02


 ころころ、ころころ。
 まだ芽生え始めたばかりの自分の恋心を持て余し、みかんを転がし続ける。

 と、不意に玄関の方から物音が聞こえてきた。
 両親が予定を早めて帰ってきたのだろうか。こたつからは出ないままに、廊下へつながるドアのほうへと首を伸ばす。

「おかえりー?」

 出迎えの言葉を投げかけてみるも返事はない。
 内心首を傾げつつじっと様子を伺っていると、ぎしり、と磨りガラスのドアの向こうで廊下が軋んだ。やや間を置いて、ためらいがちにゆっくりとドアが開く。

「……あれ、宮木さん?」

 あかりの消えた薄暗い廊下に、思い浮かべていた両親の姿はなく。代わりに、帰省中のここ数日ですっかり見慣れてしまった宮木さんが、ぽつりと一人そこに立っていた。
 スーツ姿は相変わらずだけれど、今日は珍しくサングラスをしていない。夏の眩しい日差しを受けてキラキラ輝く海のようなあざやかな青い瞳が、なににも遮られることなく俺へと向けられている。

「すみません、お邪魔しています」
「いえいえ、それはいいですけど……どうしたんですか? 父さんたちは?」
「清明たちは、せっかくだし二人で外食してから帰るから、と」
「あー、なるほど。え、でもじゃあ、なんで宮木さんはここに?」

 直帰じゃだめだったのかと、ここ数日、忙しすぎてまともに家に帰れていなかった宮木さんのことを思って言えば、宮木さんは苦笑まじりに持っていた紙袋を持ち上げて見せた。

「清明に、重陽さまの分の夕食の準備を頼まれまして」
「ハア!? なにやってんの、父さん……」

 秘書と便利屋はイコールじゃないんだぞと言ってやりたくなる。なにやってんだ、あの人は。

「すいません宮木さん、俺のせいで」

 疲れてるだろうに申し訳ない。夕飯の準備って言ったって、俺も小さいこどもなんかじゃない。何もなくたって家にあるものでなんとかできるんだから、俺のことなんて放っておいてくれて良かったのに。

「いいえ、いいんです。俺が自分から申し出たのもあるので」
「でも」
「その代わり、と言ってはなんですが」

 でも悪いですしと言おうとした俺を食い気味に遮って、宮木さんはくしゃりとはにかんだ。

「夕飯、私もご一緒してもよろしいでしょうか」

 がさり。音を立てた紙袋の中には、とてもじゃないけれど一人では食べきれそうもない量の惣菜のパックが詰め込まれていた。





 宮木さんが買ってきてくれたデパ地下の惣菜を温め直し、大皿に盛って、有名なパン屋のバゲットを厚めにカットする。
 それだけで、ちょっと豪華なディナーの準備はすぐに終わった。おいしそうな料理の数々が並べられているのが、ごくふつうのこたつだというあたり、台無し感は否めないけれど。

「それじゃ、いただきまーす!」
「いただきます」

 客用のカトラリーを宮木さんに出して、ふたり向き合って座ってから、ぱちんと両手を合わせる。
 料理がまた冷めてしまわないうちにと、まだほかほかと湯気を立てているパスタを、トングを使って手元の小皿に取り分けた。

「宮木さん、どうぞ」
「えっ? ……私の分、ですか?」
「そうですけど?」

 むしろそうじゃなかったらなんだって言うんだろう。きょとんとする宮木さんを見返し、ぱちくりと瞬きする。
 どうぞと繰り返せば、宮木さんは一瞬呆気にとられたような顔をしてから「ありがとうございます」と慌ててパスタの小皿を受け取った。センスも何もない、ただトングで掴んで盛っただけのそれを、なぜか宮木さんは感慨深そうに眺めている。どうしたのだろう。

「宮木さん、なにか嫌いなものでも入ってましたか?」
「あ、いえ……あの、まさか重陽さまに料理を取り分けてもらえる日が来るとは思わなかったので。夕食をご一緒できるというだけでも、まるで奇跡みたいなのに」
「奇跡って、そんな、大げさな」

 物語口調な言葉についつい笑ってしまいそうになるが、パスタの皿を見つめる宮木さんは、とてもじゃないけれど冗談を言っているようには思えなかった。

(なんで、そこまで……)

 どうして宮木さんは、そこまで俺を特別扱いするのだろう。
 ポケットマネーでわざわざ俺のスーツを作ったり、俺みたいな年下のこどもに仕えたいと言ったり、一瞬にご飯を食べるだけで必要以上に喜んでくれたり。

 文化祭のとき、俺が小さいころ会ったことがあるようなことを言っていた気がするけれど、あれはどういうことなのだろうか。

「あの」

 別に今聞かなくてもいいことかもしれない。けれど今の俺には、ミドリに言われたように「ゆっくり悩む」ためには、これは必要なことのように思えた。

「宮木さんは、どうして俺なんですか。なんで俺のことを、仕えたいだとか大事だとか、そういう風に言ってくれるんですか」

 俺には、小さいころに宮木さんと会ったという記憶はない。それなら、宮木さんはいつから俺のことを「そういう」ふうに思っているのだろうか。

 パスタを取り分けようとしていたトングを置いて、宮木さんと真正面から向き合う。
 俺にとっては、九月から今日までの三ヶ月ほどの付き合いでしかない、父親の秘書である宮木さん。じゃあ、宮木さんにとっての俺はどんな存在なのだろう。

 ことり。パスタの小皿が静かに置かれる。
 ふうっと細く長く息を吐くと、宮木さんはぴしりと背筋を伸ばして両手を膝の上においた。テーブルとイスならともかく、ホットカーペットにこたつなんていう状態じゃ締まりそうもないのに、宮木さんが姿勢を正すだけで、たちまちあたりの雰囲気がガラリと変わる。

「そうですねぇ……もう年も変わりますし、これもいい機会かもしれませんね」

 独り言のようにそう言う宮木さんは、まるで昔を懐かしむかのようにどこか遠くを眺めると、それから、目の前にいるいまの俺を真正面から捉えて、少しぎこちない微笑みを浮かべてみせた。





「俺の昔話を聞いてくれないか、重陽様」

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tophyousimokujinow
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