08


 時間というものはあっという間に過ぎていくもので、気がつけば十二月も下旬に差し掛かり、クリスマスイヴ……仮面舞踏会のその日となっていた。

 何台ものリムジンにランダムで別れて乗り込み、走ること一時間ほど。大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっていたり、見るからに高そうな絵画が飾られていたり、屋内にもかかわらず噴水が設置されていたり、と。
 やたらとキラキラした、やや浮世離れしたこの高級ホテルが本日のパーティーの会場らしい。

 エントランスのところに「黄銅学園御一行様」とだけ書かれた看板が立っていたあたり、どうやら今夜はうちの学園で貸し切っているようだ。

「金持ちこわい」

 みんな揃いの、学園支給の仮面の下で密かにつぶやく。ベネチアンマスクに似た、しかし一般的なそれよりもやや面積の広いこの仮面もまた、金持ち学園らしいというか、凝った装飾の施されたものだった。
 正直言って寮の部屋からずっとつけっぱなしなせいですでに若干窮屈である。視界も狭いし。

(帰りたい)

 帰ってツイッターみながら寝転がってゲームして、コーラ片手にポテチ食べたい。

 いまの俺にとっては、なにもかもがストレスでしかなかった。仮面舞踏会という響きにすでに浮かれているらしい誰かのきゃあきゃあいうはしゃぎ声も、目に痛いくらいキラキラなパーティー会場も、この仮面も。そして――こわいくらいに俺の体にフィットする真新しいスーツも。

――そう「真新しい」スーツ、だ。



『新しいスーツのご用意ができました』



 そんなことが書かれた一筆箋とともに宮木さんから送られてきたのは、大きめの格子模様が入った明るいグレーの上下に、淡いグリーンのクレリックシャツ。深緑の細めのネクタイというセットだった。
 ベルトと革靴こそ変わらないものの、この間サイズのチェックがてら着たネイビーのスタンダードなものとは違う、それどころか正反対な印象を覚える一式に、箱を開けた俺がぎょっとしたのは言うまでもない。

 体へのフィット具合といい、裏地や袖口のボタンなど細かいところにまで小洒落たものが使われている点といい、高級品であることは一目瞭然だ。どこまでもセンスの良さが感じられるこの真新しいスーツ一式は、父さんいわく、なんと宮木さんからの贈り物だという。

『私が責任を持って重陽さまのスーツを用意させていただきますね』

 たしかにああ言っていたけれど、まさか一から用意されるとは思わないだろう。フツーはあれ、仕立て直しをちゃんとしますねって意味だと思うし。ていうか、本当は父さんもそのつもりだったんだろうし。
 それがまさか、こんな良いスーツが送られてくるだなんて。

(ありがたいような、複雑なような……)

 俺の体に合わせてつくられたはずのスーツが、なんだか少しだけ窮屈に感じられた。

 「仮面舞踏会」というその名の通り、生徒たちはもちろん、お目付役の教員陣も、パーティー会場にいるひとは全員仮面をつけている。そんな状態では誰が誰なのかもわからないから、とりあえず一人でいるしかない現状も居心地が悪かった。

「なあ、俺と踊らねえ?」
「ねえねえ、僕さっき、すごい素敵な人とダンスしちゃったんだ〜」
「そういえば、会長様見つけた? ちょっとでも一緒に踊っていただけたらいいのになぁ」

 浮かれきった声があちらこちらから聞こえてくる。友達同士でお互いがわかっておしゃべりしている人たちはともかく、相手の顔もわからないまま、出会いを求めてすでにダンス相手を見つけているひとたちはなんなんですかね? コミュニケーション能力カンストしてるんですかね?
 俺にはどう考えてもそういうのは無理です。帰りたい。でも、単位や成績がかかっている以上そう簡単にサボるわけにもいかなかった。

「……よし!」

 フロアの一角、おまけ程度に作られた軽食コーナーへ目を向ける。
 規模はおまけ程度とはいえ、その内容とクオリティは全然おまけなんかじゃない。むしろそっちのほうがメインだと言うくらいに、豪華な料理の数々がずらりと並んでいた。

 なんでも、老舗料亭の料理長とか超有名パティスリーのパティシエとかを引っ張ってきて、厳選した食材を使って料理を作ってもらっているらしい。それも毎年。
 ほんと、無駄に金がかかってるなあと思う。さらにいうと、その料理を食べようとしてるやつがほとんどいないのが、ほんとうにもったいないなあとも。

 せっかくのクリスマス、せっかくのおいしい料理だ。食べないわけにはいかないだろう。どうせダンスをする相手もいないのだから。

「やけ食い、しましょうか」













 海老とアボカドのサラダにローストビーフ、茹でたての蟹や鶏肉の赤ワイン煮、北海道産のじゃがいもをふんだんに使用したグラタン。
 クリスマスらしい料理の数々は、さすが一流店のオーナーシェフが調理しただけあってどれもおいしかった。

 俺がひとりで軽食コーナーを狩り尽くしているあいだに、ダンスパーティーは佳境に入ろうとしている。俺はそれをよそに、ひとりデザートタイムへと突入しようとしていた。

 とりあえず、第一陣の皿には和栗のモンブランとザッハトルテ、オペラ。
 ケーキバイキングに行くときは重めのものから食べるのが鉄則だって、昔どこかで聞いた気がする。本当かどうかはわからないけれど、いまだけはそれを頼りにしてセレクトしてみた。

「いっただっきまーす!」

 壁際に並べられた休憩用の椅子に腰掛けて、膝の上に置いた皿に向かって手をあわせる。まずはモンブランからと、フォークの先をケーキに沈み込ませていく。
 柔らかな栗のクリーム、銀色のフォークの先で少しずつカットされていく光景は、スイーツ好きのひとにとってはまさに至福の一言に尽きるだろう。一口大にカットして口に放り込めば、濃厚ながらもくどすぎない、豊かな栗の風味が口いっぱいに広がった。

「んんん〜! うんまーいっ!」

 よくある、やたらと甘ったるく胸焼けするようなものとは違う高級感漂う甘さに、ふかふかのクッション付きの高級チェアの上で身悶えする。

「みんな、こんなおいしいものがいっぱいあるってのに、見向きもしないなんて」

 なんてもったいないのだろう。ひと口だけでも食べてみればいいのに。まあたぶん、一口食べたら一口だけじゃ足りなくなるだろうけど。
 舌先に残った甘さの余韻に浸りつつそんなことを考えていると、不意にきゃあっという黄色い声が上がった。

「な、なんだ……?」

 ビクビクしながら騒ぎの起きた方を振り返る。椅子から少し身を乗り出してみれば、大勢の小柄な生徒たちに囲まれているド派手なオレンジ頭が見えた。
 周囲と同じ揃いの仮面で顔は隠しているとはいえ、わかりやすすぎるトレードマークに、それはほとんど意味をなしていないようだった。オレンジ頭を取り囲んでいる、どこかの親衛隊にでも属していそうな小さい生徒達の反応を見ていればそれは一目瞭然だ。

「宇佐木せんぱーい!」
「副委員長さまー!」

 きゃあきゃあ言う声に、オレンジ頭はひらひらと手を振って応えている。生徒会の影響力の強さに圧倒されているのか、普段はそこまで目立っていないけれど、この様子だとうーたんもあれで人気があるらしい。
 なんだか意外だけど、まあ、納得といえば納得だ。だってうーたんもあれで美形だし。中身ゆるふわだけど。ツイッターじゃ女の子と間違えられてるけど。

(うーたんが男で、しかもパッと見チャラヤンキーだって知ったとき、俺、それなりにショック受けたんだっけなあ)

 皿に残ったケーキを食べつつ、うーたんのことを本気で女の子だと思っていた頃のことを思い出す。と、近くにいた別のちっちゃいもの軍団のひとりが、ぽつりと溜息交じりにつぶやく声が聞こえてきた。

「あーあ、それにしても会長様、どこにいらっしゃるんだろう?」
「宇佐木様までとはいかなくとも、会長様も髪の色ですぐわかると思ったのにねぇ」

 ねーっ! と同意する周囲に、俺はあやうくぶはりと口の中のケーキを吐き出すところだった。

(会長様はどこに、ってねえ……)

 口元を拭うふりをして、ぷくく、と笑いを噛み殺す。思いがけずに面白い会話を聞いてしまった。明日あたりスーザンに話してネタにしようと思いつつ、残りのケーキを平らげる。

(さて、ケーキ第二陣を取りに行きますか)

 ふわふわクッションに別れを告げて立ち上がる。
 周囲には目もくれず、一目散にケーキコーナーに足を向けようとしたとき、ふと、さっきまでうるさいくらいだったあたりが妙に静まりかえっていることに気づいた。

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