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あれからずっと考えている。
何が棗先生を追い詰めたのか知りたいだけだから、純粋な振りをして古海先生に聞いてみてもいいのだろう。
しかし相手は変人と噂の古海先生。
そしてほぼ確実に恋人だった人が死んだのだ。
あまりにいきなり、直球に訊ねるのも気が引ける。
ぼん、と頭に浮かんだのは山科先生だった。
彼女は私が学校にあまり来られなかった頃とても優しく接してくれていたし、私は古典好きなので山科先生とはよく話をしていたので色々と訊きやすい。
そうか、周囲から聞き出せるだけ聞き出せばい い。
少し考えが落ち着いてほっとした私は夢現に授業を聞き流しながら失った人を思い出していた。
あれは一年の初めの方だったと思う。
私の目に飛び込んだのは可笑しな光景だった。
一瞬ド派手な教師か不良生徒がいるのかと思ったがよく見るとシャツ本来の色味ではないと気づく。
余りにもまだら過ぎるピンクが見えて、あれはド派手な汚れだと呆れた。
そしてその人がそのシャツの上にジャケットを羽織ろうとした。
「あー待って!」
思わず叫んだ私の声に振り向いたのは、少しとぼけた顔をした噂の【マシュマロ先生】だった。
その名の由来は見たまんま、雰囲気の柔らかさによるものだそうで、髪もほっぺも耳朶も柔らかいとかなんとか。
最近では略してマシューとも呼ばれている。
赤毛 のアンしか思い出せないと言うと雫に古典好きをからかわれたが 。
そのマシューさんこそ、棗湊音先生だった。
噂通りのほんわかした笑顔で「どうしたの?」と私に近づく。
幸いジャケットは手に持たせたままだった。
「先生、自分の後ろ姿どんなだかわかります?」
すると棗先生は困ったように首をかしげる。
真っピンクだと私が言うとなにかを思い出したように、来た道を小走りに戻っていった。
興味本意でついていくと、辿り着いたのは美術準備室だった 。
独特の匂いが鼻について、少し気分が高揚する。
そっと忍び込むように奥へと進むと大きな絵を目の前に棗先生が、また首を傾げていた。
先生、と声をかけるとこちらを向いた。
「絵に凭れて寝ちゃったのかと思ったんだけど、違ったみたい。」 と、心底ほっとしてはいるようだった。
じゃあどうしてそんなにシャツが汚れているのだろう、と辺りを見渡し原因を探すとそれはすぐに見つかった。
その絵を描いていたはずの場所の丁度上辺りの棚から、ショッキングピンクやらノ ーブルピンクやらのストックしてある絵の具が漏れ、流れ落ちた 跡があった。
床には棗先生の背中で描かれたであろう桃色が拡がっていた。
なんでも先生は昨夜こっそり泊まり込んでこの絵を完成させたらしい。
「集中するとホントに集中するからなぁ、俺。」
なんて言っては、ははぁと笑っている先生に私は少し呆れた。
ついでに少し楽しくなった。
「そういえば、美術選択だったよね、名前なんていったっけ?」
「霞芙佳です。1-Aの。」
よし、一人目覚えた、なんてぶつぶつ先生が言っているとカラカラと扉が開いた。
「湊音〜着替え持ってきた…はい?」
いきなり現れた古海先生に私は驚き、先生は先生でぐちゃぐちゃの準備室やら私やら何より絵の具染めのシャツに驚いたようで。
わらわらと棗先生に着替えをさせて、私たちが教室に戻る頃にはもう朝のHRが始まる時間だった。
当時から担任だった古海先生は教室に向かう途中、殆ど喋らなくて。
ただ一言「ね、ちょっと 笑ってみて」なんて言うものだから吃驚したのを覚えている。
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