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白龍市の港に大船が入った。

月に一度の便とあって、荷を受け取りに来た店の主人やら、金持ちの家の使用人やら、忙しく立ち働く舟子やらでごった返す桟橋はことのほか賑やかだ。
船から降りた客の中に、薄布で顔を隠した、身なりの良い男があったことなど誰も気に留めはしない。

男は、客待ちの俥まで手荷持を運ばせた若い舟子に礼を言うと、懐から布包みを取り出した。

「ああ、すまないな。これは少ないが駄賃だ」

「おっ、こいつはすいません」

銭の重みを手に確かめて破顔した舟子は、顔を隠した男に抱いたわずかな不審をあっさりと忘れて、足取り軽く立ち去っていく。
その様子を俥の上から見送った男は、椅子に背を預けると、ひっそりと笑みを浮かべた。





白龍屋敷、執務室。
やわやわとした日射しが差し込み、開け放した窓からは風がどこからか花の香りを運んでくる。
木々の枝に鳴き交わす鳥の声が、なんともいえず長閑。
気抜けするほどに平和な午後である。

机に高く積み上がった書状をうんざりとめくっていたマクシミリアンは、こつこつ、と規則正しい足音が廊下を近づいてきて部屋の前で止まったのに気づくと、軽く眉をしかめた。

「『白龍』。急なお客さまがお見えです」

伍家の船団が港へ責めてきたとしても変わらないのではないか、というほどに淡々とした執事の態度に、視線を向けてわざとらしくため息をついてみせる。

「知っての通り、わたしは執務中なのだがな。つまらん陳情の類ならば、前もって面会の許しを得るように言って、追い返せ」

もっともらしいことを言いながら、よい休憩の口実ができたとばかりにさっさと筆を放り出す。
ひねくれ者の主の態度にも顔色ひとつ変えず、万里は、いえ、と首を横に振った。

「それが実は、先日の大船で四龍島へやってきた、本土の商人だそうなのです。なんでも、是非『白龍』にご挨拶がしたいと」

「ほう、本土のか。あちらとの商売で成り立つ白龍市の主としては、邪険にはできないというわけだ」

「それもあります。が、他にも少々問題が」

しばし言いよどむ万里の様子を一瞥すると、マクシミリアンはわずかにくちびるの端を上げる。

「いいだろう。通せ」



ほどなく万里の案内を受けて、品の良い袍を纏う男が執務室の扉をくぐった。

現れたのは、金の髪。
二十七、八ほどと見える顔は白く、均整の取れた長身に、女であれば誰もが頬を染めるような甘い顔立ち。
曇り空のような灰色の瞳が、『白龍』の姿をみとめて笑う。

この島では自身と友人のほかには見かけない"異相"に驚くでもなく、マクシミリアンは、す、と目を細めた。

「ほう……どうやら、懐かしい顔のようだ」

「覚えていてくださったとは、ありがたいことでございます」

本土の訛りに、わずかに混じる異国語の響き。
けれど、慇懃な口調も拱手する仕草もさまになっており、見た目のほかは龍江街あたりに居を構える裕福な商家の主と変わらない。

「『白龍』さまにおかれましては、優れた手腕にて街をお治めになり、白龍市の行く末はますます安泰とか。我ら、こうして商いに参ります商人といたしましても、まことにもって頼もしい限りでございます――」

「能書きはいい。わたしがここにいると知って来たからには、そんな挨拶がしたいわけではあるまい」

思いがけないはずの再会に顔色ひとつ変えないところを見ると、こちらが街の領主の椅子に収まっていることを知った上での来訪に違いない。
でもなければ、居留区の商人が四龍島に渡ってくることなどそうそうあるはずもなし。
何か魂胆があるのだろう、と言外に問えば、記憶の中の少年とはかけ離れた男のすました顔が、覚えのある風ににやりと歪んだ。

「変わらないようだな、マクシム」

「おまえはずいぶんと見違えたぞ、アラン・バートン」

マクシミリアンが本土の外国人居留区に暮らしていた少年のころに、わずかな間、縁のあった男である。
当時は、相手の素性など知りたいとも思わなかったのだが。

「これでも商家の跡取りなんでね。知った顔が街のご領主さまになってると聞いて、こりゃあ後ろ盾になってもらわない手はないと思って来たわけだ」

言いながら、携えてきた蒔絵の箱の蓋を開いてみせる。
中身を包んでいた絹の布を丁寧にめくれば、洋風の茶器に紅茶の缶、硝子で作られた動物の置物、花鳥を描いた小さな額などが現れた。

「こういうものは、向こうじゃ大した価値がなくても、こっちでは珍しがられて高く売れるからな。こっちのものも、向こうに持っていけば高値がつくぜ」

そういう商売なのだと笑う顔が少年の頃のままで、家業とはいえ余程もともとの性に合う商売なのだろうと思わせる。

「どうだ? 悪い取り引きじゃないだろう?」

本土と四龍島との交易は、月に一度の大船が担っているものの、西の国の商人が四龍島と直に商いを結んだ例はない。
その、「初めの一人」になるための力添えを、と。

「ついでに、後から真似をしにくる連中よりも、少しばかり贔屓にしてもらえればありがたい。もちろん、礼はたっぷりするぜ」

「なるほど……」

確かに、持ちかけてくる儲け話としては、ごくまっとうなものである。だが、

「おまえのことだ、それだけとは思えんな」

手のひらに乗るほどの小ぶりな絵の額を取り上げると、マクシミリアンは無造作に後ろの留め金を外した。
二重になった板の間に挟まれた紙袋を、指先でつまみあげる。

「これがおまえの本業というわけか」

他の品物にも同じものが仕込んであるのだろう、と問えば、悪びれもせず、にや、と笑ってみせるアランだ。

「悪い取り引きじゃない。だろう?」

「確かに悪い話ではない。だが、この街では先年、阿片窟を取り潰したばかりでな」

潰したばかりでこんな商売を許すのは具合が悪いのだ、と嘯けば、アランが意外なことを聞いた、という顔になって、

「おいおい、なにも表立って商売を手伝えと言ってるわけじゃない。こいつの中身については、知らないふりをしといてくれってだけの話だろうが」

弄んでいた硝子の猫をマクシミリアンの手にぐい、と押し付ける。
それを陽に透かし見たマクシミリアンは、不意に扉のほうへちら、と目をやると、うすく笑んだ。

「そうだな……おまえが、うるさい番犬の目をうまく欺けるというなら、考えてやらんでもない」

控えめに扉を叩く音がして、

「……お話中に失礼いたします、『白龍』。花路の頭がおみえです」





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