「え?打っていかないのか?」
その唐突さに、アキラだけでなく市河も驚いた顔になる。
せっかく碁会所で待ち合わせたのに、何もせずに行くと言うのか。
碁打ちが碁会所で待ち合わせて一局も打たずに去るだなんて、まず有り得ない話だ。
もちろん、そんなことはヒカルだって分かってる。
あまりに唐突すぎる自覚もあった。
それでも、ヒカルはどうしても今すぐアキラと二人きりになりたかった。
早く、早く、と気持ちが急いて仕方がない。
(俺、変だ…。あのバレンタインデーの時から…)
そう。花束を貰ったあの日から、ヒカルは以前より少しアキラに対する独占欲が出たように感じる。
確かにそれまでもアキラの隣に居るのは自分しかいないと、それなりの独占欲は持っていたと思う。
でも、今感じているこれは、今までの比ではない。
もっともっと、本能から訴えるような強欲的な独占欲。
たぶんそれは、形があったとしたらとても醜くて、けれど何よりも輝いてもいる。
(俺、やっぱり塔矢が好きなんだ)
改めて感じた、好きだと想う気持ち。
告白はとうに済ませてあるけど、今、もう一度伝えたくてたまらない。
アキラが好きだと、今すぐに言いたい。
(明日になったら、また言えなくなるかもしれないから…)
いつからこんなに、素直じゃなくなったのか。
子供の頃は、余計な事まで口走ってしまうくらい、何でも言えたのに。
こと、アキラに関しては特に口下手になった気がする。
ここ近年はその傾向が顕著に現れていた。
けど、今日なら。
今、この瞬間だけは、素直になりたい。伝えたい。
「対局はいつでも出来るからさ。とにかく行こうぜ。んじゃ市河さん、またな!」
「え?ああ、うん、またね二人とも」
掴まえたアキラの腕を引っ張り、そのまま市河に手を振ってアキラが入ってきたばかりの碁会所の出入口へ向かう。
奥でアキラを待っていた北島たちも、突然のヒカルの行動にただポカンとしていた。
そんな面々にヒカルは胸中でもう一度謝ると、あとはもう振り返ることなくアキラを連れて碁会所を後にする。
そんなヒカルの唐突な行動にはそれなりに免疫をつけたつもりでいたアキラだったが、どうやらまだまだだったと思い知らさられた気がした。
(本当に君は、ビックリ箱みたいな性格をしているな…)
いったい何が飛び出すかわからない。
蓋を開けてみてもさらに二重三重のビックリがあったりするから、ビックリ箱の方がまだ驚かないかもしれない。
「進藤?予約している店は反対方向なんだが…」
そのまま歩く事しばらく。
ふとアキラは、道の方向が違っている事に気が付いた。
二人で行こうと予約をしていた店は、全く反対方向にある。
このままいけば、店は遠くなるばかりだ。
遠回りするにしてもこの距離では遠すぎる。
直ぐに引き返そうと提案するが、
「いいんだ、こっちで」
ヒカルは構わず、アキラの手を引いたままどんどん進んだ。
さらにはそのまま地下鉄に乗り、迷うことなく先へと進む。
もう行先は決まっていると、そう言っているように。
(どこに行こうっていうんだ?)
この方向にはヒカルの行きつけのラーメン屋や洋食店などが確かにある。
まさかそこに行く気なのだろうかと思ったが、ヒカルの顔色を伺う限り、どうもそう言った飲食店に向かうような雰囲気ではない。
それでも自分をどこかに連れていきたがっている。
それだけは分かるのだが、それがどこなのかまではさすがにわからない。
何しろ、ヒカルはアキラの考えが追いつかないビックリ人間なので。
(それにしても…)
ふと、アキラは視線を手元にそっと移動させた。
ヒカルによって掴まれた手は、いまだにしっかりと握られている。
まるで、離すまいとしているかのように…
(まぁ、嬉しいんだけど…)
確かに嬉しい。
嬉しいのだが、同時に気になる。
だって仕方がない。
普段は外でそう言うことをアキラがしようとすると、ヒカルは目くじらをたてて怒りだすのだ。
それなのに今はそんなヒカルの方から手を繋いでくれている。
(君は、気づいているんだろうか…)
繋がれた手のその先にあるヒカルの顔をちらりと伺う。
ヒカルは窓の外を向いたまま、こちらを向こうとはしない。
(もしかしたら、手を繋いでいる事を忘れてる?)
繋がれた手の強さからそれは無いだろうとは思うが、それでも、普段にはないヒカルの積極さにアキラは少し戸惑った。
そのまま無言で時は流れる。
電車の揺れに合わせて、繋いだ手も揺れる。
ガタンガタンとリズムに合わせて、時折、大きく振られて。
それでもやはり、ヒカルは手を離さない。
ただどうしてか、目を合わせようとはしてくれないけれど…
会話もない。
ヒカルの口は、横一文字に結ばれている。
でも、怒っている様子はない。
それどころか、絶対に離すなと訴えるようにヒカルの手にはどんどん力が籠っていく。
試しにアキラからも力を込めて繋ぎ返してみた。
すると少し驚いたような顔をするが、フッと目だけで笑って同じだけの力を返してくれた。
(このまま、時間が止まってしまえばいいのに…)
こんな幸福、きっとめったにある事ではない。
どうせならこのまま時間が術で止まってしまえばいい。
高揚のあまり、アキラの思考がつい乙女チックにときめいた時だった。
それまで黙ってじっとしていたヒカルが、不意に動いた。
「次で降りるぞ」
「へ?」
次、と聞いてアキラの声がひっくり返る。
次いで声には出さずに「まさか!」と叫んだ。
乗っている電車はもしかしなくとも覚えがあって、いつも乗っている通勤電車だな…とは思ってはいたが、きっと方面が一緒なだけで別の場所に降りるのだろうと考えていた。
しかしヒカルは次の駅で降りると言う。
その駅はそれこそ間違いなく、アキラが毎日使っている家からの最寄り駅だ。
(まさか、ここまできて家に帰るつもりなのか?)
そんな馬鹿な!とヒカルを凝視した。
だって今日はバレンタインデーのリベンジをするのだと、あれほど約束をしたではないか。
そう思った事が顔に出たのだろう。
「そのまさかだよ」
ヒカルがこちらを振り向いて、ニヤリと笑った。
「ごめんな塔矢。俺、お前の家に行きたい。今すぐに。…ダメか?」
さらには上目づかいですがってくるヒカルに、アキラは出かかった言葉を全て飲み込んだ。
だってどうだ。
こんなめったにない甘えモードのヒカルに、どうして怒鳴ることができよう。
あれほど約束したじゃないかとか、今日を逃したら次のチャンスは何時くるか分からないとか、こっそりと立てていた計画のあれやこれが丸つぶれになるとか、言いたいことは山ほどある。
それでも、その言葉を全て捨ててしまってもいいと、そう思わせるほど今目の前にいるヒカルのその態度は魅力的だった。
「わ、わかった…」
観念したようにコクリと頷く。
その声が上擦っているのが自分でもわかる。
それでもアキラの了承を得られた事で、ヒカルは嬉しそうに微笑んだ。
その頬が、ほのかに赤い。
(ああああ!進藤!なんて…なんて可愛い顔をするんだ!!)
まずい。今すぐこの場で抱きしめてしまいたい。
誰の目にも触れさせずに、この腕の中に仕舞ってしまいたい。
だってもったいない。
こんなに素直で可愛いヒカルなど、年に何度見れることか…!
興奮のあまり手がジワリと汗ばんだ気がした。
いや、気がしたのではなく、手を合わせていたヒカルが若干引いた目になってアキラを見ていたことから、本当に汗ばんでいたのだろう。
それでもヒカルは手を離さなかった。
駅のホームに降り立っても。
そのまま、改札を抜けても。
てくてくてくてくと、二人の足音が閑静な住宅街に響く。
日は徐々に陰り、辺りは薄暗くなってきた。
足はまっすぐにアキラの家に向かっている。
この先の交差点を曲がって、そのまま道なりに真っ直ぐ歩いて…
家が近づくたび、二人の足が次第に駆け足になっていくのを止められない。
それからどうしてか、全速力で追いかけっこが始まって。
それでも繋いだ手は離さず、どちらからともなく笑い出す。
知らず感じていた緊張がほぐれ、肩の力が抜けた。
どうやらお互いに焦りすぎて緊張感が随分と高まっていたらしい。
「なぁ、塔矢」
もうすぐ家の門灯が見える。
そこまできて、ふとヒカルが足を止めた。
手を繋いだままのアキラも、必然的にその場で足を止める。
「どうしたの?」
まさか、ここまできてやっぱり帰ると言い出すつもりではないだろう。
それなら力づくで家に連れ帰る。
アキラの目が一瞬血走った。
けれど、そんな心配は杞憂に終わる。
「あのさ。今なら、誰もいねぇよ?」
小首をかしげながら、ヒカルが照れたようにそんな事を言い出した。
始め、アキラはヒカルが何を言っているのかが理解できずにやはりこちらも首を傾げた。
だが直ぐに、ヒカルの言っている事の意味を察する。
まさか…
(まさかこの路上で、手を繋ぐ以上の事を君は求めているのか?!)
バクバクと心臓がうるさいくらいに高鳴った。
どうした今日は…
なんてサプライズばかりの日なのだ…!
アキラは胸中でやはり叫んだ。「ビバ!ホワイトデー!!」と。
うっかり興奮で全身を赤く染めたアキラに、ヒカルが堪え切れずに噴き出して笑う。
(ああ、もう。考えてる事が全部駄々漏れだっつーの)
分かりやすいったらない。
でも、たまにはこうしてアキラを甘やかすのもいいものだと、ヒカルは体温の上昇したアキラの胸に自ら飛び込んで思った。
アキラのこんな間抜けな顔がたくさん見れるなら。
自分しか知らない、アキラの顔が見れるなら。
素直になってみるのも、たまにはいい。
「家につくまで我慢出来ないっていったら、お前どうする?」
その腕の中で囁く。
甘い、甘い、甘美な誘惑。
「あ、でも脱ぐのはお前の家についてからな?」
でも、だからと言って全てを丸ごと預けることはしない。
そこはやっぱりギブアンドテイク。
何事も、公平に。
それが自分たちの関係で、それ以上にも以下にもならない。
だから、
「ここでキスしてくれたら、俺も後でお前にキスしてやる」
強気な視線で挑むように顔を上げれば、分かったとばかりに顎を取られて唇を塞がれた。
熱い唇が、触れて、離れる。
そうしてもう一度触れて、今度は触れたまま奥を暴かれる。
道端でいったい何をしているんだろうとは思うけど。
でも、一分一秒でも早く、この唇に触れたかった。
その背中に、腕を回したかった。
独占して、何もかもをアキラの存在で満たしたかった。
薄く開けた歯列の隙間に、唇よりも熱いと感じる舌先が侵入してくる。
その舌を前歯で軽く噛んでやると、ビクリとアキラの方が跳ねた。
鋭い眼光がヒカルを睨む。
謝るように今度は噛んだ舌先を舐めてやれば、今度は容赦なく口内まで侵入を開始してきた。
深く、深く、唇が繋がる。
お互いの息が混じり合う。
酸素を奪い合って、舌を絡めて。
そうしてどのくらい唇を合わせていたのだろう。
先に根を上げたのは、キスをけしかけたヒカルの方だった。
カクリと膝の力が抜ける。
酸素不足で目眩がした。
そんな崩れたヒカルの体を、アキラは苦も無く持ち上げるとそのまま家に向かってダッシュする。
家の鍵を出すのももどかしい。
ヒカルを抱えたままもぞもぞとポケットを探り、ようやく見つけた鍵を取り出すと、同時に何かが玄関口にポトリと落ちた。
それは、綺麗にラッピングが施された小さな箱。
「あ…」
それを見て、ヒカルが目を開く。
「そ、そうだ。これ。ホワイトデーの…」
渡そうと思って…
言いながら、鍵を開けるのが先かプレゼントを拾って渡すのが先か、アキラがひとりでパニックなっている姿がどうにもおかしくて、ヒカルは耐え切れずやはり腹を抱え笑った。
「進藤!」
笑うな!とアキラはたしなめるが、やがてしかめっ面だったその顔も笑顔に変わる。
「ごめん。おかしくて。それにさ、たぶんそれ、俺が買った奴と一緒だ」
笑いながらヒカルが降参したように告げた。
「僕も、そんな気がしていた」
そんなヒカルに、アキラもそう言って笑う。
お互いに買った、ホワイトデーのプレゼント。
もしかしたら、また同じ内容のプレゼントなんじゃないかと言う予感はどこかで持っていた。
本当にそうなるとは、思ってもいなかったけれど。
でも、もしも買ったものが違うものであったとしても、それはそれで構わない。
だって、君から贈られた物なら何であれ嬉しくて、そしてこの瞬間がただとにかく、最高に幸せなのだから。
「好きだよ、塔矢」
「僕も、君が好きだ…」
ずっと言いたかった言葉を告げる。
響くように返ってきた言葉に、喜びが込み上げる。
今日二度目のキスはけっきょく、家の中に入ることなく玄関先でとなった。

そう。リベンジなんか果たせなくても、この腕の中には幸せがある。
それだけでいい。

ただ、それだけでいい。


それだけで、いいんだ。


(終)



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