トラブル


 
 カタカタとキーボードを鳴らし、現れる文字を確認しながら、画面下の時計に一瞬視線を向ける。
 午前10時56分。昼休憩まであと一時間とちょっと。

 腹減ったな、なんて思っていると、それに応えるように腹の虫が鳴り出した。私は慌ててほとんど無いに等しい腹筋に力を入れ、外側からも手で押しながら、きゅるきゅると響く悲しい音が誰にも聞こえていないことを願った。いくら私が女子力のじょの字もないとはいえ、さすがにそのくらいの羞恥心はあるからな。

 正直なところ、もうすでに帰りたい気持ちでいっぱいだった。
 でも、最低あと5時間は働かないといけない。できれば今日は残業なしで帰りたい。上司も先輩も全員出先から直帰とかにしてくれないかな。そうしたら何も気にせずに定時で帰れるのに。
 
 それよりも、問題は今日のお昼だ。まあまたコンビニでいっか。今ってたしか、おにぎり50円引きセールやってたよな。……あれ? やってなかったっけ?

 ――なんて、どうでもいいことに脱線しながら、それでも真顔のまま手だけは休めずに動かした。単純な打ち込み作業をやってる時なんて、大抵意識は他に飛んでるもんよ。はたから見れば真面目に仕事してるように見えるかもしれないけど、脳内では勝手に一人会話始まってるから。

 


 
 昼休みまであと50分、あと40分と空腹と格闘しながらカウントダウンをしていると、上着のポケットに入れていたスマホが低音で震え出した。
 仕事中はほとんど鳴ることがないために、何事かと思ってすぐに画面を確認すると、新着メッセージが一件。
 送り主は……本丸の近侍用スマホ?

「大将、仕事中に悪い! ちょっとマズいことになった!」

 メッセージを送ってきたのは厚だった。そういえば今日の近侍――私が本丸にいない時は代理で指示を出す役――は厚だったな。

「さっきまで和泉守と同田貫が手合せしてたんだけど、やってる最中に白熱したらしくてお互い真剣抜いちゃってさ、どっちも怪我しちまって」

 私は自分の顔がひくひくとひきつるのを感じた。
 ……はぁ? 怪我? 

 あまりスマホをいじっているとサボっているように思われるから、私は急いで入力途中のファイルを保存してトイレへ向かい、個室でこっそりと返信を送った。

「ちょっと待って、怪我ってどの程度?」

 送って数秒、すぐに厚からの着信。

「重傷ってほどでもないけど、手入れは必要だな。出血より打撲がひどい」
「出血ってマジか……。で、二人は?」
「一応、オレといち兄と堀川で止めて、今は薬研に怪我の応急処置をしてもらってる。二人とも大したことないって、大人しくしてるよ」
「そう、ならいいけど」
「でな、大将、今日こっち来れるか?」
「……やっぱ行かないとマズいか」
「ああ、オレたちは人と違って自然には治らないからさ、自業自得とはいえできるだけ早く手入れしてやってほしいんだ」
「……わかった。今日の夜そっち行くわ。二人に余計な怪我してんじゃねぇって言っといて。あと、薬研に手間かけさせてごめんって。じゃ、仕事戻る」
「了解。忙しいのに悪かったな、大将。みんなに伝えておく」

 厚のメッセージを確認して、私はさっさと自分のデスクへ戻った。


 私が本丸に行くのは基本的に金曜日の夜。そこから土曜日曜と任務をこなして、日曜日の夕方から夜くらいには自宅に帰る。本丸と職場との距離が結構あるから、翌日仕事がない日じゃないと移動するのがだるくてしょうがない。長時間電車乗ってるのもきついし。こういう時、手入れも出陣もスマホから遠隔操作でできればいいのに、とつくづく思う。

 それというのも、本丸内の各機能は、審神者自身が実際に本丸内にいなければすべて機能しないようになっているからだ。
 審神者は自分の本丸へ入る時、就任時に割り振られたIDの入力と、指紋や虹彩による生体認証をクリアしなければならない。もしそこで弾かれればすぐさま政府へ通報されるし、仮に別の何らかの方法で他人が侵入できたとしても、本丸内の審神者の仕事に対する機能――鍛刀や手入れ、刀解、出陣、遠征、刀装作成などすべて――は一切動作しないようになっている。

 実際、本丸の外から中にいるみんなに刀装作りや遠征をお願いしたことがあったけど、その時は何一つ成功しなかった。どうしてなのかこんのすけに聞くと、「何事も上司の許可がなければ部下は動けないでしょう。刀剣男士が好き勝手に行動しないよう、監視・命令するのが審神者の仕事なんですよ」とか言ってたか。わかるようなわからないような理屈だけど。後は、過去に本丸乗っ取り事件があったとかなんとかで、それの対策でもあるらしい。どっちかっていうと後者の理由の方が大きいんじゃないかと思う。





 時計を見ると、昼休みまであと20分を切っていた。
 お昼何食べようとか、私はもうそれどころじゃなかった。とにかく定時で帰りたい。じゃないと明日きつい。最悪本丸からの出勤になるかもしれないとか考えたけど、長時間通勤は本気で嫌だ。朝早く起きるのも無理だし。


 ――くそ、帰ったら和泉守と同田貫に一発蹴り入れてやる。



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