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思いがけず、二木せんせーのちょっと意外な教師らしい一面を垣間見てしまったり、栗田さんら親衛隊員の本音を知ってしまったりした日から、しばらく経ったある日。一つの衝撃ニュースが学園中を駆け巡った。
「佐藤灯里が、元副会長と付き合い始めただぁ!?」
「そーっ! もう俺、びっくりしちゃってさあ」
「いやいやいや、俺だって今超びっくりだよ!?」
朝のHR前の教室でさらりと本村アカネから告げられた言葉に、俺はうっかりイスから転げ落ちそうになる。
(えええ、嘘だろ? ほんの一週間か十日前まで、ワタルをとるな! 理一をとるな! って言ってたクセにか?)
一体なにがあったんだろう。目を白黒させる俺に、あのね、と本村アカネは詳細を説明してくれる。
「ちょっと前に、あいつが八木くんに絡みに行った事件あったでしょ? あの時、二木せんせーに言われたことがきっかけになって、あれ以来、あいつなりに色々考えたみたいでさ〜。今、自分を好きだって言ってくれる副会長のことを大事にして、ちゃんと向き合ってみようって結論になったみたい」
「へ、へぇ〜」
元副会長こと早瀬さんは相変わらず佐藤灯里が好きらしいから、まあ、ギブアンドテイクというかWin-Winというか。
佐藤灯里は自分を一番にして欲しくて、早瀬さんは佐藤灯里と付き合いたくて、って。
見方によっては、ふたりの関係は釣り合っているといえば釣り合っているのかもしれない。
「でも、そっかあ。佐藤灯里と元副会長かぁ……」
これはまた一波乱きそうな気がするなあと溜息をつくも「んーん、それはないよ」と、本村アカネに思い切り否定されてしまった。なぜだ。
「副会長の親衛隊ね、実は秋頃からかなーり規模が縮小してきてるんだよね。ホラ、俺たちが仕事に戻り始めても、副会長ってずっと戻ってこなかったでしょ? さすがに失望しましたーって言って、やめちゃった子が多くて」
「そうだったのか……」
「いまも残ってるのは、副会長のファンっていうより『見守り隊』みたいな感じの子が多いんだよね。ダメな子が好き、みたいな母性本能くすぐられちゃってる感じの子」
だから、佐藤灯里に対して制裁は起こらないだろうと本村アカネは言う。
うん、まあそれならいいんだけども。
秋山くん、風紀委員長に就任以来、ずっと苦労続きであんまり休めていないようだから。
これ以上制裁だなんだが続くとなると、本気で胃に穴が空きそうで心配だし。
……うん、良かった。
良かった良かったと一人頷いていると、不意に本村アカネがぐっと顔を近づけてきた。
と同時に、周囲からの視線が一気に鋭さを増す。
「おい、やめろよ。新会長サマ」
俺を制裁で殺す気かと押しのけようとする俺の手を避けて、あのさ、と本村アカネはしきりに周囲を気にしながら囁いた。
「八木くんは、どうするわけ」
「どうするって……」
「だってホラ、親衛隊とも仲良く? なったって聞いたし、邪魔者もいなくなったわけだし? どうするのかな〜って思ってさ。だって、もうあんまり時間ないよ」
本村アカネの目が黒板脇のカレンダーへと向く。
時の流れは早いもので、いつのまにやらもう二月も中旬に入ろうとしていた。
今週末から来週末にかけてが、三年生の大学一般入試のピークといったところだろう。
そして、卒業式までももう残り一ヶ月しか残されていない。
理一との別れが、もうすぐそこまで近づいて来ていた。
「俺は、」
答えあぐねているうちに、キーンコーンと聞きなれたチャイム音が鳴り響く。
予鈴とほぼ同時にガラリと勢いよくドアが開いて、二木せんせーが教室内に入ってきた。
「おらー席つけ。HR始めんぞぉ」
「ちえっ、タイミング悪いなぁ」
本村アカネはつまらなそうに唇を尖らせると、仕方がないと言わんばかりに前を向いた。
「なんでもいいけど、八木くんが後悔しないような道を選びなね」
なんていうありがたくもない助言を、話がうやむやになったことにひそかに安堵してしまった俺に残して。
・
・
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「どうするの、って言われてもなぁー……」
ベッドに寝転がり、もうすっかり見慣れてしまった寮の部屋の天井を見上げて一人呟く。
放課後の時間を持て余した俺の脳内は、今朝の本村アカネとの会話で埋め尽くされていた。
あんな風に促されなくとも、そりゃ、俺だってそろそろはっきりさせなきゃいけないとは思っている。
理一のことも、それから、ずっと保留にしたままのうーたんとのことも。
別に佐藤灯里に触発された訳ではない。
けど、本当に真剣に理一のことを好きだったのだろう栗田さんたちにああまで言わせてしまったのだ。
どんな結果になるかは別としても、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかなかった。
(けど、どーしたらいいんだよ……)
今までゲームやアニメ、ネットにばかりのめり込んでいた罰だろうか。
びっくりするほどに恋愛経験のない俺は、どう一歩踏み出したらいいのか見当もつかなかった。
「だーっ! もー!」
もどかしくなって、ぐるぐると行き場を失ってしまった感情を発散するように雄叫びをあげる。
ひとりベッドの上でじたばたと暴れていると、ピンポーン、とインターホンが鳴らされた。
ハッとして時計を見れば、二本の針は俺にもうすぐ七時になることを教えてくれる。
いつのまにこんなに時間が経っていたのだろう。動揺する俺の耳に、続けて、玄関の方から聞きなれた声が聞こえてきた。
「めーえーちゃんっ! 夕飯行くでー!」
「おうっ、今行くー」
そういえば、今日は西崎たちと一緒に食堂で夕飯を食べる約束をしていたのだった。
今朝の本村アカネショックのせいですっかり忘れていた。
慌ててベッドから起き上がると、上着をひっつかみ、携帯と財布だけをジーンズのポケットに押し込む。
転がるように部屋から飛び出せば、私服に着替えた西崎とシュウが壁に寄りかかって俺を待っていた。
「お待たせ、ふたりとも」
「よし。それじゃあ行くか」
「俺、もうお腹ペコペコやー!」
今日の日替わり定食はなんだろうかと、そんな話をしながら西崎とシュウと連れ立って歩く。
忍は今日、部活のメンバーと一緒に夕食をとる約束をしているらしく、部活に行ったきり顔を見ていない。
このメンバーが揃っているのに忍がいないというのは、なんだか珍しい気がした。
「……ていうかさあ」
食堂に着き、なんとか空席を確保したところで、俺は道中ずっと気になっていた疑問を口にする。
「ここ最近、なんか無駄にカップル多くね?」
そこも、そこも、あそこも。
いかにもラブラブといった様子のカップルのテーブルがいやに目立つ気がした。
食堂内だけじゃない。寮の廊下も学校でも、腕を組んで歩くカップルがここのところ急に増えた気がする。
「ここのところ」をより具体的に言うと、二月に入って少ししたころから、だ。
今朝の今で佐藤灯里たちに触発されたとは思えないが、なにかあったのだろうか。
不思議に思って問えば、逆に「えっ?」と驚いた声をあげられる。
「うそやろ? めーちゃん、なんでなのか本気でわからへんの?」
「や、わかんねえけど」
なんだその反応は。ますますハテナマークが増える俺に、シュウがこっそり耳打ちする。
「もうすぐバレンタインだろ、ハル」
「あっ」
言われてみればそうだ。もう一週間もしないうちにバレンタインがやってくる。
いままで、ネトゲのイベント以外じゃ無縁すぎてすっかりそういう考えが抜け落ちてしまっていた。
「もしかして、やたら学園内の空気が浮かれてんのもそのせいか?」
「せやで〜。特にクリスマスのジンクス失敗したやつらで、うちのバレンタインは毎年なかなか盛り上がんねん。誰それと誰それがカップルになった、誰それが失恋したーってな具合にな」
「今年は柏木先輩たちも卒業間際だから、いつもより浮かれているかもしれないな」
「えー、なに言うとん! いつもより浮かれとんのはシュウもやとちゃうん?」
このこの! と、恋人がいる身であるシュウを肘でつついて、西崎はにやにやと笑う。
それを鬱陶しそうに押しのけながらも、シュウはどこか嬉しそうに顔をほころばせていた。
そんな二人の前で、俺はひとり考え込む。
「バレンタインか……」
少し前までの俺なら「男子校なのにバレンタインかよ」と怪訝に思っていたところだろう。
だが、今の俺はふしぎと「その手があったか!」と思ってしまっていた。
こんな自分を、転入当初の俺が見たらどう思うのだろう。笑われてしまうかもしれない。
けれど、一歩踏み出すきっかけを探していた俺にとっては、タイミングの良すぎるこのイベントに乗らない手はなかった。
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