スーザンこと忍は、いつも通りニコニコと仮面のような笑顔を貼りつけた状態で講堂の真ん中らへんに居た。周囲には、学年もクラスもバラバラなチワワっ子たちが集まっている。
なにかを話し掛けられては笑顔を振りまく様子からすると、今は周りへのサービス中らしい。よくやるもんだ。
あれだけ作り笑いして周囲の期待に応えまくってたら、そりゃネットでくらい弾けたくもなるよな。妙に納得してしまう。
……あとで、労ってやるとするか。
そう決意をしたとき、フッと会場内の照明が落とされた。開会式スタートの合図だ。俺は手を伸ばして、司会者用マイクの音量を上げる。
『それでは只今より、第○×回 黄銅学園文化祭開会式を始めます』
きゃあっと歓声が上がるなか、スポットライトが照らすステージ上に理一が現れた。最初のプログラムは、生徒会長からの挨拶だ。待ちに待った生徒会役員の姿に歓声が高まる。
『えー……まずは、無事開催にこぎつけることができて嬉しく思う』
みんなお疲れ様、なんていう言葉から、理一の挨拶は始まった。
今日まで準備を頑張ってきた生徒たちを労りながら、校外からやってくるOBや保護者に失礼にならないように、とさりげなく注意を促している。毅然として真っ直ぐに前を見つめ淀みなく言葉を紡ぐ様を見ていると、やっぱり生徒会長なんだなあと今更ながら思い知らされた。
親衛隊のチワワっ子たちがきゃあきゃあ言いたくなるのがちょっと解る気がする。それくらい、挨拶をする理一は格好良かった。
――だが、しかし。
「やっぱし、あんま寝れてねぇのかな……」
ライトで明るく照らされていてもなお目元に色濃く残っているクマの存在に、自然眉間に皺が寄る。
食事と睡眠はちゃんと取れ。と、メールでも電話でも口酸っぱく言い聞かせてきたつもりだったけれど。これは、今日が終わったら強制的に寝かしつけるしかないかもしれない。
学生の本分である勉強に支障が出てはいけないとのことから、文化祭が一日のみの開催なのが唯一の救いだろうか。
『そして、最後に。』
ほっと息をついたとき、急に理一が纏う雰囲気が変わる。それを察してか、講堂内がちいさくざわめいた。
なんだ、急にどうした。突然の変化に不安になって席を立つ。向こうからはこちらが見えない仕様のガラス窓に貼りついた。
理一は相変わらず毅然とした表情をしている。ただその唇だけが、何か思い詰めたようにきつく噛み締められていた。
『俺が、生徒会長として今日まで仕事をこなせてきたのは、手伝ってくれた先生方や――』
そこで、理一は一拍呼吸を置いた。憂うように僅かに目線が下げられる。一体、なにをしようとしているんだろう。見守るすべての人が息を呑んだ直後、理一の双眸が再び前を見据えた。
血色の悪い唇が、ゆっくり開かれる。
『それから、……同じ生徒会役員として、ともに仕事にあたってくれた志摩のお陰だ』
ありがとう、と囁くような声とともに、パッとスポットライトがステージ脇で控えていた一人の男を照らした。言わずもがな、たったいま名前を上げられた志摩である。そこで、俺は初めて志摩の存在に気付いた。
てっきり、理一は今日も一人で仕事にあたっているのだと思っていたのだ。
昨日の放課後に会って以来の志摩は、理一と同じくどこか疲れた顔をしている。
目元のクマと突然のことに驚いている表情に、俺は、昨日あの後に志摩が生徒会室へちゃんと向かったことを悟った。
「……生徒会の皆様、じゃなくて、志摩様だけなの?」
「他の方々はどうしたんだろう……」
「つかそれって、かいちょーと書記しか仕事してねぇってこと?」
チワワっ子から地味っ子から、ちょっとチャラそうな一般生徒まで。理一の発言から生まれた小さな疑惑が徐々に広がって大きな混乱が生まれるその様は、まるで波のようだった。
なるほど、さっきのためらいはこういう事だったのか。無表情にたくさんの視線を浴び続ける理一を見て、ようやくその意図を理解した。それと同時に、本当はこんなことしたくなかっただろう理一をここまで追い詰めた状況と、自分の無力さに嫌気がさす。
ぐっと唇を噛み締め、睨み付けるように眼下を見下ろした――その時。
『――それから、』
理一と、目が合った。
気がした。
『もう一人、この場を借りて礼を言いたい人物がいる』
そんなはずない、理一からはこちらが見えないはずだ。わかっていても目がそらせない、ただひたすらに心臓が痛かった。
『陰ながらも、いつも俺のことを支え続けてきてくれた……俺の、大事な友人に』
ガラスの向こう。ステージ上で理一が笑う。
生徒会長としてはなかなか見せないその表情に、今まで以上に激しく講堂が揺れた。貴重な笑顔に照れる者、動揺する者、スマホを取り出して激写する者。
混乱、混乱、混乱だった。
『――ありがとう』
明らかに俺に向けられたものだと解るその言葉に、俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「…………なんだあれ、反則だろーが……」
ざわめきの中に、「それではっ、これより第○×回黄銅学園文化祭を開催致しますっ!!!」という司会者の慌てたようなアナウンスを聞きながら、俺はちょっと熱くなった頬を無意識に擦った。
初っぱなから色々と問題アリな文化祭が、ようやく開幕した。
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