05


 忍が部活から帰ってきたのは、18時を少し過ぎた頃のことだった。
 玄関でがちゃがちゃと物音がしたかと思えば、ぱたぱたと勢いよく近づいてきた足音に、自然と背筋が伸びる。

「ただいまめーちゃんっ、お待たせ! 食堂行……あれ?」

 ばたん! とリビングのドアが開いて忍が飛び込んでくる。
 慌てて着替えて帰ってきたのだろうか。掛け違えたシャツや曲がったネクタイもそのままに、頬を上気させ言い切ろうとして、忍は言葉半ばできょとん、とした風に首をかしげた。

 まんまるくなった目には、食堂のデリバリー料理の数々が並んだテーブルが映っている。そのテーブルと苦笑する俺の顔とを交互に見ては「あれ? あれ?」と繰り返す姿に、俺はへにゃりと眉を垂らした。

「悪い……えっと、あのさ。やっぱり今日、食堂じゃなくて部屋でもいいか?」

 親衛隊も、日に二度も襲っては来ないだろう。けど、俺の方だって、日に何度も同じようなことをして相手を刺激するほどばかじゃない。

(……なんて、忍本人に言うわけにもいかないしなあ)

 だからデリバリーにしたんだといえば、今日忍の親衛隊から制裁があったことも言わなきゃいけない。そうしたら忍はきっと、責任を感じて心を痛めるだろう。
 ……べつに、忍のせいなんかじゃないのに。

 言葉を濁した俺に、忍は一瞬不思議そうに眉を持ち上げたが、すぐにパッと笑顔を浮かべた。

「おー、いいよいいよ、オッケー! そしたら、こないだ録画してた金曜ロードショーでも見ながら食べよ!」
「……おう」

 こういう察しの良さが、なんていうか、さすが俺の友人だなっておもいました。まる。

「よっしゃー。じゃあ、これあっためてくるな〜」
「ありがとめーちゃん。……あ、でも、その前にひとつ」

 あっためたほうが美味しいだろうメインの料理やなんかをもって、キッチンに向かおうとした俺を「ちょっと」と忍が呼び止める。

「うん? どした?」
「めーちゃんさ、それ」

 忍がとんとん、と人差し指でさしてみせたのは、自分の右頬だった。

「それ、どうしたの?」

 ぴしり、と空気が凍りつく。

 俺の右頬には「いかにも」な湿布がでかでかと貼られていた。もうちょっと目立たないようにできないものかと我ながら思うけど、あのタケオくんの手下に殴られたあとを隠そうとすると、これしかなかったのである。

「あー、えっと……実はスーザンと別れたあのあと、野球部のボールが飛んできてぶつかっちゃってさあ」

 これは一応あらかじめ考えておいた言い訳だ。まさかこれでおとなしく引き下がってくれるわけないだろうけど。
 密かに冷や汗をかく俺を、忍はじ、と曇りのない目で見つめ続ける。かなり心苦しい。

(けど、言えないものは言えないんだって!)

 無言のまま、じっと棘のような視線に耐え続ける。

「……はぁー……」

 先に折れたのは忍のほうだった。

「もーっ! めーちゃんって、ほんっと変なとこ頑固だよね!」
「頑固で結構! てか、それお前も人のこと言えないからな!?」
「俺はめーちゃんほどは頑固じゃないもーん」
「はっ、どーだか!」

 軽口を叩きつつ、今度こそキッチンに向かう。ひとまず、最大の懸念事項がなんとかなったことにひそかに息をついた。

 俺が料理の温め直しやなんかをしている間に、忍が録画していた映画の再生準備をしてくれる。そして俺たちは、某額に傷のある魔法少年が仲間達と奮闘する映画の第1作を見ながら、ちょっと豪華な夕食を取り始めた。
 賑やかな映画は、俺と忍との間に時折混じるきまずい沈黙を埋めてくれるから、ありがたいことこの上なかった。

「俺さー、めーちゃんは絶対グリフィンドールだと思うんだよなぁ」
「えー、そうか? それ言ったらお前もグリフィンドールっぽいけどな」
「ワタルはあれだよね、スリザリン」
「それな」
「うーたんはぁ……」

 ビクリ。無意識のうちに肩がはねてしまったのは、心の奥底の方で、その名前が会話にあがるのを恐れていたせいだろうか。
 さっきは見逃してくれた忍も、二度目もそうしてくれるほど優しくはないらしい。めざとくも俺の異変に気付いた忍はかたり、と箸を置いた。

「めーちゃん、うーたんとなんかあった?」

 「あった」と簡単に否定するわけにも、かと言って「なかった」と嘘をつくわけにもいかなくて、う、と言葉を詰まらせる。すると忍は、それすなわち肯定と受け取ったらしい。

「あったんだ」

 確信したように頷かれる。嘘のつけない自分が嫌になった。

「……あのさ、めーちゃん」
「うん」
「ワタルとのことの時、ごめんな。俺、自分がワタルのこと許せない! って思ったのでいっぱいになっちゃって……ワタルとめーちゃんの問題なのに、肝心の、めーちゃんがどうしたいかってこと全然考えられなくなっちゃって……」

 本当に、ごめん。
 膝に手を置いて、忍はテーブル越しに深々と頭を下げた。突然の謝罪に動揺してしまう。だって、そのことで忍が謝らなきゃいけない理由なんてなにひとつないはずだ。

「や、でも、あれは俺も考えなしだったし! よく考えたらそりゃ、俺だって大事な友達が危ないことしようとしてたらまず考え直せって思うし……っていうか、なんていうか」

 うまく言葉にできなくて、最後のほうはごにょごにょとごまかしてしまう。
 本当、なんて説明したらいいのかわからないけれど、さっきうーたんに告白されて初めて、ようやくあのときの二人の気持ちがわかった気がしたのだ。

(って、これ、同じようなことワタルに改めて告白されたときにも思ったよな……)

 本当、俺って学習能力ないんだなぁって、自分で考えといてちょっとだけ凹んだ。

「むしろ、俺こそごめん。なんか心配かけたみたいで」
「んじゃあ、まあ、お互い様ってことかな?」
「忍がそれでいいんなら……」
「いいに決まってんじゃん! 変なとこでネガティブ発揮しないでよ、めーちゃん!」

 それじゃあ、と忍はニパッと満面の笑みを浮かべる。忍のこんな表情をこんな近くで見るのがものすごく久しぶりな気がして、ちょっとだけ胸が熱くなった。
 目の前に、勢い良くてのひらが突き出される。

「これで仲直り、な!」
「……ん」

 なんだこれ。しょっぺえなオイ。

 いい歳こいて、と思いつつも差し出された手を握り返すと、ブンブンと激しく上下に振られた。これぞまさしくシェークハンズってか! なんて考えるのは単なる照れ隠しだってことは、自分が一番わかっている。

「めーちゃんにとって俺は『大事な友達』らしいし? 俺にとってもめーちゃんは『大事な友達』だから。何かあったら、今度はちゃんと話してくれよな?」
「ん、わかった」
「うーたんとのことも! なにがあったのか、めーちゃんが言いたくないなら、まあ、無理には聞かないけどさ。ほんとにどーしようもなくなったら、一人で抱え込んでないで相談くらいしてくれよな?」

 『大事な友達』なんだから、と強調するように忍は繰り返す。なんだそれ、と笑って返しながらも、俺はそこにどうしようもない違和感を覚えた。

 だいじなともだち。
 脳内でリフレインする八文字の言葉のなかに、妙な含みが持たされているような気がしてならないのである。

(……気のせい、だよな)

 せっかく「仲直り」できたというのに、変にそこに突っ込んでまた関係がこじれてしまうような事態はごめんだと、俺はそっと違和感から目を逸らした。

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