「あのさ、一個聞いてもいい?」

 空になったペットボトルを弄びながら、俺はなんでもない風を装って主を見た。
 本当は震えそうなくらい緊張していたけれど、努めていつも通りに話かけられたと思う。
 偶然訪れた主と二人きりのこの絶好の機会に、俺はどうしても聞いておきたいことがあった。

「なに? あ、やっぱちょっと待って」
 主は会話を中断すると、座ったまま這いずって、コンセントに差しっぱなしの充電ケーブルをスマホに繋げた。電池、なくなったのね。
「――よし。で、なに?」
 くるりと俺の方に振り向く。目が合って、また緊張してきた俺は、言おうと思っていた言葉もまともに出てこず、口ごもってしまう。
「……えっと、あの、たいしたことじゃないんだけど」
「ん?」
「この前の続き、っていうか」
「この前?」
 何かあったっけ、と主は頭を傾げて考えてくれる。

「この前……俺と安定で主に聞いたでしょ? 主が一番好きなのは誰って」
 俺は視線を下げて、畳の目を見つめながらなんとか声にした。主の方を見ているとどうしても緊張してしまう。
 ああ、あれのことねと、主は思い出してくれたようで、大きく頷いているのが視界の隅に映った。
「俺が一番だって、すごく嬉しかった」
「前から言ってたと思うけど」
「そうなんだけど。でも、そうやって言ってくれるの、何度でも嬉しい」
「……あっそう」
 主の声が明らかに小さく低くなる。ちらっと視線を上げたら、気まずそうに唇を突き出してあっちこっちに目を泳がせていた。
 好きとか嫌いとかはっきり言うくせに、深く突っ込まれるのは苦手なのかな。


「それで……その、続き。主はどうして、俺を一番最初に選んでくれたの?」
 大きく息を吸い込んで、なんとか顔を上げて。
 俺は、主にずっと聞きたかった事を、やっと、やっと言うことができた。

「だってほら、俺は山姥切みたいに綺麗でもないし、蜂須賀みたいに名前に箔がついてるわけでもない。陸奥守みたいに人好きのするタイプじゃないし、歌仙みたいに美感に優れてるわけでもないからさ」
 審神者が就任して初めて選ぶ刀。その5振の一つに選ばれた時、とても光栄だと思った。自分の価値を広く認めてもらえたような気がした。
 だけどすぐに、他の4振は俺なんかよりもっと価値のある刀なんじゃないかと思えてしまった。打った刀工、歴代の主、輝かしい逸話。俺、この中にいていいのかなって。
 けして自分に自信がないわけじゃない。いい刀だって、あの沖田総司の刀なんだって自負してるけど、でも――。


「俺って扱いにくいし、主はなんで俺のこと――」
「可愛いって思ったから?」

 自分で言い出したくせに目の端が滲んできて、声に涙が出ぬうちにと早口になる俺に、主はいつものだるそうな呑気な声で、けれどはっきりと俺にくれた。俺が貰って一番嬉しい言葉を。疑問形ではあったけど。
「……え?」
「えーっとね、たしか覚えてる限りだと可愛いって思ったんだよね。加州清光って刀のこと」
「……そうなの?」
「そう。最初にさ、日本刀が5本並べてあって、こんのすけにこの中から好きなの一つ選べって言われて。でも私、刀とか全然知らないし、説明読んでもさっぱりわかんなくてさ。どうしよっかなーって悩んでたら、こんのすけが好きなものでいいですよって言うから、じゃあこれって」
 かつての日を思い出したのか、主は懐かしそうに微笑む。さすがに沖田総司の名前くらい知ってるし、と言って。
「……そっか。でも、それなら坂本龍馬だってすごく有名でしょ。なんで陸奥守じゃなかったの」
「それは見た目が好みだったからしかないわ。なんていうか、単純に鞘とか赤いの可愛いなぁって思ったし、真っ先に目についたっていうか、ぱっと見てこれって思ったんだけど、一応先のことも考えていろいろ悩んだんだったかな。……ま、結局よくわかんなくて第一印象で決めちゃったけど」
 日本史苦手でさ、と主は自嘲気味に笑った。

 知らなかった。俺のこと、そんな風に思ってくれたんだ。
 あの時の俺はまだただの鉄で、心なんてあったのかなかったのかもよくわからない。それでも、これから新しい主人になる人に、できたら一番に俺を選んでほしいと願っていたような気はする。

 刀剣男士として作られた外見より、刀本来の姿を見て主は俺を選んでくれた。
 ねぇ、それ、なんかすごく嬉しいんですけど。主、わかるかな。俺の気持ち、ちゃんと伝わるかな。

「――じゃあ、刀のままの俺を見て選んでくれたんだ……ありがとう、それすごく嬉しい」
「うん、まあその後すぐ人になってびっくりしたけど」
「えっ」
 嬉しくてしょうがなくて胸がいっぱいだったのに、今までの感動を一気にぶち壊すこの発言。
 主さ、もうちょっと空気読もうよ。てかどういうことなの。
「え、え、ちょっと待って。あのさ、最初の一振を選ぶ前に説明されたでしょ、俺たち刀剣男士のこと。聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。聞いてたけどよくわかんなくってさ。日本刀が人になるとか意味わかんないでしょ、普通。で、多分途中から意識どっかに飛んでた」
「……嘘でしょ……じゃあ本当に刀だけを見て選んだんだ」
「そうなるかなぁ。あ、ちなみに今もそのメカニズム? わかんないままやってる」
 すばらしいことに、主は少しも悪びれる様子もなく、開き直ってピースでも作っていぇーいと言わんばかりに笑っている。
 まあ難しい話だし、俺も詳しく理解しているわけじゃないけど、それでよくここまで続けてこれたなと、呆れるどころかむしろ感心すら覚えた。

「でも清光のことはイメージ通りだと思ったよ」
 ひとしきり笑った後、主は目を細めて微笑むように、柔らかい視線を俺に向けた。今の俺を通して、あの時の、めちゃくちゃ緊張しながら初めましてを言った俺を見ているみたいだった。
「イメージ通り?」
「うん。結構刀の時のまんまだなって。違和感なかったっていうか」
「……ねえ、それって可愛いってこと? だって主、俺のこと見て可愛いって思って選んでくれたんだもんね? 人の姿の俺も可愛いって思った?」
「……さあ? どうだったかなぁ」
 ここに来てこの煮え切らない答えかよ。
 でもきっと俺の思った通りだと思う。主の目線がまた泳いでいるのと、怒っているような不機嫌に聞こえる声がその証拠。多分、主が照れてたり気まずく思ってる時に出る癖。本人は自覚してないと思うけど。




「――そろそろ充電できたかなーっと」
 俺に背を向けて、主はまたスマホに手を伸ばした。この話はもうおしまい、とその丸まった背中に言われているような気がした。
「ね、俺もその面白い動画見たい」
「えぇ? 寝なよ」
「もう目、覚めちゃったもん。今日はこのまま朝まで起きてる」
「……別にいいけどさぁ」
 渋々といった様子で、主はスマホから充電ケーブルを引っこ抜き、俺の方に戻ってきてくれた。

 二人で並んで横になって、主の手の中の小さな画面を見つめる。
 うるさいから、と主がイヤホンを片耳貸してくれた。
 頭と頭がぶつかりそうなくらい距離が近い。

「この人の上げてるやつ、どれも面白くてさぁ」
「へー、そうなんだ……って、あっははは! ほんとだ何これ!」
「でしょ! やばいよね!」
 一人だと我慢できることも二人で共有するとすっかりタガが外れるようで、主はさっきあれほど堪えていた笑いを、今度は思い切り吐き出していた。
 その動画は確かに面白くて、でもそれ以上に主と二人きりで一緒に笑えることが嬉しくて、俺もついつい大声を上げてしまった。
 二人してはっと気づいて、お互いに自分の唇に手をやり、しーっと人差し指を立てる。
 それからはひそひそ声で話しながら、くすくすと静かに笑い合った。



 今日はたしか遠征の予定が入っていたはず。ちゃんと寝ておかないとまずいよなぁ、と頭の片隅では思っていたけれど、もう部屋に戻って布団に潜るつもりは俺にはなかった。

 このままずっと、この時間が続けばいいのに。



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