03


「おーい、鈴木ィ! 早く戻れー!」
「あっ、ごめんめーちゃん! またあとでね!」
「おう、あとでな」

 しびれを切らしたコーチに呼ばれて、忍は練習に戻っていった。どことなく足取りの軽いその後ろ姿を見送ってから、俺は今度こそ寮に戻ろうとグラウンドを離れる。あのままあそこで部活が終わるまで待つには時間がありすぎたし、「また」といってしまった手前、気恥ずかしいものがあった。

 仲直りできそうな予感についつい浮き足立ってしまう。自然と熱くなる頬を冷まそうと、来た道をそのまま戻るのではなく、わざと遠回りになる道を選んだ。
 ひと気のない道をあえて選んで進む俺の頭からは、西崎とシュウからの忠告はきれいさっぱり抜け落ちていた。

「――八木、重陽」

 とげとげしい声で呼びかけられたのは、校舎の周りをぐるりと半周ほどし、校舎をはさんでグラウンドと正反対のあたりに来たころのことだった。
 ざり、と砂利を踏みしめて俺の前に立ちはだかったのは、あのカプチーノのような髪をしたふわふわ頭の小さな男の子と、彼に従うように後ろに控えた体格の良い数人の男たち。

(……あれ、あの子)

 そういえば、さっきもグラウンドにいたよな?
 目立つ髪だからすぐわかったし、見間違えってことはないだろう。てことは、正面玄関のほう通ってわざわざ先回りしてきたのだろうか。

(ていうか)

 もしかして、もしかすると、この状況って結構やばいんじゃなかろうか。
 じわじわと距離を詰めてくる彼らにようやく危機感を覚えても今更遅い。じりじり迫られ、その分後退して、さらに迫られてを繰り返しているうちに、俺はすっかり大木を背に包囲されてしまっていた。

「ねえ、八木重陽?」
「……ハイ……」
「あんた、忍様の同室者だったよね?」
「ハイ、ソウデス」

 忍様って、忍様って! と、草を生やす余裕すらない。

「そうだよね? でも、ついこの間までは、忍様とそんなに仲良くしてなかったよね?」
「……」
「なのに、この間のテストのあとから急に名前で呼び合いはじめて。しかも、教室や廊下でも普通に話しているし……」

 アッ、コレやばい。まじでやばい。なんとか助けを求めねばと思うものの、こんな時に限って携帯電話はカバンの中に仕舞っていた。あたりに人の気配は、ない。
 そりゃそうだ。ひと気のない方選んで歩いてきましたもんね!

 やべぇ。絶体絶命。そう思ったとき、不意に上方から視線を感じた。ハッとして顔をあげれば、校舎4階の窓からこちらを見下ろす人影が目に入る。
 そこそこ距離があるせいで表情まではわからない。けど、目を引くオレンジ色の髪をしたあれは、間違いなくうーたんだ。

(……ここで「助けて」って叫べば、助けてくれんのかな)

 そりゃ風紀委員だし、仕事だし、きっと助けてくれるんだろうな。でもなんとなくそれはちがう気がして、俺はスイと視線をそらした。正面の、詰め寄ってくる親衛隊の彼らに戻す。

「ねぇ、どういうつもりなの。挙句の果てに僕たちの前であんなことして見せて」
「あんな?」

 って、どんなだ?
 きょとんと首をかしげると、親衛隊の彼はかっとなって声を荒げた。

「今! さっき! サッカーコートで! あんたを見つけた忍様がゴールを決めて、しかもそのあと、夕食をご一緒する約束までして!」

 僕たちの前で、と、肩をいからせかわいい顔を憎悪で台無しにする姿に、ようやくそのことに思い当たる。
 たしかに。冷静に考えたら俺、めっちゃ親衛隊煽ってんな。行動したのは全部忍だけど。

「ただの同室者で友人だっていうなら、僕たちだってそんな簡単に制裁したりしないよ。でもね……あんな風に見せつけられて、忍様にあんな表情させてたりしたら、さすがに、我慢できないわけ」

 見せつける? あんな表情?
 なんのこっちゃと思うが、その問いかけを許してくれそうな様子はなかった。

「わるいけど、ちょっとだけ痛い目見て反省してくれる?」

 にっこり。彼がお人形さんのようなベビーピンクの唇を歪めて笑ったその直後。ばきり、とすさまじい衝撃が俺の横面を襲った。
 殴られた。気づいたのは、勢いのままにどしゃりと地面に倒れこんだあとのことだった。

「いっ、てェ……!」

 頬がじんじんする。口の中に血の味が広がった。どこか切ってしまったらしい。
 ……なんか俺、最近こんなのばっかだな。

「八木ィ」

 影がさす。見上げれば、カプチーノの彼の背後に立っていたガタイのいい男たちが、にまにまといやらしい笑みを口元に浮かべて仁王立ちしていた。

「俺たちは鈴木忍にゃ特に思い入れはねーけどよォ。S組のおぼっちゃんどもは、どーにも気にくわねぇんだよなぁ」

 そんなこと言っても、お前らだって同じ学校に通ってんだからおぼっちゃんだろ? とか言い返す暇なんてあるはずもなく。男たちの一人が拳を振り上げた――

(……あれ?)

 反射的にぎゅっと目を閉じて二度目の衝撃に備えたものの、待てど暮らせど、いつまでたっても拳は降りてこない。頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされる。
 一体なんなんだと、恐る恐る瞼を持ち上げていく。そうして、視界に映り込んだあざやかなその色に、俺は目を見開いた。

「うーたん!?」

 俺に背を向けて立つ、オレンジを身にまとったその人は、振りかざされた拳を受け止めたまま微動だにしない。俺の言葉に応えるでもなく、眼球だけをぐるりと動かして周囲を見据えた。ただそれだけのしぐさに、今にも俺に殴りかかろうとしていた男たちは、ヒィッと喘ぐような悲鳴をあげて後ずさった。

「――きみさ、」
「っは、ハイッ!」
「鈴木忍親衛隊の、伊田竹緒くんだよね。三年C組の」
「は、はい」

 消え入りそうな声でカプチーノくんがうなずく。タケオ。見た目にそぐわず、ずいぶん男前な名前だ。

「これが制裁だってこと、わかってる?」
「はい」
「三年のこの大事な時期にこんなことして、どうなるかも?」
「はい……ちゃんと、わかってます」

 そうだ、この人三年生なんじゃん。うーたんのいう「どうなるか」を考えるとぞっと背筋が冷えた。

「処分は、追って連絡するから。とりあえず今は寮に帰って……お前らも」
「は、はいいぃぃぃぃ!!」

 どこまでも冷たいうーたんの声と視線に、うーたんの手が離れるなり、男たちは一目散に逃げていった。ピューッという効果音すら聞こえそうだ。逃げ足、はやすぎだろ。
 なんだか一気に気が抜けてしまった。

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