Chapter 5-7
「……っ!!」

花壇の様子を目の当たりにしたその瞬間、彼女は息を呑んでその場に崩れ、うずくまった。
彼女もまた、スィルツォードと同じく、床に入るときの格好そのままに靴だけ引っ掛けて飛び出してきたと見える。ひどい様子のフロアを通ってきているので、何かが起こったことは知っているのだろう。もしかすると、こちらには一縷の望みを抱えていたのかもしれない。しかし、彼女の眼前には非情な現実が突き付けられた。
「こんなことって……」
力のない呟きとともに、両手で顔を覆い、肩を震わせるリーゼ。驚愕と恐怖と落胆と悲哀と――あらゆる負の感情が、時間の経過とともに色を変えてリーゼから流れ出てゆく。
スィルツォードは彼女にかける言葉が見つからず、ただその様子を見つめるばかり。
「リーゼ……お前さんも気の毒にな……」
すぐ傍に屈み、震える背中にそっと大きな手を乗せてダンケールが呟く。
スィルツォードも、やり切れない思いで一杯だった。
「……ダンケールさん、このまま放っておいていいんですか?」
「まさか、こんなことをやらかす奴らを野放しにはできんさ。でもひとまずは、酒場とここをなんとかせにゃならん」
ダンケールの言葉はもっともだ。優先するべきは、ギルドの混乱の収拾である。
「スィルツォード、お前さんも手を貸してくれ。ここを片付ける人間を、もう少し呼んでこよう。あとは犯人探しだが……」

「……あたしがやります」

か細い声が、うずくまる少女から発せられた。
「……そうか。辛いと思うが、お前さんが毎日世話をしていた場所だ。それならここは任せようじゃないか」
ダンケールの声が、少し柔らかくなる。まるで娘を気遣う父親のような声だ。
「……オレもここを手伝います。今日、リーゼと世話をする約束をしてたんです」
「そうか、そうしてやってくれ。俺は中を片付けることにする」
「はい」
頷くスィルツォード。ダンケールはぽん、と彼の肩を一度叩いて、ドアに手をかけた。ところが。

「……違います」

ダンケールが扉の向こうに消えようとしたそのとき、リーゼが俯いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「違うって……何が?」
どこか変な彼女の様子に、スィルツォードはやや不安げに聞く。
「犯人……あたしが探します」
震え気味の声で、リーゼはそんなことを口にした。ダンケールの眉がぴくりと動く。
「待て、そっちは俺たちに任せろ。お前さんだけにやらせるわけには――」
「――許せないから」
両断。彼の言葉を遮ったその声は、普段の彼女からまるでかけ離れて、氷のように冷たく鋭かった。
その瞬間、スィルツォードの背筋にぞわり、と寒気が走った。顔を上げることなく、リーゼはそのままダンケールの横をすり抜けて酒場の中へと消えていく。ダンケールはそれを止めることもなく、ただ見送っていた。小窓付きの玄関扉が、軋む音を立てて閉じた。
「ダンケールさん……リーゼ、大丈夫ですかね。なんか変でしたけど……」
「変というよりは……いや……」
スィルツォードの言葉に対し、意味ありげに呟いて、黙するダンケール。太い腕を組んで、何か考え込んでいるようだった。

それから数十秒ほどだろうか、次の動きを決めかねて、花壇をぼんやりと見つめていたスィルツォードは、再び軋んだ扉の音に振り向いた。
「……あれ?」
スィルツォードと、ぴたり目が合った。出てきたのはティマリールだ。
「なんだ、ティマか」
「なんだ……って、誰だと思ったんだか。あっ、ボスもこんちはっ!」
ちょうど開く扉の死角にいたダンケールにも気づき、さっと手をあげる。
「ああ、お前はこんなときでも平常運転か」
「そーでもないんだよね。たった今、ちょっと心配なのとすれ違ったから」
「ちょっと心配なの、って……」

誰のことを言っているのか、聞く必要もない。
スィルツォードの肩越しに、彼女も変わり果てた花壇を目にした。一瞬言葉に詰まったような声を漏らして、ティマリールも顔をしかめる。
「っ、うわ……ひっどいね、これは……。外の誰かにやられたの?」
「断言はできんが、その可能性が九分九厘、というところだ」
「だよねー。そりゃシスターも、ああなっちゃうか……」
やはり酒場の中でリーゼを見かけていたらしい。彼女はうーん、と小さく唸りながら、やや大仰に腕を組んで見せる。その様子はさながら、事件を推理する探偵のようだ。
「さっきのリーゼ、なんか危なっかしいと思ったんだけど、ティマは何か知ってるのか?」
「……ああいうシスターを見たことはある、ってとこかな」
ぴんと立てた人差し指を顎に当て、答える。ティマリールは普段よりもやや慎重に、言葉を選んでいるように見えた。
「……シスターがこの花壇見てなんて言ったか、ボク当ててみよっか?」
おもむろにそう口にする彼女。スィルツォードが「ああ」と頷くと、またしばらく考え込むような表情になる。それから数秒の沈黙の後、口を開く。
「多分、だけど……犯人を捕まえる、みたいなことを言ったんじゃないかな。違う?」
大体合っている彼女の答えに、スィルツォードは目を丸くした。
「いや、正解だけど……なんで分かったんだ。盗み聞きでもしてたか?」
「いやいや、シスターの声はちっちゃくてドアの向こうまで聞こえないから」
顔の前で手をひらひらと振るティマリール。
「シスター、めちゃくちゃ怒ってたからね、そんなとこかなーって思ったんだ」
「怒ってた?」
「そうそう。シスターは怒ると口数が少なくなるタイプ。ボクといっしょなんだ」
「いや、お前さんは元がうるさすぎるだけだろう」
「あぁ……」
「ボス、ひどいなあ。あとスィルもそこで納得しないのっ」
「いてっ」
ダンケールの突っ込みにうんうんと頷くスィルツォードの頭を、ティマリールが軽く叩く。
「……シスター、ふだんはああ見えて怒るとすっごい怖いんだよ」
「……それ、マジか?」
「マジもマジだよー。ボク、隣で見たんだもん」
にわかには信じがたいが、ティマリールは真面目な顔をしている。
「ボクが前に今みたいなシスターを見たのが、昨日話した、一緒にクエストを受けたときなんだよね。あのときはたしか、クエストを受けて、街に出たときだったんだけど……あ」

ティマリールが言葉を切った。また扉が開く。その向こうから出てきたのは話題の中心、リーゼだった。着替えを終えて、右手には少し小さめの杖を握っていた。やや濃いめの緑色をした頭のとんがり帽子も、明るいオレンジの髪に映えてまたよく似合う。少し目深にかぶっているせいか、顔は隠れていてよく見えない。戦いの準備を整えているこの様子を見るに、犯人を探すため街に繰り出すつもりらしい。
「リーゼ、犯人を探しに行くのか?」
確認の意味を込めて問うと、こくりと、小さな頭が縦に振れる。どうやら彼女の決意は固く、揺るがないようだ。
「ならオレも行くよ」
「いい、です。あたしだけで……」
なるほど、ティマリールの先の話を聞いたあとでは、彼女のこの声が溢れる怒りを抑えた静かな声だということが分かる気がする。
「そういうわけにもいかないだろ。大体、探すって言っても誰がやったかとか、分かってるのか?」
「それは……わからない、ですけど」
「だろ? アリアハンは広いんだし、聞いて回るにしても人数は必要だと思うんだ。一人じゃ日が暮れるどころか月が変わるぞ」
「…………」
黙り込むリーゼ。
「すぐに着替えてくる。ちょっとだけ待っててくれないか?」
スィルツォードは彼女の前に立ち、言った。
すると、彼女の首が縦に動いた。スィルツォードは小さく頷いて、すぐに部屋に駆け戻るべく扉の取っ手を勢いよく引いた。

「忙しいヤツだな、まったく」
「ね。ま、でもそれがスィルのいいところだよ!」
「空回らんといいがな……」
「だねー」
「……お前さんに向けた言葉でもあるんだぞ」
小さく息をついて、ダンケールはそう言った。
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