「進藤、どうして…」
会えた!その事に喜ぶ気持ちとは裏腹に、そんなヒカルを前にして最初に出てきたのはなぜかそんな言葉だった。
自分の感情を押し込めるように、努めて冷静に尋ねる。
どうして、ヒカルがここ居るのだろうか。
待つのなら、碁会所でもよかったはずだ。
それなのにまるでアキラを迎えにくるようにヒカルは棋院まで足を運んでくれた。
(進藤…。その答えを、僕は期待してもいいのだろうか?)
棋院まで自分に会いに来てくれたのだと、そんなふうに思ってしまってもいいのか。
ああ。もうただ黙って現状を維持するだけではいられない。
このままでは、全てを自分の都合のいい方向に思い込んでしまいそうだ。
それとも、そう思い込んでしまってもいいの?
無意識にヒカルに向かって手を伸ばしていた。
その手が届く、ほんの10センチ手前でヒカルが立ち止まる。
その距離はまるで、今のアキラとヒカルの思いの距離を表しているようで、歯痒い。
後一歩を踏み出せば、届く距離。
でも決して、手を伸ばすだけでは届かない距離。
(君はこの距離を、縮めたいの?離したいの?)
瞳に動揺が走る。
そんなアキラの瞳を、ヒカルは正面から受け止めてほんのりと上気した声でアキラに告げた。
「なんか、さ。聞いた話じゃ今日ってお前の誕生日らしいじゃん。だから…」
そこで一旦、言葉が途切れた。
キュッと唇を軽く噛みながら口をつぐませたのと同時に、真っ直ぐにアキラを見つめていたはずの視線も、俯きがちになり閉じて隠される。
それだけで、アキラの中に不安が広がった。
何を、言うんだろう。
ヒカルは、何を言おうとしているんだろう。
往来の真ん中。
町を行く人たちが、邪魔そうに二人を避けて過ぎて行く。
アキラとヒカル。
二人だけが、世界を止めた世界。
俯くヒカルの明るい前髪を黙って見つめ、ふとアキラは対局中にもよくこの角度でヒカルを見つめている事に気がついた。
碁盤を広く見つめ、石の行方を追い、その先を読む。
相手の心理、隙を突いて誘い込む策。
限られた時間の中で、あらゆる棋譜を展開させて最善の一手を打つ。
そんなヒカルの姿を見るのが、好きだった。
纏う空気が、その気迫が、とても好きだ。
ただ、今その時と僅かに違うのはヒカルの目が閉じられている事。
あの鋭く盤を睨み付ける瞳は、今は瞼の裏に隠されている。
(目が…見たいな)
射抜くような瞳が、先を見据える瞳が、見たい。
「進藤…?」
このままいつまでも続きそうな沈黙に、アキラの方が先に堪えきれなくなりヒカルの名を呼んだ。
沈黙が、怖い。
目を、開けてほしい。
アキラのその声に、ヒカルの瞼がピクリと動く。そうして、
「約束…したくて…」
ようやく、何かを決意したように、ヒカルの瞼が開いた。
アキラはハッと息を飲む。
ヒカルの瞳が、閉じる前とは明らかに違っていた。
迷いなく、それこそアキラと対峙している時のように向けられる、熱い視線。
その目に、アキラの姿が写っている。
他の誰でもない。アキラだけが写っている。
「ホントは、クリスマスにしようと思ってたんだ。その約束を、今日したいんだけど、いいか?」
挑むような瞳が、けれども最後にはフッと緩んで笑顔になった。
多分、アキラがヒカルの言葉を拒んでいない事に、言っている途中で気づいたから。
目を閉じ、考えていたのはきっと、アキラに拒まれてしまうんじゃないかと言う不安を押し込めるため。
今日がアキラの誕生日だと知って、クリスマスまでに固めるつもりだった決意を、急遽今日と言う日に固めるため。
言おうと思ってここまできた。
けれど、直前になって、やはり少しの躊躇いが産まれた。
それでも、今日はクリスマスよりも特別な日だから。
アキラが産まれた、大切な日だから。
だから今日、言いたいんだ。
ヒカルの思いを込めた言葉に、
「うん。今日が、いい」
アキラも聞きたいと頷いた。
聞くなら、今日がいい。
どうしても、今日がいい。
手の届かない、あと一歩の距離。
その距離を、二人で詰める。
お互いに一歩、足を踏み出す。
「クリスマスより、今日がいい」
今日でなければ、嫌だ。
はっきりと告げ、そうして鮮やかに笑ったアキラの顔に、ヒカルの手がついに届く。
「出来れば当日じゃなくてもっと前に言えればよかったんだけど、塔矢の誕生日が今日だって知ったのはさっきなんだから、そこは許せよ?」
「うん」
ヒカルの手に自分の手を添えて、アキラはヒカルの言葉を黙って待った。
お互いの手の温もりが重なりあった箇所から伝わってくる。
暖かい。いや、熱いと言ってもいいだろうか…
スゥッと、ヒカルはひとつだけ大きく息を吸った。
そのまま一度息を止め、アキラを見つめながらゆっくりと吐く。
「今日って言う大切な日を、お前と一緒に過ごしたいから。だから、会う約束をしてくれねぇかな?」
一言一言に思いを乗せてヒカルの口から紡がれる言葉。
それは尋ねているようで、けれども既に決定されている強さを持ってアキラに届く。
否定なんて聞かない。
答えは、イエスしかない。
(なんて惹きの強さを持っているんだろうね、君は)
見つめてくる視線から、もう逃れる事は出来そうにない。
既に会ってるじゃないかとか、今日会えたなら、最初から一緒に過ごすつもりだったとか。そんな茶化すような言葉なんか到底言えるはずもなくて。
「ああ」
アキラは、ただ頷いた。
答えは、それだけで充分だった。
ヒカルの言葉が嬉しい。
誕生日を一緒に過ごしたいと、その約束をくれるヒカルの言葉が、何よりも嬉しい。
「あ、と。それとさ、これは出来ればなんだけど…。今年だけじゃなく、来年も。再来年も、その先もずっと。お前と一緒に祝いたいから、先に約束、しちゃってもいいか?」
頷いたアキラを見つめる目が、次第にイタズラめいてきた。
けれどアキラには分かる。
そんなふうにふざけて言ってはいるけれど、それがヒカルの本気の願いなのだと。
(君はやっぱり、素直じゃないね)
それはきっと、アキラも同じなのだろうけど。
でも、今日だけは…
今日だけは少しだけ、素直になりたい。
「うん。約束する。一緒に過ごそう。今日だけじゃなくて、来年も。再来年も、この先も、ずっと…」
掴んだヒカルの手を引き寄せ、ここが往来だとかそんな事も忘れてアキラはヒカルの体を抱き締めた。
「ちょっ!塔矢…!!」
ヒカルの慌てたような声が耳に届いたけれど、それよりもヒカルを抱き締めたことでうるさく騒いでいる自分の心臓の音の方が大きくて。だから、ヒカルの制止の声が聞こえない振りをしてさらにきつく抱き締めた。
(あたたかい…)
初めて感じる、ヒカルの温もり。
触れた手よりも暖かい、優しい温もり。
胸に抱いた、ヒカルの香り。
いつもは碁盤を挟んだ向こう側にいる、それが精一杯に近づいた距離。
でもそれが今は、ゼロになる。
何も間に挟むことなく、ヒカルを全身で抱き締め、ヒカルの存在を五感の全てを感じている。
やがて何を言ってもアキラが自分の事を離さないと悟ったのか、諦めたようにヒカルがアキラの肩口に顔を隠すようにして埋めてきた。
「ったく、往来で…。恥ずかしいやつ…」
言いながら、ヒカルの手もゆっくりとアキラの背に回る。
コート越しに感じるヒカルの腕の締め付けと熱さに、アキラの胸が甘く疼いた。
「お前の心臓、すげぇうるせぇ」
からかうようなヒカルの声に、けれどもアキラは否定をすることなく、
「君を、抱き締めているからね」
その耳元でそっと本音を囁くと、ヒカルの鼓動もあまやかにリズムを上げて刻みだした。

まだ、この気持ちに明確な名前をつける事はできない。
いや、本当はわかっている。
知っている。
それでも、今はまだ、もう少しだけ。
この曖昧で甘い関係を、あともう少しだけ過ごしていたい。
急ぐことはない。
時間はたくさんある。
急ぎすぎて壊したくない。
だから、二人でゆっくりと育てていきたい。
そうしていつか、言ってもいいとお互いに思えるようになったら…
そうしたら初めて、この気持ちに名前をつけよう。
「恋」と言う名の、名前をつけよう。

「誕生日おめでとう。塔矢」
「ありがとう」

君が側にいて祝ってくれる。
何よりもそれが、一番の喜びなんだ。

だからこの喜びを、両手いっぱいに抱き締めよう…

逃がさないように。
溢さないように。

この幸せを、忘れないように…


(終)



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