青の汚染
青い炎が辺りを包み込む。ごうごうと燃え盛る炎の壁に道行く人は一切の関心を見せる事なく、炎の中へと突っ込んで行く。薄くも熱い炎の壁を何事も無かったかのように通り抜けた人々は、特に怪我をした様子もなく変わらずに見えた。
「馬鹿な奴ら」
その様子を一人の少年がほくそ笑みながら見つめていた。
「お、ハジメー」
パシリに出したハジメがやっとこ帰ってきた。いつもならとっくの昔に帰って来てもおかしくないというのに30分待っても1時間待っても帰ってこない。からハジメの兄…マジメと一緒にハジメを回収しようと学校の門を出た所で見慣れた黄色のTシャツが目に映った。
「…あん?おい修ちゃん、あいつ怪我してねぇか」
「は?どこに」
「手」
目敏く何かに気付いたマジメがこっちに気付いているのかいないのか、ゆっくり歩いてくるハジメの手先を指差す。太陽の光に照らされて見える赤色に「まさか」と思いつつ目を凝らすと手先から何かが滴り落ちている。赤黒い液体なんてどう考えたって血しか思いつかないが、あのハジメがあんな風になるまで殴り合いをするとは思えない。じゃああれは一体何なんだ。
とりあえずハジメの手が怪我をしているなら保健室へ連れていかなくては、と足を踏み出す。が、足は一歩進んだところで後ろからの力によって進むことが許されなかった。俺の腕をマジメが掴んだから。
「おいアンタ、離」
「やめとけ。あの馬鹿、何か雰囲気違うぞ」
「…はぁ?」
確かにいつもより殺気立っているというか、何というか。兄弟は似るもんだなと納得出来るくらいには喧嘩をしている時のマジメと似ている。喧嘩した後だから、と勝手に決めつけていたがどうやら兄の見解は違うようだ。
そうこうしている内にハジメがマジメの目の前に立つ。
「よぉ、ハジメ。んな殺気立ってどうした」
「……ね」
「あん?聞こえねーな」
「死ねクソ兄貴」
「っ!」
「は?!」
初めて見た。あの俺様で喧嘩にはめっぽう強いマジメが誰かに、よりによっていつもイジメている弟のハジメに殴られるところを。油断しきっていたのかどうかは分からないが、ハジメの右ストレートは見事なまでに決まった。倒れたマジメの頭をハジメが足で踏みつける。
何だこの状況。
「いつもいつもいつもいつも手前が偉いと思い上がりやがって、俺が下だからってナメてんじゃねぇよ。いつもみてぇに油断して近寄った揚句がこれだぜ?クソ兄貴も馬鹿な所があるもんだな。腹立つくらいよく回る頭に無駄にでけぇくせして多少の無茶なんか楽勝な体のせいでいつも見下されてよ、弟に足蹴にされながら見下される気分はどうだ?まあ手前のスペックからしちゃこれくらい想定の範囲内だよな、この程度で焦るだのキレるだのんな馬鹿みてぇに感情的になる事はねぇだろ?なあ、マジメ」
あのハジメがマジメに対して臆する事なくぺらぺらと喋っている。どこかで見た事のあるような嫌な笑みを浮かべながら。一切の反論も抵抗もしないマジメの頭を楽しそうに踏みつけながらハジメの顔はこっちに向いた。嫌な予感しかしないのでとりあえず一歩後退る。
「せんぱぁい、何で逃げるんスか。別に俺は先輩に何かしたりしないッスよ!俺はただこのクソ兄貴を潰したかっただけなんで先輩には何もしませんって」
「お前、嘘つくの下手だよな。その顔で言われたって信じられねぇよアホ」
にたにたと人を馬鹿にしたような、いや馬鹿にしている笑みを向けて喋られても信じられるわけがない。そこまで馬鹿じゃないしお人好しでもない。
ハジメが一歩、俺も一歩。こっちへ来るたびに後ろへと下がる。だが縮まらなかったハジメとの距離は徐々に縮んでいく。俺の真後ろには学園の高い壁。いっそ殴って昏倒させた方が良いか、とハジメを睨みつければ余裕綽々とした笑みを見せてくる。まさかこいつの本性がこれな訳…ないよな。
「せんぱーい、もう逃げられないッスねぇ。覚悟して下さいよー?先輩だって散々俺の事こき使って遊んだんスから!これくらいはね!」
「何がこれくらいはね!だ。突然殴られろ、って言われて殴られるわけねぇだろ」
「強情ッスねぇ。もう逃げ場はないんスから諦めて下さい、よっ!」
殴られる。そう思った脳は反射的に手を動かした。拳を受け流し、逆にこっちがハジメの顔に向けて拳を繰り出す。だが俺の手はハジメの頬に当たる事は無く、寸でのところで真顔のマジメに受け止められていた。俺から見ても大きな体はのそりとハジメの背に凭れ掛かるようにして立っている。「大丈夫か」と声をかける前に、異様な雰囲気を感じた手先からぶわりと鳥肌が広がっていく。
「修」
「な…ん、だよ…」
「この馬鹿を殴っていいのは俺様だけだ」
「…お、おう」
俺の手を離したマジメは、そのまま後ろから暴れるハジメを羽交い絞めにする。どうせここに居てもマジメにとっては邪魔になるだけだろう、と判断して少し距離を取った。それを確認したマジメは拘束していた腕の力を緩めてハジメを自由にさせる。するとハジメは即座に拳を振るうが、マジメはそれを片手でいとも簡単に受け止るとハジメの腹に蹴りを入れて距離を取った。あまり力を入れなかったのか、すぐに体勢を立て直したハジメは腹部を撫でながらマジメを睨みつけている。
「ハジメ、俺様は言ったな」
「あ?」
「お前のその口とやり方。昔やった間違いをまたやる気か?」
「知らねぇな。それに間違いじゃねぇよ」
何の話をしているんだ。この兄弟…特にマジメとの付き合いは高校の時から。同じ中学だったと聞いたことはあるが興味も無かったしあの頃はまだ真っ当だったこともあって二人の存在は知りもしなかった。つまり俺が知らないってことは中学以前の話になるんだろう。何があったかは知らないがマジメの雰囲気からしてそれなりにヤバそうではある。何だ、なんかしでかしたのか?
「間違いじゃない?ふざけんなよ」
「ふざけてねぇ。俺のやった事は正しかった」
「…いい度胸だ」
辺りの空気が変わった。ぴりぴりと肌を刺すような殺気がマジメから発せられている。こっちまで殺されそうな、そんな気にさせられるほどの尖りに尖った空気。治まった鳥肌がまた一斉に広がっていく。暫くそんな一触即発の空気の中で睨み合っていた二人だったが、マジメが先に殴りかかった。ハジメは小回りの利く体を使って素早くそれを避けると、隙だらけのマジメの背に向かってバットを振りかざした。あれ?お前バットなんて持ってたっけ?
「もーらい」
「っち…!」
避けきれないと判断したのか、マジメは体を捻って左腕でバットを受け止めた。あれは誰がどこをどう見ても折れてる。どう考えたってあれは折れた。痛い。考えるのをやめればいいものを思考は止まらずに折れた腕の事を考えてしまう。何かこっちの左腕まで痛くなってきた。気がする。
左腕が折れたのだから多少は痛みで鈍っても良いだろうに、マジメはそんな事にならないようで左腕でバットを受け止めた後、即座に右手でバットを引っ掴むとハジメからもぎ取ってこっちに向けてぶん投げてきた。勢いよく回りながらこっちに飛んでくるバット。直撃はしないように慌てて二、三歩横へ避ける。学園の壁にがんと当たって、からんと金属特有の乾いた音を立てて地に落ちたバットを拾い上げれば、バットの先には微かに赤黒い何かがこびりついていた。
赤黒い何かについては考えないようにしながら両手でしっかりとバットを握って二人の様子を見る。もしハジメがこのバットを奪いに来たとしたら、その時は足とか腕とかこれで殴っても許されたい。なんてったって正当防衛。
「どうすんだよこれ…」
再び睨み合いを始めてしまったハジメとマジメ。腕のせいでマジメの殺気は更に凄まじく、ハジメも迂闊に飛び出せないでいるようだ。膠着状態とはいえ、いつ事態が動くか分からないから目が離せない。バットを握って迷っていると肩を叩かれた。振り返れば何のつもりか相変わらずの半ズボンに学ランを来た学園長の姿。その後ろには生徒である烈、鈴花、風雅、氷海の4人も一緒のようだ。暢気に挨拶する学園長に腹が立ってとりあえず一発だけ殴っておいた。
「よっ!」
「…っせぇんだよ!」
「あいで!?何すんだDTO!」
「おせえっつってんだ!こういう時くらいさっさと来い学園長!」
「学園長は学園長とDJで忙しいんだよ!」
「マジメが腕持ってかれたんだぞ!?」
「…えっマジで」
だがMZDは大して驚くでも心配するでもなく、烈の肩を叩いて二人の方を指差した。何しに来たんだこいつ、と睨めば「まあ見てろって」と烈の方へ顔を向けてしまった。仕方がないから俺も二人の方へ向かう烈に目をやる。だが烈が一人で行ってどうにかなるんだろうか。マジメはともかく、今のハジメをどうこう出来るとは思えない。
「烈」
「はい?」
「お前じゃ止められねぇだろ、やめとけ」
「え、あー…えっと」
声をかければ烈は立ち止まってこっちを向く。教師としては生徒の安全を守るのも仕事なのだ。というのは建前で、これで怪我でもして苦情とか勘弁してほしい。最近は特にそういう関係の話は教師にとって厳しいものだからいざこざは避けたい。まあ、建前と言いつつも怪我をしそうな所へわざわざ行かせるのはやはり教師としてどうかと思っただけで。しかし歯切れの悪い答えだ。何か言えない事情でもあるのか、もごもごと口ごもらせてちらちらとMZDに助けを求めている。仕方なさそうに溜息を吐いたMZDは烈に行けと手を振り、追いかけようとする俺の手を掴んで止めた。
「おい離せ」
「まあまあ、だから見てろって」
「何か勝算でもあるってか?」
「今回は原因が分かってんだ、その原因を除ける奴があいつってだけ」
「……原因?」
何だそれは。頭の中で疑問符を大量生産しつつも他の皆と一緒に烈の様子を見守る。ハジメに近付いた烈は説得を試みているのか話しかけている。だが今のあいつが話を聞くわけもなく、何度か話しかけるも睨まれて怯んだ烈は説得を諦めるようだ。さてどうする気なのか。
「先生…すみません!」
「あぁ?」
「っ、運命浄化ァ!!」
じっと見ていれば烈の手元には赤い炎。小さいが赤い炎が揺らめいている。「まさか」と思ったがそのまさかで、烈の大きな声と共に炎は一瞬で大きく燃え上がりハジメを丸々飲み込んでしまった。叫びながら転げ回るハジメの見て、マジメが烈に殴りかかろうとしていたが、それを残りの三人が止めている。
少しして、大人しくなったハジメを包んでいた炎は飛散するように消え、無傷のハジメがぐうすかと寝ていた。確かに燃やされたのに何で無傷なんだ。またも疑問符を大量生産しているとMZDが指を鳴らす。
「うっし、んじゃ保健室行くぞー」
瞬く間にそこは門の外、ではなく見慣れた学園の保健室だった。ゲームをしていたらしいニッキーが即座にゲーム機を隠して立ち上がり、倒れているハジメや俺のバットを見て大きなため息を吐いた。とりあえずバットをそこら辺に置いてニッキーの指示でハジメを抱えてベッドに転がす。顔を覗き見れば、さっきまでの勢いはどこへやら暢気な顔をして寝息を立てている。このふにゃけた顔を見るに大方メロンパンの夢でも見てるんだろう。
マジメの方はどうだとカーテンを開ければ絶賛無茶振り中だった。
「治せよ」
「無理」
「医者だろ」
「無理!」
「これくらい」
「出来るかっつーんだよアホ!そもそもここは応急処置くらいしか出来ねぇYo」
「ちっ、使えねぇな」
「病院行けよぅ」
「めんどい」
「じゃあいっそほっとけば」
「なるほど」
「だあああ、嘘だバカ!病院行けって!」
何か漫才でも見てる気分だ。まああんな軽口叩ける程度には元気そうだし、マジメは放っておいても構わないだろう。ニッキーという名の遊び相手もいるし。さて、とハジメが寝ている隣でごろごろしながらニッキーが遊んでいたゲームをしているMZDの頭を引っ叩く。学園長が何やってんだ。不満そうに口先を尖らせたMZDがこっちに顔を向ける。
「何すんだよー!落ちちまっただろ!」
「学校にゲーム持ち込んで遊んでんじゃねぇよ、学園長サマよぉ」
「これニッキーのだし、俺のじゃねぇし」
「遊んでりゃ同罪だろ」
没収、とゲーム機を取り上げればわざとらしい泣き声が聞こえた。とりあえず無視して話を進めよう。じゃないと知りたい事が知れない。ベッドの横に椅子を持ってきて座る。ついでに花瓶置きになっている小さな冷蔵庫からジュースを取り出して蓋を開けた。
「あっ、DTOずりぃ」
「前々から置いといたんだよ」
「俺も今度からそうしよ」
「で、話」
「……何か聞きてぇことある?」
「原因」
「あー……説明めんどくせぇなあ」
しろよ。こちとら何も分からないままで一人腕が折れる事件になってんだぞ。じと目で睨めば小さな溜息の後にぽつぽつとMZDが語り出す。
「あー、ほら、烈の弟、いるだろ」
「…あぁ、あの烈に対してすごい反抗期のあいつか」
「そうそいつ。それが今回の原因な」
「は?」
「説明省くけど、烈と鈴花と風雅と氷海の4人、それにそいつらの兄弟はそれぞれ能力持っててな?烈と劣が炎、鈴花と花梨は桜桃…まあ植物な。んで風雅と風化は風、氷海と火海は氷。ってな具合に操れるんだよ。で、今回の原因は弟の劣の炎。あいつのは人の心を悪い方に染めちまう力があるんだわ」
「はいがくえんちょー」
とりあえず、一言でいうなら意味が全然分からない。いや分かるといえば分かるがどうにも納得がいかない。確かにパーティーで何かしてるの見たけどあれは本人たちが持っている力だったという事になる。ま、まあこの世界にはそんなやつ居たりするのはおかしくないんだろうが最後の人の心をどうたらの辺りが特に意味が分からない。現実味が無さ過ぎて納得できない、と言った方が正しいのかもしれない。
少しふざけて手を挙げればMZDはポケットから付け髭を取り出すと鼻下にぺとりとつけ、同じようなノリで俺を差す。
「何かねDTOくん」
「その人の心がどうたらってつまり」
「んー、簡単に言えば兄の烈が良い人にする炎で、弟の劣は悪い人にする炎ってとこだな」
「じゃあハジメはその悪い人にする炎に引っかかったと」
「そういうこと。劣のは青の炎でさ、普通の人間には見えねえんだけどあいつらとか、人じゃねぇやつには綺麗に見えるんだ」
「はいがくえんちょー」
「何かねDTOくん」
「つまりあいつら人じゃねぇっていうことですかねー」
「その通りだよDTOくん」
「へー…」
「何か思うとこでもあるか?」
ぶっちゃければあまりない。人であろうとなかろうと、生徒であることに変わりはない。もしも今いる生徒の内、半分が人ではない。なんて言われても大して気にすることは無いと思う。今まで上手い事付き合ってこれたんだからそんなの分かったところで付き合い方を変えられはしない。結局の所、こんな話を聞いたところでどうこうするわけでもなるわけでもないのだ。
「いや特には。氷海は生徒会長やってる真面目で良い子だし、風雅は少しコミュ能力が低いがまあ良い奴だし、鈴花は明るくて元気で可愛い生徒だし、烈も何だかんだ元気で熱い良い奴だしな。人じゃないって聞いて、何か変わるわけでもねぇだろ」
「おー、そっかそっか!そりゃ良かった!だってよ、お前ら」
カーテンに向けてMZDが指を鳴らす。勢いよく開いたカーテンの向こうでは話題に出た4人が少し安心したような顔をしていて、マジメとニッキーも揃って聞き耳を立てていたらしい。風雅とニッキーが一番下でニッキーの上に烈とマジメ、風雅の上に鈴花と氷海が重なるようにして凭れ掛かっていた。何やってんだと呆れる反面、何だか笑えてきた。まあ、それは置いといてまずはマジメの下敷きになってしまっている烈とニッキーを助けに行くか。
青の汚染
(しかし…あいつ昔はグレてたって聞いたけど)
(まさか本当にそうだったとは)
(ハジメが起きたらぶん殴っとこう)
――――――――――*
汚染話書きたかった結果がこれです!!
劣くん出番無さ過ぎです!!劣くんごめんねどんまい!
汚染ハジメとマジメのバトルもどき描けたので満足です。
昔に何があったのかは考えてるような考えていないような。
読んで頂き有難う御座いました。
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