04.邪魔をしない程度の心


 暮れなずむ町は、オレンジ色から藍色に染まっていく。ギャアギャアと騒いで居たら、あっという間に楽しい時間が過ぎた。

 そう云えば。数少ない部下たちに、帰りの刻限を告げるのを忘れてしまった。そろそろ帰らなければ。船に残してきた、あの子たちが心配してしまう。

「ターミナルか?」

「まさか!攘夷派の人間が表玄関使って、帰って来るとでも?」

「だろうな」

 玄関先で下駄に足を通す私の隣で、見送りに出ようとブーツを履こうとした銀時の動きを手のひらで制する。停泊した船の場所まで、そう遠くもない。

「あ。大事なもの、渡しそびれるところだった」

「ん?」

 友達になったばかりの少女に譲ってもらった、ウサギ柄のメモ切れ一枚。電話番号とメールアドレスを走り書きしただけのそれを、銀時の手のひらに乗せる。

「これ、私の連絡先。何かあったら、連絡して。ただし、個人用の電話番号とアドレスだから、三人とも覚えたら必ず燃やしてね」

 昔から変わらない細い文字を見て、一瞬だけ銀時が動きを止める。あの人のことを思い出させてしまった。自分で言うのもなんだが、松陽先生そっくりな字を書く自分の字は、あの日を境に嫌いになった。

「高杉と喧嘩した時には、事前予約無しで泊めてやるよ。ただし、ちゃんとお泊まりセット持ってこい。ウチには何もねぇからな」

「その時は、女子会するネ!待ってるアルよ!」

「いつでも来てください。またみんなで騒ぎましょう」

「ワンッ!」

 鼻先をこすりつけて別れを惜しんでくる定春の勢いに負けて、もふもふとした柔らかい毛並みに顔を埋める。随分と懐かれてしまった。どさくさに紛れて、ほどいた髪がぐちゃぐちゃに撫でられた気がするが、何も言うまい。

「紫苑!変な奴に絡まれたら、迷わず警察呼ぶんだぞ!」

「バイバーイ!紫苑!約束アルよー!」

「お気をつけて!紫苑さん!」

「……警察呼んだら、捕まるって」

 万事屋の二階から身を乗り出して、見送る三人と一匹に小さく手を振る。銀時とばったり会ってしまったことは誤算だったが、友達が増えた。

 くるりと背を向けた足元で、着流しの裾が揺れる。今度は大量のお菓子を手土産に、万事屋へ行こう。



 かぶき町を抜けて船着場に繋がる裏道へ入る頃には、ぱったりと人の姿が途絶えた。空に浮かぶ明るい月が薄雲に隠されて、辺りには夜闇が満ちる。

 視線の先には、見知った姿がひとつ。闇に溶け込むように、アイツはそこに立っていた。

「……何してるの」

「そりゃあ、こっちのセリフだ。行き先も告げず、勝手に出て行きやがって。どういうつもりだァ、紫苑」

 眼光鋭く睨みつけてくる視線を、真正面から受け止める。微塵も怖くなかった。晋助が本気で怒っていたら、今頃は無言で頭を鷲掴みにされて、船に叩き込まれている。

 まあ、勿論。そんな暴力的な扱いを受けたことなんて、今まで一度だって私は無いけれども。

「……すぐ帰るつもりだった」

「なら、ひとつ聞くが。お前のすぐって言うのは。昼前に船を出ておいて、夜も良い時間になって帰ってくることか?感心だな」

「ハア……心配しなくても、ちゃんと武器は持って行ってるよ。晋助が居るなら別だけど、丸腰でなんて怖くて歩けない」

 着流しで隠れてはいるが、拳銃は太ももにつけている。刀の方が使い慣れているのは間違いないが、廃刀令の布かれた世の中で、目立つイチモツを腰に差す勇気は無い。

 万が一、刀をフッ飛ばされても困らぬように。攘夷戦争時代には、死ぬほど射撃のイロハを叩き込まれた。おかげで威嚇射撃のノーコンから額のド真ん中に鉛玉をブチ込んでやれるくらいの技能まで、無事に成長を遂げた。

「丸腰で歩きやがったら、万斉か来島を一生護衛につけてやるから覚えとけ」

「晋助の部下でしょ?なに私的な理由で使おうとしてんの?可哀想だよ」

「来島辺りは。喜んで着いていくと言うと思うが」

「アレは晋助の命令だからであって、私と一緒に出掛けられることに喜んでるんじゃないと思うんだけど」

「…………」

「なに?その憐れみのこもった視線」

「来島が可哀想になった」

「ねえ、晋助。つい最近まで、私にまた子しか友達居なかったこと忘れてない?ほとんど周りに居るの保護者だって事実、忘れてない?」

「あのなァ……サラッと突っ込みにくいこと言うんじゃねェ」

 鬼兵隊総督として。高杉晋助を慕っている彼女は、本当に純粋だ。ほとんど目立った働きもしていないのに、幼馴染みだからという理由で、晋助の厄介になっている私とは大違いだと思う。

 女同士。普通であれば『なんでコイツが』と、ぶつかりあう場面だろうが、どうしたことか晋助と同じく慕われてしまった。それはもう崇拝に近い勢いで、凄まじく懐かれた。

 何処にそんな要素があったのか。今となっては問い詰めようもない。あまり人付き合いが好きじゃないタイプの私は、初めは積極的に声をかけてくる彼女がとても苦手だった。

 冷たくあしらわれても、諦めずに声を掛ける。諦めの悪い彼女が一方通行の会話を数週間繰り返した頃、日常の何気ない会話の種が自然と口から転がり出た。

 はじめて返事をもらって嬉しそうな顔をした彼女に、こんな簡単な返事で喜ぶのなら、もっと早くに言葉を返してあげれば良かったと後悔した。どう接したら良いか分からなくて戸惑っていた私は、人付き合いが苦手にも程がある。

「わざわざ迎えに来なくても良かったのに」

「たかがプッチンプリン食っただけで、家出した奴の機嫌直しに来てやったんだろうが……少しは感謝したらどうなんだ?ああ?」

「一パックも食べた晋助が悪い。全部食べるなんて酷いよ。それに家出って……位置情報オンにしてるんだから、居場所なんて調べようと思えば、簡単に調べられるでしょう?」

「緊急信号が飛んできた時しか居場所は調べねェ。そう、普段から言ってるだろうが。監視されてェのか、されたくねェのか。どっちなんだ、紫苑」

「別に。晋助相手なら、どっちでも」

「……チッ」

 鬼兵隊の船外に出る時のお供は、着替えが済んだ時点で定位置に収めておく。着流しの帯の隙間に挟んだ薄っぺらいスマホは、晋助に持たされた物だ。

 散々、送られてきていた所在確認のメッセージは、無視し続けていた。持っていて意味のあるのか分からない機械を指先でつまんで笑えば、後頭部が指の背で弾かれる。地味に痛い。

「……帰るぞ」

「晋助のクセに!小突くな!」

「フッ……なんだそりゃァ」

 煙管を咥えて、歩き出した背中を追う。口元に浮かぶ笑みは、いつだって余裕綽々。その晋助の表情が崩れるとすれば、もう一度私が傷を負った時だ。それだけは、あってはならない。

「晋ちゃんのばーか」

「オイ。その呼び方だけはよせ」

「じゃあ、プリン泥棒」

「そうか……わざわざ地球産のプリンを買いに来てやった俺に対して、その言葉とは。いい度胸してやがるなァ?」

「いや、何やってんの。仕事しなよ、鬼兵隊総督」

「ほお?プリンは要らねェと来たか」

「ン!?待ってよ!?それは食べる!!」

「だったら、さっさと行くぞ」

 からころと下駄の鳴る音が夜闇に響いて、余韻を残して消えていく。普段なら歩幅の狭い私に調子を合わせてくれるのに、わざと早足で歩く晋助のせいで小走りになる。

 ああ、もう。本当に意地悪だ。背中を蹴っ飛ばしてやりたいと思うけれども、値段の張るプリンがお預けになっては堪らないから、ここは我慢しておこう。
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