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黒い闇

 


「びっちゃら」


ふらりふらり、何処とも言えぬ場所をうろつくだけの日々だった。薄暗いこの世界では常に争いの火種が誰かの思想や体から燃え上がり、油を注ぐ暇人により肥大化した炎で地平線水平線は真っ赤に染まっている。そんな世界で私は独り、誰とも何とも在れずに生きていた。


「(やはり人は人、どれだけ進化しようと変われぬものを持っている)」


だからこそどれだけの時を経ても繰り返すのだろう。同じ過ちを。
見つめる先には戦火に巻き込まれ、不幸にも死に絶えた人。その体からふわりと空へ飛んでいく白い光は分厚い雲に飲まれる前に、空から降りてくる人の手で捉えられてしまっていた。


「(はて)」


この世界に空を飛ぶことの出来る人間など居ただろうか?居たとしたら人々は騒ぎ立て、「嗚呼だ」「乞うだ」と散々声を荒げた揚句に「厄災だ」と言って殺しているだろうに。では今、目の前で白い光を手に降りてくる子供は一体何なのだろう。じっと見つめてみるも、目を覆い隠す衝立のような薄い硝子のせいであまり表情は読み取れない。
背後に謎の黒い影を背負ったその子供は此方の不審な目を気にしていないのか、目の前にゆっくりと降り立った。そして、背後で揺らめく影が口を開く。


≪お前の名を≫


ただ一言、そう告げると口を閉じた。口を閉じたそれはゆらりと一揺れして地に映る影へと変わる。色々と聞きたい事はあるが、私が名乗る義理は無い。一つの溜息を零しながら子供の方を見れば何も言わず、何もせず、ただ私を見つめては笑みを浮かべている。手にしている錫杖を子供に向けて差せば、遊環がしゃらりと揺れ鳴った。


「人の名を聞く時はまず己から…と、言われなんだか」


私と同じ背丈か、それより少し目線が上の子供。目的がどうあれ、何も喋らないのであれば此方も同じ手を使う。行動を起こさないのは目的が行動で達成されるものではないから、と推測を立てたからだ。だからこそ、目の前の得体の知れない子供が口を開くのをただ待つ。
少し間をおいてから子供はやっと口を開いた。


「……世界さん」

「…今何と」

「世界さん。俺の名前」


けったいな名前だ。「世界」を名乗るなどこの子供は恐れを知らないのか、それともただの見栄っ張りか。どちらにしろ相当の馬鹿か阿呆なのは確かだ。名乗られてしまったので大人しく私も名乗る。ここでだんまりを貫いては、例えどれ程の阿呆でも可哀想というもの。


「…大して面白くもない、巫山戯た名だ」

「そういうお前の名前はどうなんだ?」

「名は無い。只の…そう、小坊主と呼ばれている」


嘘は言っていない。名は無い、と言うよりも疾うの昔に忘れてしまった。だからふらりと寄った先で見た目から「小坊主」と呼ばれ、それがほぼ名と化しているのだ。
「さて、名乗ったぞ」と目で言うように少し睨みつけてみれば、子供は肩を竦めて呆れたように笑って薄い硝子の目隠しを下に軽く押しずらした。黒い衝立の後ろから覗くのは白と黒、黒と白の目玉。どう見てもただの人間で無い事は分かっていたが、これまた随分と奇妙な目玉をしている。
ほんの少しの気味悪さと多大な得体の知れなさが相俟って、錫杖を持つ手が微かに震え始めた。それを知ってか知らずか、子供がぱちりと指を鳴らすと錫杖に黒く大きな遊環が二つ増える。重い。


「…何のつもりだ」

「小坊主、お前に拒否権はねぇ。俺に従え」

「断る」


突然そんな事を言われて承諾する馬鹿が居るものか、と言葉を付け加えて即決即断。増えた遊環のせいで重くなった錫杖を持ち直し軽く地を突いた。しゃん、と軽やかに響く音の中に少しばかり鈍い音が混じっているような気がする。今度はしっかりと、相手の目を睨み錫杖で地を二度叩く。


「行き場無きものよ、目前に在るは汝らが求める生其の物ぞ。欲するならば応えて観せよ」


音と言葉に反応して私の足元から現れ出るは、世に未練を残し死に絶えた亡者の手。永劫消える事のない炎に焼かれながら次の道へと進むことも出来ず、ただ一向(ひたすら)に生への想いを募らせ彷徨うだけの存在(もの)達。大地を下から割り、周辺の空気を濁った臭気に変え、皮膚に消えない火を揺らめかせ伸びる手が子供へと向かう。奴の生を我が物にと求めて。
外す気が無いのならばその気にさせるまで。奴に何が出来るか知らぬままではあるが、手の内を知る良い手とも判断した上でのこの行動。さて、子供はどう出るか?


「拒否権はねぇ、って言ったぜ俺。収、やれ」

≪…【全てのものに等しき終焉を】≫


何が起きたか一瞬の事で良く見えなかった。否、見えてはいたが何が起きたのか頭で判断し切れていない。子供の影となり黙していたそれが、三叉の槍を携え現れたかと思えば一振りで亡者の手を消し飛ばしたのだった。よもやあれ等を薙ぐとは。その上、ただ消しただけではなく言葉の通り「終焉」を、六道としての終わりへと導いた。神や仏にしか出来ない事を、目の前の影はただ一つの言葉と三叉の槍で遣って退けてしまった。
言葉が出ない。暫くして私の耳に届いた己の言葉はただ、何ともなしに口から飛び出ていったものだった。


「………有ろう事か!」


先程まで全身を駆け回っていた全ての感情をまとめた様な言葉。この世で有ってはならない事実を目の当たりにし、動き回る頭は徐々に嫌な現実を理解し始める。

『目の前にいる子供の名が、真実だとするならば』。

是が非でも従わせる、楽しそうに笑う子供の目がそう言っているような気がして一歩後退った。先ほどの亡者の手で割れ崩れた大地に足が引っかかり、後ろに倒れるようにしりもちをつく。がしゃりと錫杖も倒れてしまった。一歩、また一歩と奴は静かに近付いてくるというのに動かぬ手足は震えるだけで、見たくもない奴の目から視線が逸らせない。
恐怖などという感情をこの身に感じたのはいつ以来であろうか。


「小坊主、来い。お前には今日から俺の世界で働いてもらう」


差し出された手を取る事は叶わず、かといって一人で立ち上がる事も出来ない身体を奴の影が抱えて私は赤黒い世界を去った。





「と言うのが私の話ですねぇ」


お喋りで渇いた喉を潤すべく、少し冷めてしまった茶を啜る。昔馴染みの一京に今の仕事をする前は何をしていたのかと聞かれ、たまたま休むための口実が欲しくて、更に思い出してみると興が乗ったと言うか理不尽なやり方を口にしたくなった。


「ほう、随分と荒っぽいやり方だのう」

「曰く『大至急人手が欲しくてつい☆』だそうで」


今思えば、あれは本当に理不尽であると感じる。先ず仕事内容が分かっていないし給料についても特に何か言われたわけでも無く、週休や手当、保険等についても何も言われず、そう考えると雇用条件が全く不明すぎる、と。きっと世界は経営者初体験なのでしょうね。何だかとても許せない気持ちになってきた。何故私は働いているのでしょうか。
ふつふつと湧き上がるのは最近よく見る怒り、ついでに普段の不満も混ざって噴火前の火山のような心持だ。


「それは怒っても良いんじゃあないか」

「勿論怒りました。錫杖で咽頭、脊柱、肺、肝臓、頸静脈、鎖骨下動脈、腎臓、心臓の八つを突き貫いてやりましたし」

「……それを笑顔で言われると、背筋が凍るんじゃが」


にこやかに人体急所を八つ言えば一京は少し引き気味だ。妖怪なのだから「うんうん、良いよね急所〜」とまでは行かなくとも少しくらい同調してくれてもいいような気はしている。長い付き合いではあるが相も変わらず人と妖怪と、生者には愛しみの心を持ち合わせているようだ。だが、まあ、一京のそういう所は嫌いではない。


「急所は沢山あるんですけどね。分かりやすく痛いので」

「しかしその結果が二十四時間年中無休の運送屋、とは割に合わんの」

「本当ですよ、休み欲しい」


冷めきった茶を啜って胃に収める。喉も潤い、一通りの愚痴を吐いた所で仕事へ戻る為に立ち上がれば、一京の部下(?)の鬼と鉢合わせた。若干慰めるような雰囲気を纏っているのは気の所為ではないと思う。話を聞いていたなら素直に入れば良かったものを、と思いながら煙管をふかす一京に「では」と言葉を残してその場を後にした。






黒い闇
(あれが「ブラック企業と社畜」か…)
(いやあ、小坊主も大変じゃのう)
(領袖も他人事じゃありませんよ)
(なぬ?)








――――――――――*
黒い闇ってつまりブラック企業でした。
本当は「小坊主の就職先はブラックでした」というタイトルだったんですが小坊主に申し訳なくなってきたのと、本編が思ったよりシリアス風味だったのでタイトルもそれに合わせて変えた結果が「黒い闇」です。
小坊主ごめんね。でも君は既に調教されてしまっているからね。休み貰ったら貰ったで「仕事無いんですか?」って聞いちゃうようになってるからね。強く生きて。

読んで頂き有難う御座いました。


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