「バレンタインのリベンジを」


アキラがヒカルからのチョコレートを楽しみにしていたその日。
結果ヒカルを怒らせてしまい、ひとりで碁会所に残されたアキラは酷く落ち込んでいたらしい。
それはもう、世界の終わりがきたような顔をしていたと、受付嬢の市河はヒカルに話した。
「進藤くんが怒って出ていくなんていつもの事なのにねぇ?」
そう言って市河はカラカラと笑うが、生憎その日はいつもと事情が違ったのだとは説明する事もできず、ヒカルは曖昧に笑ってその場を誤魔化した。
今日は3月14日。
お互いに花束を交換したあの日からちょうど一ヶ月。
つまりは、ホワイトデーである。
そんな日にここで待ち合わせをしたのは他でもない、あの日のリベンジをするためだ。
最終的にはお互いに花束を贈り合い、バレンタインデーとしてのイベントはある意味成功と言ってもいい出来だとは思うのだが、そこは完璧主義者のアキラである。
本当なら一緒に行くはずだったデート(ヒカルに言わせればただの外食)が出来なかったことが引っ掛かっていたらしい。
「思いを伝え合う日なのだから、やはり恋人らしい時間を過ごすべきだった…」
一週間ほど前、やはりここで検討をしていた時にアキラはボソリとそう呟いた。
(ていうか、恋人らしい時間はそれこそあの後たっぷり過ごしたじゃねぇか…)
思わず突っ込みを入れる。
確かにあの日は、気分が盛り上がりすぎて二人とも外食になど行く気にもなれず、そのままアキラの家に転がり込んだ。
そのあとはまぁ、それなりに恋人同士の時間をタップリと過ごしたのだから、ヒカルにしてみれば不満などない。
しかしアキラは満足していないと言う。
なんとなく、その理由はヒカルにも分かっていた。
家の中に隠れて秘密の関係に溺れるのもいいけれど、時には堂々と明るい場所を一緒に歩きたい。
多分、それだけでいいのだ。
食事や買い物は、そのおまけでいい。
そう。ほんの少しでいいのだ。
バレンタインデーと言ううかれたイベントに便乗して、一緒に町を歩きたい。
一緒に食事をして、こっそり手なんか繋いでみて。
あの日、碁会所をひとりで飛び出した時に見た町にあふれる幸せそうな笑顔たち。
その中に混ざってみたい。
公になんか出来ない事は二人とも分かっているけれど、バレンタインデーと言う少し特殊な日だったなら、もしかしたらそれを許されのかもしれない、と。
だから、バレンタインデーと対になる今日。
ホワイトデーにリベンジを計画したのだ。
(ホントあいつ、バカだよな)
碁と同じ。一直線で譲らない。
それはヒカルも同じだけれど、敢えて見えないふりをした。
とはいえ、もちろんアキラと出かける事が出来るのなら、理由が何であれ嬉しい事に変わりはない。
本人の前では照れが先行して素直には言えないが…
「それでね、お客さんのひとりが花束を持ってここに来たのよ」
そんな訳で今日も、お互いの仕事が終わり次第いつもの碁会所での待ち合わせをしていたのだが…
ヒカルは碁会所に来るなり、席には座らずなぜかそのまま受付で市河と話し込んでいた。
スケジュールを見ればヒカルが先に碁会所につく事は分かっていた。
でもそれはほんの2、30分の差で、さほど変わらない。
だったら、棋譜を並べて待つよりも、アキラのいない隙に市河に聞いてみたい事があった。
それは他でもない、アキラが花束を持ってきた理由だ。
実はずっと気になっていた。
どうしてあのアキラが、フラワーバレンタインの事を知っていたのだろうかと。
なにしろ、あれだけヒカルからチョコを貰うことだけを考えていたアキラだ。
一度思い込めば曲がる事を知らないアキラが、それなのになぜ、ヒカルのために花束を用意してくれていたのか。
確かに貰った時は嬉しかったが、それは同時に不思議でもあった。
自分は貰う立場の方だと豪語していた手前、花束とは言えアキラが贈る側にまわるなんて事はなかなかあり得ないのだ。
だいたい、どこでフラワーバレンタインの情報を手に入れたのか。
碁以外に興味のないアキラが、その話題を自分の手で入手できるとは、ヒカルにはどうしても思えなかった。
ヒカルでさえ、たまたまポケットに入っていたティッシュのチラシで知ったというのに…
だからといって直接アキラに聞いたとしても、きっとまともには答えてくれないだろう。
はぐらかされるのが落ちだ。
ならば、と。ヒカルは市河から情報を聞き出す事にした。
市河ならば、もしかしたら何か事情を知っているかもしれない。
そしてその予想は、まさにドンピシャだった。
「急に花束なんか持ってきたから何事かと思ったら、どうやら奥さんに買ってきたらしくてね。テレビで奥さんがフラワーバレンタインデーの特集を見ていたらしくて、せがまれたんですって。いいなぁ、私にはないの?って聞いたら、慌てちゃってね。もうその慌て様に皆で大笑い。冗談よって言ったら、驚かさないでくれよって言われちゃったわ〜」
手振りを交えながら話す市河に相槌を打ちながら、ヒカルはなるほどなと納得した。
多分アキラは、その会話を聞いていたのだ。
「なぁ市河さん。その時塔矢はどうしてた?」
試しに聞いてみた。
すると市河は、なぜそんな事を聞くのかと少し不思議そうな顔をしながらも、
「あ、そういえば。その話の直後にアキラくんったらいきなり立ち上がって、そのまま挨拶もそこそこにすごい凄い勢いで帰って行ったのよ。それにもビックリしちゃった」
「…やっぱり…」
市河の答えにヒカルは確信する。
間違いない。
アキラはその話を聞いてフラワーバレンタインの事を知ったのだろう。
けれどまだ疑問は残る。
それを聞いたところで、本当にあのアキラが花束を買いにいくだろうか…
確かにヒカルと口論になり、仲直りするための何かをしようとは考えていただろう。
そのためにフラワーバレンタインを利用しようとしてもおかしくはない…
(でも、それだけじゃきっとないよな…)
ヒカルに花束を渡す時、アキラはとても嬉しそうだった。
「贈る側も、いいものだね」
そう言って、バレンタインデーに拘っていた自分の事をヒカルに謝ってくれたアキラ。
ヒカルもヒカルで、意地になって碁会所を飛び出してしまったこと。そして自分こそどこかでバレンタイデーに対して先入観があって拒否してしまった事を謝った。
だから決して、アキラは花をただの道具として利用しようとしたんじゃないことは分かる。
フラワーバレンタインと言う、男性から女性へと花を贈る習慣があることを知り、自分の固定観念が覆されて、ヒカルにばかり送る事を強制しようとした自分を恥じた。
求めるだけでは、ダメなのだ。
欲しいものがあるなら、自分も動かなければ愛情は返ってこない。
お互いに気持ちを贈りあって、そうしてお互いの気持ちがひとつになっていく。
これまでは、ホワイトデーにそれをすればいいと考えていた。
だからバレンタインデーにはヒカルにチョコを貰って、自分はホワイトデーに返す。それが当然で、それでお互いに贈りあったことになると。
でも、それではダメなのだと気付いた。
確かに一般的には女性がチョコを贈り、翌月に男性が返す事が習わしだ。
けれども自分たちは同棲で、世間一般とは違う。
まして、ヒカルは女性ではない。
そのヒカルに、一般の女性と同じ事をさせようとした。
それが当たり前だと、どうしてか思っていた。
それに気が付いたアキラは、一方的にヒカルから貰うのではなく、自分も贈ろうと考えたのだ。
しかし今更チョコを買いに走るのもやはり恥ずかしい。
そこにフラワーバレンタインの話が舞い込んできた。
この機に乗じるのは少しためらいがあったが、迷っている時間はない。
いや、むしろそれしかもう方法は無い!!
アキラの気持ちの動きようが、ヒカルには手に取るようにわかるようだった。
(ったく、ほんとにあいつってば…)
恥ずかしい男だ。
そう思いながらも、そんなアキラが好きだと思うのだから、自分も充分に恥ずかしい男の仲間入りである。
「それでね、来年はみんなで大きな花輪を買って碁会所に飾るなんて話になって、そんなのなんだか恥ずかしいから止めてって言ってるんだけど…」
市河の話はまだ続いているようだが、もうすでにヒカルの耳には届いていない。
その目は、そろそろ碁会所に到着するだろうアキラを捉えるために、入口へと向けられていた。
(ごめんな塔矢。今日はバレンタインのリベンジできそうにねぇや)
そうして心の中で謝る。
たぶんきっと、今日の予定は全部キャンセルになりそうだと。
だって、ヒカルはもう今すぐにでもアキラに飛びつきたい気持ちでいっぱいだった。
嬉しくて、仕方がなかった。
アキラが花束をくれたあの日より、どうして花を持ってきたのか、その理由が知れた今の方がますます嬉しくて仕方がない。
(…はやく、二人になりたい…)
気持ちが膨らんでいく。
もう、このまま碁会所を飛び出してアキラを迎えに行ってまいたいくらいだ。
すると、ややして見覚えのあるオカッパがガラスの向こう側に見えた。
ヒカルは足を一歩踏み出そうとして、けれども辛うじて止まる。
アキラが、駆け足になっている事に気づいたからだ。
これでヒカルも飛び出して正面衝突なんて落ちは避けたい。
出掛ける前に怪我だなんて、元も子もない。
「すまない。遅くなった」
息を切らし、店内に入ってくるそんな姿も美男子なアキラに、少しばかり嫉妬した。
それでも、カウンターにヒカルが居る事に気付き慌てたように入ってきたアキラに、ヒカルは思わず笑った。
ああ、もう本当に。
今すぐ抱き着いてしまいたい。
でもそれはもう少し我慢だ。ここで抱き着いたら、みんなが驚いてしまう。
だから、
「よぉ、塔矢。来てすぐで悪いけど、行こうぜ」
ヒカルはアキラの腕を取ると、早々にそう切り出した。



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