01.生きてもないのに朝は来る


「……久っしぶりに来たけど。なんだかなぁ」

 江戸の町は、風変わりした。雑然とした町中を眺めつつ、呆れ果てて溜息を吐く。

 この町は。
 とてつもなく、生きにくい。



「……ったく。ギャアギャアうるっせえなあ?」

 なけなしの給料で買えたのは、みたらし団子三本。これは自分が食べる分。残りは絶賛買い物中の従業員二名に渡す、駄賃代わりの大福二つ。

 店前の椅子に座って甘ったるい団子にかじりつきながら、騒がしさの生まれた場所を見遣る。ちょうど川と向かい合う格好で、甘味処は建っている。店の右手側に架かる、橋の上。段々と野次馬の集まりはじめたその場所の様子を窺いつつ、モチャモチャと団子を咀嚼して、言い争いに聞き耳を立てる。

「だからさ?ぶつかったのは、アンタらの方でしょう?子供なんて走って回るんだから、避けてあげなよ」

「ああっ!?突然割り込んで来といて、生意気言ってんじゃねえぞ!?」

「ぶつかったけど、この子ちゃんと謝ってたじゃん。アイスクリームつけられて、服汚れたわけじゃあるまいし。許してあげれば?って、私は言ってんの」

 集団で歩いていた天人に、子供がぶつかった。理不尽な理由で、高圧的な天人に絡まれる。江戸の町では、至ってよくあることだ。極めて真っ当な意見を口にする少女に、周りの野次馬たちが『そうだ!そうだ!』と、同調して騒ぎ出す。

「謝って済む問題じゃねえって言ってんだろうが!!正面からぶつかってきたのは、そのガキなんだぞ!?」

「他人にぶつかって。逃げもせず、言い訳もせず。ちゃんとすぐに謝った、この子は偉いと思うけど。というか、前見て歩いてたクセにぶつかってきたアンタらの方こそ、逆に謝るべきなんじゃない?」

 言いがかりを付けられて、おろおろとする子供を恐らく背後に庇って。馬鹿デカい図体をした数人の天人相手に周りを囲まれながらも、物怖じする様子も無く気丈に言い返す女の声に、ふと引っ掛かりを覚える。

 幼馴染みの声に、似ている気がした。けれども薄れかけた記憶では、アテにならない。はっきりと顔は思い出せるのに、どうにも最近その声が思い出せなくなってきた俺は、最低かもしれない。

 数年後の大人になった彼女なら、こういう声になるんだろう。幼さの抜けて落ち着いた声音が過去の記憶に残った彼女の声となんとなく重なって、どくんと心臓が跳ねる。
 
「そんなに言うなら、許してやってもいいぜ。ただし、嬢ちゃん。俺たちの相手しろ」

「……謹んで御遠慮します。まずいことになりそうなんで」

「ちょっと酒の相手してくれりゃいいんだって。すぐに帰してやっからよ」

「聞いてた?今、断ったよね?」

「この女が責任とってくれることに、感謝しろよ小僧!」

「姉ちゃんッ!!えッ!?」

「ちょっと!怒られるから!」

 変な方向に話が向いてきた。譲歩するかのように見せかけて、好き放題するのは間違いない。まったくもって、クソな奴らだ。

 無理やり腕を掴んで、連れ去ろうとでもしたのか。ほどけた人溜まりからポンッと小柄な姿が弾き出される。その姿を追いかける、さらに小さな少年の姿。

「待てってば!!姉ちゃん返せ!!」

「〜〜だぁ!!やっぱり!!そうなるよな!!」

 ズルズルと引きずられていく小柄な着物姿を、すかさず追いかける少年は見上げた根性をしている。見ているだけで、助けに入ろうとしない群集とは大違いだ。まあ、それが正しい自衛方法なのだが。

 団子の串を咥えたまま、脇に置いていた木刀を手に取り、重たい腰をあげる。そろそろ助けに入ってやるのが賢明かもしれない。

「銀ちゃーん!帰るアルよー!」

「銀さん?どこ行くんですか?買い物終わりましたよ?」

 買い物袋を両手にそれぞれぶら下げた、神楽と新八がこのタイミングで合流した。万事屋と逆方向に歩いていこうとしている俺を、新八がきょとんとした顔で呼び止める。

 橋の上の喧嘩は、目に見えてヒートアップしていた。有無を言わさず引っ張られ、連れ去られかけている小柄な着物姿。連れて行かせてなるものかと腕を掴んで離さないせいで、口汚く天人に罵られている少年。

 そのどちらもが気に入らないと云わんばかりに、後ろ姿からでも静かに怒りのボルテージが爆上がりしているのが見て取れた。

「揉め事ですか?」

「銀ちゃん、銀ちゃん」

「だから、アレだけ片付けて……って。なんだ、神楽」

「投げ飛ばしたアル」

「あ?なっ……何してんだァァァ!?!?」

「あああッ!?」

 着流しの袖を引っ張った神楽が指差した先で、イチャモンをつけていた天人がド派手に吹っ飛んだ。それはもう綺麗に、橋下へと落っこちていった。

 ドボンと川の中に落ちた天人に、周りの空気が凍る。天人相手に手を出すなんて、怖いもの知らずにも程がある。

 しつこく詰め寄る少年に腹を据えかねて手を上げかけた天人に対して、遂に怒りのボルテージが振り切れた。無駄な動き、ひとつなく。軽く巨体を投げ飛ばした、懐かしさの塊でしかない身体の動きを見て確信した。

 水上紫苑。
 俺の幼馴染みで間違いない、と。

「ああ、えっと。気に入らねェって、刀で即斬り捨てそうな危険人物が背後に居るので。いや、今は喧嘩中だから。知らないけど」

「このアマ!!」

「わあ。怖い怖い!!」

 遊んでやがる。振られた拳を笑ってひょいと避けた紫苑は足払いをかけて、正面から突っ込んできた天人を欄干に叩きつける。決めつけとばかりに胸元を蹴り飛ばして、川下にまた一人落下する。ついでに近くに居たもう一人の天人も、漏れなく肘鉄を食らって、数秒差で川の中に叩き込まれていった。

「銀ちゃん?知り合いアルか?」

「……知り合いどころかッ」

 寝食を共にした仲だ。わしゃわしゃと頭を引っ掻いて、声にならない叫び声をあげる。

「あああ!!銀さん!!騒ぎを聞き付けた天人が集まって来ますよ!?」

「とりあえずお前ら!!アイツを回収して、とにかく逃げるぞ!!」

 とんだ場所で再会してしまったせいで、頭の理解が追いつかない。
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