04
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宮木さんの話は予想外の衝撃を俺にもたらした。
だって本当に、俺には宮木さんをそんな風に慰めた記憶なんてないし、まさか、ガキの頃の自分のそんな言動で、宮木さんがここまで俺を慕ってくれることになろうとは思わなかったからだ。
さらに言えば、宮木さんが「俺が幸せになってくれるのが一番」と言ってくれたことが、なによりも大きな衝撃であった。
だってふつう、誰かを想うって、その人と一緒になることで自分が幸せになりたいっていう、そういうかたちのものだとばかり思っていたのだ。
(幸せ……幸せ、ねぇ……)
幸せって一体なんなのだろう。宮木さんにあの話をされてからずっと、そのことばかり考え続けている。
幸せとはと問われて、青い鳥が運んで来てくれるもの、なんて答えられるほどこどもではいられない。
「お前が運んで来てくれるなら、簡単でいいのになー」
ツンツンと、携帯の画面に表示されたツイッターの青い鳥を人差し指の先でつつく。
いよいよ今年も最後となった今日。
朝からてんやわんやで大掃除をして、母親を手伝いつつおせちの準備をして、早めの年越しそばを食べてとしているうちに、すっかり日が暮れていた。
そうして今は、家族団欒というわけでもないけれど、なにとはなしに一家勢ぞろいで紅白歌合戦を見ている。
年の瀬に、こたつでみかんの白い筋を取りつつまったりと紅白を見ている今だって、幸せといえば幸せなのだろう。
けれど、「なんだか違う」という漠然とした違和感は否めないままだった。少なくとも、宮木さんが俺に求めている「幸せ」のかたちはこれじゃないんだろうな、と。
「ううう……むずかしい……」
テレビの歓声に紛れるようにして呻き声をあげ、こたつの天板に伏せる。
と、傍に置いていた携帯電話が不意に震えだして着信を告げた。慌てて画面表示を見れば「着信 柏木理一」の文字がそこには並んでいる。
「もっ、もしもし!?」
『ハルか?』
「お、おう」
いやだから、俺の携帯にかけてるんだから俺が出るに決まってるじゃん?
思わずミドリのときと同じようなツッコミをすれば、それもそうかと電波の向こうで理一が笑う気配がした。
『まあ、それはさておき。なあハル、お前、今からちょっと出てこれないか?』
「え、なんで」
『いま、お前の家の近くに来てるんだよ』
理一は、ここから電車で二駅ほどのところにある大きな寺院の名前をあげた。年末年始は初詣の人でずいぶんと賑わうことで有名な寺院でもある。
『そこで待ってるから。……少しでもいいから、話がしたいんだ』
「――わかった。すぐ行く、走っていく」
そう答えたのはほとんど反射だった。
つい先日時かけを見直していたせいかもしれないし、いつだかの理一とのやりとりを思い出したからかもしれない。
とにかく、そう答えると俺は理一との通話を終えた。
携帯電話を置くなり、まだ筋も取りかけのみかんをかたまりのまま口へ放り込む。
急にどたばたと身支度をし始めた俺を見て、母さんはただ一言だけ言った。
「風邪ひかないように、あったかくしていきなさいよ」
転校のときとかテストのときとかは鬼のようだと思ったけれど、あれは撤回しておこう。
うちの母さんはなんだかんだで俺に甘くてやさしい良い母親だ。
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理一の指定した寺院は、例年通りすでに賑わっていた。
甘酒だとかたこ焼きだとか、そういう露店がいくつも並んでいる。しんと澄み切った冬の夜の空気の中で、店先に吊るされた白熱電球の光はやけに赤らんで暖かそうに見えた。
「うわぁ、超目立ってる……」
もこもことした毛糸のマフラーに寒さで赤くなった鼻先を埋めながら、俺はひとりつぶやく。
こんな時間に寺に来ているのは大体が近所の人たちだ。部屋着にそのままコートだけ羽織ってきたのか、スウェットにコートとかジャージに半纏とかいう、良く言えばラフ、悪く言えば適当な格好の人ばかりである。
そんななかに、いかにもな高級スーツを着こなした若者がひとり混じっていたら注目を集めないわけがない。
どこかのパーティー会場からでも直接来たのだろうか。
ビシリとスリーピーススーツを着こなし、黒のチェスターコートを前を開けたままで羽織っている理一には、軽くお祭り状態な寺院よりも、超一流ホテルの夜景が綺麗な高層階とかフレンチレストランとか、そういう場所の方がよほどしっくりくる。
けれど、周囲から完全に浮いているのに、そのちぐはぐささえ理一が纏うアクセサリーか何かのように思えてしまうのが理一のすごいところだった。
砂利を踏みしめ、スニーカーの底でざりざりと音を立てながら近づいていく。あと数歩というところで、足音に気づいた理一がふっと顔をあげた。
迎えに来た母親を見つけた迷子のような、ほっとしたような顔つきがなんだかおかしい。ずずず、と鼻をすすりながら片手をあげる。
「よう、ひさしぶり」
「クリスマスのパーティー以来だな」
「……おう」
「元気にしてたか、ハル」
「まあ、一応」
理一はと問い返しかけて、口をつぐむ。
「あんまり元気じゃなさそうだな。目元、クマできてる」
すっかり見慣れたものとなりかけているが、理一の目の下にはまたもやくっきりとクマができていた。薄暗がりでわかりづらいが、俺の目は誤魔化せない。
「参ったな。ハルにはなんでもお見通しか」
「なんでもではねーけど……忙しかったのか?」
「少しな。年末だから、実家関連でやたらパーティーやら集まりやらが多くて」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「いや、こっちの話」
最後に会ったときがあれだったからか、いつもよりも会話のテンポが悪い。理一も俺も、どこか歯切れの悪い返事ばかりを繰り返している。
理一の目を真正面から見ることさえまともにできそうになかった。
「理一、スーツ似合うな」
「そうか? いつものブレザーとそう変わらないだろ」
「いや、変わるだろ。なんか全然雰囲気違うし……格好いいよ」
するりと飛び出た褒め言葉に、理一はすこし照れくさそうな様子だった。「そうかな」なんて言って、後ろへ流すようにセットされた髪を落ち着けなさげに撫で付ける。
寒さのせいだけじゃなく耳が赤くなっているのを見ると、胸のあたりがぎゅっと苦しくなった。
(くそ……かっこいいのにかわいいとか、ほんと、卑怯だ)
好きだと自覚した途端に、理一の良いところがどんどん見つかってしまう。ときめきすぎて死にそうだ。
「てか、どうしたわけ。急に」
なんだか悔しくなって話をそらすと、ふっと理一の顔から笑みが消えた。
真剣味を帯びた表情に一瞬にして浮き足立った気持ちが冷めていく。自分から切り出したくせして、返答を聞くのに尻込みしてしまう。
「年が変わる前に、どうしてもきちんと話しておきたくて、な」
「話?」
とっさに一歩後ずさってしまったのは、暗がりの中でもわかってしまったらしい。理一は「別にそんなにこわい話じゃないぞ」と苦笑を浮かべる。
「……すこし、歩かないか」
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