【上杉謙信】



「……よし」
 何かを決心したように呟いた彼女は、胸に一目でそれとわかるプレゼントを抱いている。かれこれ数十分、意中の彼――謙信のいる部屋の前で、その扉を開けるべきか否か悩んでいた。
「渡すだけ渡してさっさと退散する。別に深い意味はないんだし……あー、でもなぁ……」
 ノックをしようと扉に手を掛けては、頭を振ってため息を吐く。何度繰り返し決心しても、その扉はやけに重く彼女の前に立ちはだかった。
「……はぁ……駄目だ、やっぱり諦めよう……」
 どうしても勇気が出ずに、彼女が立ち去ろうとした時。まったく開けられそうになかった扉が、音もなく簡単に開いた。
「――おや、かえるのですか? わたくしに ようが あったのではありませんか?」
 澄んだ声に顔を上げると、謙信が柔らかな微笑を浮かべて佇んでいた。
「えっ……どうして……?」
「そなたが ここにいることは わかっていました。いつまでまっても はいってこないものだから、どうしたのだろうと おもったのですよ」
 謙信の言葉に、彼女の頬が見る見るうちに赤く染まった。ずっとここで、不審者のようにうろついていたのがばれていたのだ。恥ずかしさで耳まで熱くなる。
「す、すみませんっ! お邪魔になるかと思って、なかなか声を掛けられなくて――」
「……そうでしたか。ですが、つぎからは えんりょなど むようです。そなたであれば、いかなるときでも じゃまになどなりませんよ」
「……はい。ありがとうございます」
 その言葉が嬉しくて、自然と口元が綻ぶ。嬉しそうな彼女に、謙信が本題を切り出した。
「――それで、わたくしに どんなようが あったのですか?」
「あ、えっと……それはその……やっぱりなんでもなくて」
 彼女は胸に抱いたプレゼントを、慌てて背中に隠した。
「……そのつつみは?」
 謙信の鋭い視線が痛いほど刺さる。彼女はそれに耐えきれず、ついに観念してプレゼントを謙信に差し出した。
「……バレンタインのチョコレートです。あ、でも深い意味はなくて……いつもお世話になっているので、そのお礼です」
「バレンタイン……わたくしに?」
 こくり、と頷く彼女。謙信は、ありがとう、とそっと受け取りながらも、ある疑問を口にした。
「ところで……なぜ かくしたりなど したのです? わたくしが ことわるとでも おもったのですか?」
 ぴく、と彼女の体が反応する。それから、言いにくそうにゆっくりと口を開いた。
「……やっぱり、彼女さんに迷惑かけちゃうかなって」
「かのじょ?」
「いつも一緒にいるじゃないですか。金髪の、綺麗な女の人。そういう意味は無いとしても、やっぱり彼氏が他の女からチョコ貰うのとか、嫌かなぁ……って一瞬思っちゃって」
 彼女は急に元気を失い、しょんぼりと俯いた。すると、謙信がおかしそうに、けれども控えめに笑った。
「……ふふ。かのじょは わたくしの こいびとではありませんよ」
「え、そうなんですか? いつも一緒で仲が良さそうだったからつい……」
「ですが、これをしったら かのじょは やきもちをやくかもしれませんね」
「……やっぱりそういう関係なんじゃないですか」
「ふふ、ちがいますよ。でも……そうですね、このことは わたくしたち ふたりだけの ひみつにしておきましょうか」
「……え?」
 謙信の謎めいた微笑みに、彼女の胸が小さくときめいた。



[ 20/22 ]

[1ページ目へ]
[*前へ] [次へ#]