05.たかだか指先だけの記憶との対話
江戸鬼兵隊総督。
私がこの肩書きを投げ捨てることは、どうやら神様が許してくれないらしい。全部捨ててやると誓ったのに、ひとつは双方が手を握ったまま離せなかった。もうひとつは月日を経て、巡り巡って手元に戻ってきた。
あの夜、再結成した鬼兵隊によって。あと一歩を決めかねて立ち止まっていた私の背中は、勢いよく蹴っ飛ばされた。
優柔不断な私に盛大な発破をかけた総督殿は、あのまま私が鬼兵隊に入隊する選択肢を選んだとしても、何も文句を言わなかったはずだ。
だが、そうはならなかった。その日から、ほんの少しだけ遅れて。攘夷戦争時代に結成して、終戦を目前に解散していた私の組織も、ひっそりと復活を遂げた。
前線での戦の功績は、もっぱら戦場で暴れ回る男たちに譲っていた。とは云っても、腐っても攘夷戦争。刀を握らなければ、瞬きした刹那に死体となって転がる。明日は、我が身。つべこべ言う暇があるくらいなら、戦うべきだ。
いくら腕の立つ人間でも、あの軍勢相手に突っ込んで行けば、無事では済まない。ましてや、私には死地を潜り抜ける体力も無い。前線で使い物にならないのであれば、少しでも人死を減らすべく、駆けずり回るしかない。晋助が、銀時が、小太郎が、辰馬が。怪我をするのが嫌だった。
情報戦を制する者が戦を制する。誰が言い出したのか、そんな根拠の無い言葉を信じた訳じゃないけれど。あの男どもなら、どんな窮地でも引っくり返してくれる。
気付けば、そこに立っていた。必死で置いていかれないように、とにかく縋って生きていた。ただ、それだけ。とても単純で、滑稽な話だった。
*
「紫苑様!こんな所に居たっスか!」
「また子。何度も言うけど、様は要らない。柄じゃない」
「無理っス。紫苑様は紫苑様ですもん」
赤色の着物を着た友人の顔が、空を見上げた視界に逆さまに映る。船の屋根の上に座って、煌々とネオンに照らされる江戸の町並みを見ていた私に、彼女は呆れた顔をした。
「なにしてるっスか?こんな所で。風邪引くっスよ」
「それは私がまた子に対して、いつも言ってることだね?」
お腹とか、足とか。色々と出しすぎなんじゃ無いだろうか。見る度に心配になるが、同時にスタイルの良さが目に痛い。
「いいんス!動きやすいんで!」
「鬼兵隊って。着物も洋服も満足に買えないほど貧乏なの?金策しようか?がっぽり儲けてきてあげるよ」
「なんてこと言ってるんスか!詐欺師みたいな顔になってるっスよ?」
「詐欺師同然の仕事で、飯食ってるからね。賭博でイカサマするのも結構楽しいよ?敗者の絶望に染まった顔が見れて」
「ハア……悪役みたいなこと言ってどうするんスか」
「一応、悪役だからね?攘夷派だし、高杉一派だし。テロリストだからね?」
「クソみたいな幕府の役人共から、律儀に金巻き上げておいて、よく言うっス」
「……それは後先無くなって、あたふたしてる光景を見るのが面白くて堪らないからだよ」
「……そういうことにしといてあげるっス」
権力の上に胡座をかいて、甘い汁を啜って生きているだけでは飽き足らず、人間同士で醜い争いを続けようとする。
生きていくのもままならぬ人間が、この世の中には沢山居るというのに。これ以上、見るに堪えない姿を晒さないで欲しい。
「で。難しい顔して、何考えてたっスか?」
「うん?ターミナルを効率よく破壊するには、どうするべきか否か」
「紫苑様。それは聞く前から分かる嘘っス」
「じゃあ、また子が風邪引いたら困るから、どうしたら私の着物着てもらえるかなって考えてた」
「じゃあってなんスか!?じゃあって!!今、誤魔化したっスね!?バレバレっす!!」
「水上総督ー!また子姉さん!そろそろ夕飯ですよー!武市さんが馬鹿やってないで、三分以内に食堂来ないと飯抜きだって脅してますー!それから、総督!高杉さんが『飯食わねえ奴に食わせるプリンはねェ』って言ってます」
背後でスパーンと音を立てて開けられた窓に振り向けば、そこには見慣れた部下の姿があった。そんなところで油売ってないで、とっとと戻って来てください。手招きをして言う彼は、最古参なだけあって上司であっても怖いもの無しだ。
「げっ!?武市先輩に紫苑様を呼んで来いって言われてたのに、すっかり忘れてたっス!!」
「あらま。プリンお預けは困る」
「って、総督ゥ!!アンタ、どこから入ってるんですか!?」
「そこに入口があったので」
「窓です!!ここは!!」
「まあまあ。そう細かいこと言わない」
攘夷戦争で親も住む場所も失い、行き場を失くした子ばかり集う私の小さな部隊は、全体的に年齢層が低い。年頃は私とそう変わらないか、ほとんどが年下。
引き取り先も、奉公先も無い。自分の身を守るために、腕だけは立つ。犯罪行為に足を突っ込んで生きている、どうしようもない彼らのねじくれた性格を。首根っこ引っ掴んで、問答無用で叩き直した。
読み書きするのもやっとな彼らがギャアギャア喚いて楯突いたところで、幼稚で根拠の無い言葉を聞き入れる者なんて誰も居ない。最低限の学と常識くらい身につけてから、攘夷活動を謳え。
出会い頭に鼻っ柱をへし折って、学の無いお前らなんて晋助にだって、使い潰されるだけだと宣った私の第一印象は、きっと最低最悪だったと思う。
噛みつき、噛みつかれながら。この腐った世界をどうにか生き残る術を教えて行った。おかげできちんとした道を歩んで行った子も居るが、それでもどうしようも無くて、行き先を見定められなかった子たちが居るのも、また事実だ。
「だいたい!!プリン食べられただけで家出する上司持った、俺ら部下の気持ち分かります!?」
「うーん。なんでこんな口煩い奴を副官にしちゃったかな、過去の私」
別に共通の目的があって、集まったわけじゃなかった。自分の命令に、従わせたかったわけでもない。
傍に居るのがさも当たり前です。そんな顔をして周りを彷徨く彼らに、いつの間にか仕事を任せるようになっていた。相手が此処でも良いと云うのであれば、わざわざ行き場の無い人間を追い出す、野暮な真似なんてしない。
そろそろ活動方針を見直すべきかもしれない。屋根下だけで動くにも限度がある。活動範囲を広げたかったけれども、一人でやっていくのは難しかった。だから、あえて触れてこなかった。
ここに来て、そんな判断を強いられるとは思わなかった。人数は揃っている。彼らも覚悟を決めていた。あとは、私の決断次第だった。そうこうして出来たのが、再結成した江戸鬼兵隊だ。
「悪かったですね、口煩くて」
「上司に口答えするなって教えとけばよかった」
「そりゃあ残念でした。諦めてください」
「オイ、紫苑!!飯だと言ったら、さっさと来い!!冷めるだろうが!!」
「うえ。口喧しい鬼総督が怒ってる」
「全部聞こえてんだよ」
「早く行くっスよ!!食いっぱぐれるのは困るっス!!」
ゆらりと鬼が顔を出した。三人揃って食堂に雪崩込んだ私たちは、高杉一派と恐れられる顔も形無しだ。