04
しばらくして、タケオ君というらしいカプチーノくんと愉快な仲間達の背中がすっかり見えなくなっても、うーたんは微動だにしなかった。俺のことをかばうみたいに、こちらに背を向けたままだ。
ぴくりともしないうーたんの、オレンジの髪だけがただ風になびいている。
そのまわりに漂うオーラはどことなくピリピリしていた。いったいどんな表情をしているんだろう。窺い知れぬそれを想像したら、俺まで石像のように凍りついてしまいそうだった。
(声、かけたほうがいいのかな)
助けてくれてありがとう? ごめんね?
なんて言ったらいいんだろう。
迷ってるあいだにもどんどん時間は過ぎていく。妙な焦りに襲われかけたとき、目の前の背中から消え入りそうなささやきが聞こえてきた。
「……で、」
「え?」
ごめん、なに?
思わず聞き返すと、はじかれたようにうーたんが振り返る。
「なんで?! なんでめーちゃん、さっき助けてって言わなかったの?! もし俺が何も気づいてなかったら、どうするつもりだったの!?」
「えっ、ちょ、うーたん??」
「あの距離なら、大声張り上げれば届くってわかるよね? なのに、なんで?」
突如としてものすごい剣幕で詰め寄ってきたうーたんにぽかーんとしてしまう。
「いや、だって、」
まだケンカ中だし。
「そんな大げさな」
ワタルのときならともかく、今回はただちょっと殴られただけじゃん。
言い訳にもならない言葉を心のなかでつらつらと重ねる。が、そのどれもが苦しいものなのは自分が一番わかっていた。
「めーちゃんは、いつもそうだよね」
うーたんの目の色が変わる。怒りながらも、心配と安堵のまざっていた瞳の温度がすっと下がっていく。
絶対零度な視線に射抜かれて、指先が徐々に冷たくなっていくのを感じた。
うーたんはおもむろに腕を伸ばすと、ぐいと俺の胸ぐらを掴む。持ち上げられるようにして立ち上がった。
「こっちの気も知らないで、いつも自分勝手なことばっか! もっと周りのこと頼ってくれたっていいじゃん!」
「いや、でも、」
「俺は!」
そう言われましてもと言い淀む俺を、うーたんの叫びが制した。
「俺は、めーちゃんのことが好きだから! だからめーちゃんにもっと頼って欲しいし、めーちゃんのことを守りたいって、そう思うのに!!」
なのにどうして頼ってくれないんだ、と。
俺のワイシャツを握る指先にぎゅっと力を込めて、すがりつくようにうーたんは言った。
「……すき?」
「――……あっ」
失敗した。思わず反芻した俺の声を聞いて、うーたんはあからさまにそんな顔をした。形勢逆転。今度はうーたんが青ざめる番だった。
「ご、ごめん――今のは聞かなかったことに」
「うーたん、俺のこと好きだったの?」
誤魔化そうとするうーたんの言葉を遮る。うーたんはしばらく落ち着きなさげに視線をさまよわせたのち、ぐっと唇を引き結んだ。
ざわり。木々の葉が風に揺られる。うーたんのオレンジ色の毛先も、強風に煽られて宙を泳ぐ。奇しくも、それは苦悩するうーたんの表情を覆い隠していった。
「……好きだよ」
自分で聞いたくせに、一瞬あっけにとられてしまう。
え、とさらに聞き返さなかっただけましだったろうか。
「俺は、めーちゃんが好きだよ。すごく、すごく」
じっくりと、言葉のひとつひとつをかみしめるようにして、うーたんは言った。
そのひとつひとつが、じいんと俺のこころを揺らして、からだじゅうに響き渡って、胸の奥にすうっと入り込んでいく。血液に溶け込むようにして、俺の全身を巡っていく。じわじわと、「すき」の二文字が呪いのように俺を蝕んでいく。
「全然気づいてなかった、って顔だね」
「いやだって、うーたんそんな素振り……」
まったく見せてなかったじゃん、と言いかけて思い出す。
『めーちゃんのことなら、いつどこにいてもすぐ見つけられるから』
『俺は、きみが呼ぶならいつだって、どこにだってすぐに駆けつける』
脳裏に蘇ったのは、文化祭の日、キャンプファイアーの最中にうーたんから言われた言葉だった。あ、と薄く開いた口から間抜けな声がこぼれ落ちる。
「俺的には、結構あからさまだったつもりなんだけどなぁ……めーちゃん、そんなに俺にキョーミなかった?」
「ちっ、ちがうって! べつに、そんなんじゃ」
「あっは、冗談だって! そんなに慌てなくていいよ〜」
ぶんぶんと首をふる俺に、うーあたんはカラカラと笑う。明るいその笑い声に俺は逆にいたたまれなくなった。
(そっか、あれってそういうことだったのか……)
ぜんぜん、気がつけなかった。
「ごめん、うーたん。俺――」
「ストーーーップ!」
うーたんとは、付き合えない。
そう言おうとした時、うーたんの大きな手のひらが俺の口を覆ってそれを遮った。
「返事はまだいいよ。……フラれるのはわかってるけど、それにしても、俺もまだ心の準備? っていうの? そーゆーの、まだできてないからさ」
「うーたん……」
「それに、このあともしめーちゃんがすごくつらい目にあって、どうしようもなく誰かにすがりたくなったりしたら、さ。そんな時にでも利用してもらえたら、俺的にはラッキーだし」
へらり、と笑ってみせるうーたんの表情はいつもと同じはずなのに、ひどく痛々しく、不自然だった。ピエロかなにかのようだ。
俺がうーたんにこんな顔をさせているのかと思うと苦しくなる。真冬の海に着衣のまま放り出されたような気分だった。
「だから、返事はまた今度にしてよ。ね?」
気遣うような声色と取り繕った表情がよけいに俺を追い詰めていく。それでも、うーたんからの申し出に、俺はうなずくことしかできなかった。
「うん。それじゃ、寮まで送るよ」
さっきの今で一人にはさせられないから、とうーたんは俺を促す。断るのも妙な気がして、俺はおとなしくうーたんと並んで歩き始めた。
寮までのほんの数分の距離が、なぜだか、今日に限っていやに遠く感じられて仕方なかった。
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