【毛利元就】



「――貴様、我に何の用だ」
 元就は立ち止まって後ろを振り返った。目に入ったのは、元就より数メートル後ろで驚いて固まっている彼女。
「……あ……あの……」
 彼女は大事そうに、胸に何かを抱えている。喋ろうにも、驚きのあまりか思うように言葉が出ないらしい。
「先ほどからずっと我をつけているだろう。用があるなら早く言わぬか。貴様と違って我は忙しいのだ」
 元就が冷たく言い放つと、彼女は肩を震わせすっかり怯えた様子でぱくぱくと口を動かした。
「……あ、えっと……あの、ですね……こ、これ……あの……――っ! ごめんなさい!」
 彼女は突然頭を下げて謝り、そのまま顔も見せずに走り去ってしまった。声にはわずかに涙を含んでいたような気もする。
「……なんだ、あれは」
 小さくなっていく彼女の背を見つめながら、ほんの数秒、理由を考えてみる。けれど何も思いつかない。自分が何をしたわけでもない。
 ふん、と短く鼻を鳴らして、元就は無表情のままに歩き去った。

 それから数時間経ち、彼女のことなどすっかり頭から抜け落ちた頃、元就は自分のロッカーを開けていた。きっちり整理整頓された見慣れた空間に、たった一つ、大きな違和感があった。
「…………」
 確実に自分の物ではないのに、どこかで見たような記憶のある物体が、存在感たっぷりに鎮座している。
 元就は怪訝に思いながらも、それを手に取って確かめた。どうやら何かの包みらしい。ほのかに甘く香るそれには、小さな紙が差してあった。見れば、元就の名前と、女の名前が書いてある。
「――ああ、あれか」
 例の彼女のことを思い出した。そういえば、この包みはあの時彼女が抱えていたものに違いなかった。
 紙を裏返すと、小さく『バレンタインです』の文字。元就は一瞬だけ眉根を寄せた。
「……ふん、煩わしい」
 小声で悪態を吐くも、その顔には煩わしさなど一片も見られなかった。むしろ、常よりも柔らかい表情にさえ見える。
 ふと、視界の隅に気になる物が見えた。横目でちらと覗けば、例の彼女が物陰からこちらの様子を窺っている。おそらく元就の反応をずっと見ていたのだろう、その眼差しは緊張に震えていた。
「……まったく……面倒な女ぞ」
 ぽそりと呟いて、元就は彼女に見えるように、大袈裟に包みをバッグへと押し込んだ。身を乗り出した彼女が、瞳を輝かせているのがわかる。元就の口元がほんのわずかに綻んだ。



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