既視感
「誰だ」
静かな路地裏。秋も近くなったこの頃は日が高い夕方でも少し肌寒い。そんな所をお使いの近道として歩いていた。ユンタが珍しく醤油を買い忘れた、と肩を落としていたから買ってくると家を出たのが20分前。醤油を買ったのが10分前。近道をしようと思ったのが5分前。そして今、たった今。目の前で人が惨殺されているのを目撃してしまった。
手足は体から完全に切り離され、どころか本来なら見る事の無い筈の中身は辺りに散乱し、極めつけは生きていく為になくてはならない臓器がまさに無理矢理引きちぎったといわんばかりに人殺しの手に握られている。
その状況を見て吐きそうになるのを堪えながら、人殺しはどんなやつだと目を向けた。見た事のある髪型と着流しと刀。血濡れで着流しの元の色は分からないが、見た事がある。腰に差してある刀も、見覚えがある。見覚えどころか、今己が持っている筈の刀。
一体どうなっている?
「……あ、に…?」
六だ。どう見たって兄の六だ。髪色は大部分が血で濡れて分からないが橙色、のような気もする。色は違えど姿形はそっくりそのまま、六なのだから驚きだ。
まさか、兄がこんな事をするわけがない。
脳内で否定しながらも、この世界にあれほど兄そっくりな男がいるのだろうかと世界を疑った。それになにより、あの腰に差している刀が六であることを物語っている。見紛うことなき、六の刀。新しく買い直す事にした、と弟である己にくれた刀。それを持っている。
何故、何故。ぐるぐる頭の中を疑問が回っているが、冷静を保とうとした脳の片隅で一つの結論が現れた。
危険だ、という警鐘がだんだんと大きくなって響き渡る。
ここに居ては危険だ、相手が誰であれ人を殺すような人間の傍は危険だ。逃げなくては、己も巻き込まれてしまうかもしれない。そこらの不良には勝てると自負してはいるが、マジメやユンタ、さらには兄ほどの強さとなれば話は別だ。いやそれ以前に人を躊躇なく、残忍な方法で殺しているような人間を目の当たりにすれば逃げたくもなる。人とは自身に迫る危険には己が一番敏感なのだから。
じり、と少しずつ後退りする。向こうは気付いていない筈だ。向こうから此方は見えない筈だ。逃げるなら今の内だ。意を決して今まで来た道を戻ろうと殺人現場に背を向けた。
「誰だ」
びくりと体が恐怖で跳ね、足が止まる。踏み出したいのに動かない。まるで石にでもなってしまったかのように。かろん、ころん、と下駄の音が聞こえた。此方に向かっている、気付いている、己は誤ったか。どこが誤りだったかと思えば近道をしようとしたところか、そう思いつつもそもそも買い物に行きさえしなければとも思った。現実逃避のように考えていれば下駄の音はすぐ真後ろに来ていた。
血で真っ赤になった刀身が、首元に。
「聞こえていないのか?誰だと、聞いている」
「っ…」
声は出ない。こんな場面を見て冷静に喋るなんて難しい気がする。窮地に陥ったこの状態で、このまま黙っているとどうなるのだろう、と他人事のように殺されるかもしれない未来を頭の隅で考えてしまっていた。殺気がぴりぴりと肌を刺してくる。
「…答えられないのか?」
首元の刃がゆっくり、ゆっくりと近寄ってくる。よく研がれているらしい刀身はぷつりといとも簡単に首の皮を裂いた。痛みと血の流れる感触が伝わってくる。いっそこうなったら刀を抜いてどうにかこうにかならないだろうか。運良く兄や知り合いがここへ来ると思える訳もなく、静かに腰の刀へ手を伸ばした。
刀を抜こうとした瞬間、己の背後、いやもっと後ろの方から声と気配。
「おい、そこで何してんだ」
静かに、だが怒気を含んでいて威圧する声。この声色の持ち主を己は知っている。よく知っている声だった。
振り返り名前を呼んで逃げろとでも言えれば良かったが、今のこの状態でそれは叶わない。どうしよう、どうすれば。巻き込むわけにはいかない、この声の主はただの一般人で、以前手合せをした時は己より弱かったはずだ。いつもつるんでいる二人の声も聞こえないから一人なのだろう。ならば余計に危ない。
後ろから現れた声の主を気にした瞬間を狙って、まずは首元の刀身を己の刀の柄で弾いて距離を取った。思ったよりも気を逸らしていたらしく、思いの外簡単だった。だが、油断は出来ない。明らかに己よりも格上の相手であることが見てとれるからだ。
「も、黙?…お前何やってんだ?」
「逃げろ修!」
「は?」
何も知らない修に凶刃が迫る。致命傷だけは絶対に避けなくてはならない。理想は完全に守りきる事だがそれは叶わないだろう。だから、だからこそせめて、死なせないために。
全力でその場を蹴った。どくりと心臓が大きく脈打った気もするが気にしていられない。早く、速く、もっと速さと早さを。
「!」
「うお?!」
「っ、な」
どくどく脈打つ心臓に、黙れと頭の中で考えていた一瞬。瞬きする間に遠かった修の姿が目の前にあった。何が起きたんだ。ほんの少しの混乱と動揺を見抜いた奴が刀を振り上げる。振り返ると目先には刃。
これは、避けられない。
直感的にそう感じて動きを止めたが、足は意志とは反対に思い切り踏み込んで横へ上へと飛んだ。飛んだ。高く。こんな高さを見た事が無い。混乱と動揺に拍車がかかる。一体何が起きているんだ、己の体はどうしたんだ。そんな混乱の疑問を一先ず頭の隅へ追いやり、刀を構える。此方をじっと見つめているのは一つの光、片目だけ。暗くて顔ははっきりと見えない、だが奴は隻眼なのだと分かる。
「(奴は、一体何を考えているんだ)」
不思議に思いながらも緩むことのない殺気を前に、やるしかない、やらねばやられると判断し、一切の行動をせずただ己が落ちてくるのを見つめていた相手へ向けて、刀を振り下ろした。刃と刃が交わる音。だが此方に手応えはあまりない、しかしそれはおかしい。何故なら重力に従って落ち、叩き付けた筈なのだ。それを奴は、刀を持っている片手だけで受け止めていた。
目の色一つ変えない相手に飲まれそうになった。少しずつ足先から勝てないという現実と敵わないという諦めが体の自由を奪いながら侵食してくる。守らなくては、と刀を握る手に力を込めた瞬間、腹部への強烈な衝撃と共に体が叩き付けられる。
色々考えてごちゃごちゃとしていた脳は働かない。何が起きた、何がどうなった、何が。立ち上がろうと身じろぎするものの動かない。
「っ黙!」
「……この程度か」
いけない、このままでは修が。
意識が朦朧とする。駄目だ、起きろ。守らなくてはいけないんだ、大切な仲間であり、家族であるあいつを。動けない己を尻目に、奴は修の方へと向き直っていた。奴の刃が鈍く光る。ぎらりぎらりと光る刃が修に迫っている。行かなくては、守らなくては。
動かない体に鞭打ち、匍匐前進しながらずるずる進む。やめろ、やめてくれ。だが声は出ない。
「そこまでだ」
「ソレ以上は俺達が許しマセンよー?」
暗がりに、銀色と金色が増えた、気がした。あれは誰だろうか、修を助けてくれたんだろうか、それとも。予想していたよりも奴にとっては都合の悪い相手だったようで、舌打ちが聞こえたかと思えば奴は己の横を通り過ぎて行った。最後に小さく「次は殺すぞ」とだけ呟いて。
危機は去った、そう思うと思ったよりも力が抜ける。瞼が重い。
「おい、黙!しっかりしろ!」
「……お、さむ…」
「大丈夫、なわけねぇか…病院連れてかねぇと」
「おさむ」
「何だ、重傷なんだから黙ってろって」
「ぶじ、か」
「怪我してねぇよ」
「…そうか」
俺は大事なものを一つ守れた、と思っていいのだろうか。
既視感
(己より強い者など大勢いるんだ)
(もっともっと、強くなりたい)
(しかし…あれは誰だったんだろうか)
――――――――――*
もっくん活躍回。
仲間意識というか自分を認めて見てくれた人がとてもとても大事な黙でした。
えー、「奴」の名前が一切合切出て来なかったんですけど、その人はその内別の方でも出す予定なので別にいいかなって。思ってたり思ってなかったり思ってたり。
とりあえずはこれにて。
読んで頂き有難う御座いました。
prev / next