〜妬心
 
 多少の覚悟はしていたのだ。
 理事長の、脅迫めいた(というか脅迫:確定よね?)提案を受けて――何というか、セフレというか愛人関係に、なることになって。
 あの夜のしつこさから、きっと毎晩呼び出されてアレコレされちゃうんだわーって。
 仕事に差し障りがあるのはちょっと困るなあ、とか。
 学院のボスとはいえ、やっぱり教師とそういう関係があるってバレちゃヤバイから、気を付けないと、とか。
 何でだか趣味なんだか、避妊してくれないから、薬切らさないようにしなきゃとか(それだって百パーセントじゃないけど)。
 色々、イロイロ考えてたのよ。

 でも、実際フタを開けてみると。理事だけじゃなく一族の会社にも籍を置いてる彼は、私なんか比べ物にならないくらい多忙で、毎日私で遊んでいる暇はなさそうだった。
 会うのはだいたい二週ごと。週末、ときどき平日の放課後。迎えに来た彼に連れられて、お食事ホテルにお泊まりコース。
 特に乱暴に扱われることなく至って紳士的。
 いや、ベッドの中ではサドっ気あるんじゃないのこの人、と思ったりもするけど。
 それは傷つけるような抱き方をされるのではなく、ひたすら、快楽を与えられて貪られて、おかしくなりそうだと言う意味で。
 あんまり慣れてないのよ、そういうことに。
 身体の相性はすごく良いんだと思う。
 そういう行為、好きな方でもなかったのに、彼相手だと結構かなり乱れてしまってるし――ていうか、最終的にわけわかんなくなってるので、たぶん、だけど。
 彼がしつこいってのもある。
 というか、この場合彼が経験豊富すぎるのか。
 彼くらい上等な男、女が放っておくわけないだろうし、立場的に婚約者とかいてもおかしくないだろう。
 なのに、なんで私なんだろう。
 女教師、珍しいとか。
 たまには平凡な女相手も悪くないとか?
 私は結婚するまでの遊び相手ってことかしら。
 たぶん、そういう理由なら、直に飽きるだろうとは思うんだ。
 私がこんな立場になった原因でもある、元婚約者と彼女の関係がバレてもなんとか問題なくなるまであと一年と少し。
 それくらいなら、愛人くらいやっても構わない。自棄になってる訳じゃなくてね。
 年齢的には焦るお年頃、だけどすぐに別の結婚相手を探すほど、私自身、焦ってないし、しばらくそういうのはいいっていうか。
 理事長は、強引なところを除けば優しいし、顔は好みのタイプを遥かに凌駕してるし、知的だし、金は持ってるし、オンナの喜ばせかたは心得てるし、私は婚約者に振られてフリーだし(いやだからそもそもそれが元凶なんだけど)。
 まあ、意外と変なひとだったけど。
 ちょっと勘違いしそうになるくらいには、丁重に扱われている。
 あっちが私をオモチャにするなら、こっちだってせいぜい気ばらしに利用してやるわって、半ば開き直り気分。


 楠木茅乃、二十七歳英語教師。
 現在、勤務校理事の愛人を兼任中。


 **********


 教材を持ち、忘れ物がないか確かめて腰をあげた。
 はふぅう。
 よっこらしょ、と同じタイミングでため息が出る。くたびれ果てておりますのよ、今日の私は。

「楠木先生ったら悩ましいため息。何か気にかかる事でも?」

 いえいえ、単に身体がダルいだけです。特に腰。などと言うわけにもいかず、私は田崎教諭の言葉に曖昧に笑い返した。
 ったく、翌日にまで残るくらいしつこくするのはやめて欲しいわ。あの殿下め。
 ダルい身体を叱咤し、私は授業へ向かう。
 今日の担当授業はこれで終わりだし、部活はないし、速攻で家帰って寝てやるんだ。

「茅乃ちゃん、その服可愛いね。おにゅう?」
「まあね〜」

 目聡い女生徒の言葉ににっこり笑う。
 今日私が着ているのは黒地に紫とピンクの幾何学模様が入った膝下の女らしいカシュクールドレス。
 日頃パンツスタイルが多い自分では選ばないデザインだが、スカートが嫌いなわけではないので気に入ってる。
 ……例のごとく用意されてた物だけど。
 もちろんブランド物だ。彼のご贔屓なのか、いつも同じロゴの入った素材も縫製もデザインも極上な衣服は、私には一生縁がなかっただろうと想像できる。値段は考えたくない。あの人、私にいくら使ってるんだろ?
 既に私のワードローブ内は彼にプレゼント(強要)された服に取って代わられそうな勢い。
 いらない、と言いたいところなのだけれど、着る服がない状況に追い込まれている上で渡され、あの笑顔で、

「茅乃さんに似合うと思ったんです」

 と言われてしまうと私の負けは決まったも同然。
 しかしワンピース系が多いのは趣味なんだろうか。……脱がせやすいからとかいう理由ならオヤジと呼んでやる。


「茅乃」

 5限の授業を終えて、廊下を歩いていると、元婚約者である藤岡教諭に呼び止められた。

「今いいか?」
「ん、どうしたの?」

 人気のないうちにと、呼ばれるまま理科室に入る。
 藤岡くんとは別れたけれど、同期で友人なのには変わりない。
 どちらかと言うと、恋人期間より友人としての関係の方が長いので、気負いなく話せる相手。
 なんて、別れ話をした後でちゃんと会話するの、今日が初めてなんだけど。

「ゴメンな、呼び止めて」
「いいよ、この後授業ないし」

 コーヒーを渡され、暫し無言ですする。
 あの子とは上手くいってるのかな。教師と生徒なんて、理事長の愛人をやってるより問題は多そうだもんね。
 思ったより全然平気な自分に安堵する。あの後にあった事のほうが印象強いからだろうか。
 だって現在進行形だし。

「えーと、あのな。これ、返されたけど、一度お前にやったものだし、やっぱりそのまま貰っといてくれないか」

 と、再度渡される、指輪。
 律儀さに微笑んで、「高原さんにあげちゃえば良いのに」そう言うと、

「他の女に選んだものやるわけには――って何で知ってる!?」

 ものすごい驚かれた。
 それこそ驚くわ。知られてないと思ってたのか。

「別れ話の時そこから覗いてたじゃないの。あんな健気な瞳されたら気が付くってば」

 私が呆れてそう言うと、頭を抱えて唸る。

「……あ〜〜〜、うん、そう……。お前で良かった……ああ迂濶……」
「安心して口は固いから。でも、気をつけなさいよ?」

 本当は知られてるの私だけじゃないんだから。

「ああ。バレた時の覚悟は出来てる。あいつさえ学校に居られればかまわないし……」

 うん。そういうやつだって知ってる。だから、協力しようと思うのだ。

「じゃあこれは貰っておくわ。売っぱらちゃおうかな?」

 イタズラめかして言うと、ホッとしたように笑って。

「お前のものだ。好きにしてくれて構わない。……ごめんな」

 何に対しての“ごめん”なんて、確認しなくてもわかってた。

「犯罪者、校内でエッチすんなよ。じゃあね、親友」

 ヒラヒラ手を振って、今度こそ、本当の、サヨナラ。
 うん、大丈夫。
 認めるのは何だかシャクなんだけど、やっぱり、大丈夫の原因は、アレ、なんだろうなぁ……。


「キャッ?!」

 背後から伸びてきた手に腕を掴まれて空き教室に突然引っ張り込まれる。口を塞がれてたので騒ぎも出来やしない。
 まあ、それが誰かっていうのは馴染んでしまった香りでわかってたけど――アレだ。

「油断しすぎではありませんか、茅乃さん。襲われても文句は言えませんよ?」

 くすくす、耳元でささやく声と、後ろから抱き込む腕に身体の方が先に反応して緊張を解く。

「……今日は来ない予定では。理事長」

 朝、そう言ってたクセに。そんでもって、昨夜たっぷりしたくせに。

「時間が空きましたので、茅乃さんに逢いたくて」

 っ、て、耳を噛むな!! 舐めるな!!

「ゃ、ちょ……まだ仕事が、っあ、」

 てゆーか昨日散々したのにまだする気が有るのか!? それ以前にここは校内だっ!

「っん、……ッふ、ぅんっ」

 耳元、だからなのか、舌が這う水音が、やたら自分の中で響いて、ぞくぞくする。
 耳たぶをクチュクチュ食まれながら、胸を、揉まれ。
 何であんたそんなにエロいんですか。清潔そうな顔して詐欺ですってば!

「……ココ、硬くなってますよ?」
「っあ、ゃ!」

 キュ、と布の上から粒を摘まれる。

「ン……ッ、」

 私も大概だ。何だかんだ言って、準備が出来てしまう。
 いやいやちょっと待てこんな埃っぽい所でするのはイヤぁあ。

「っ理、事ちょ……、」
「……いい加減、暁臣と呼んで下さっても」

 何度目かになるやり取りを飽きもせずしながら、スカートを捲り上げる手を押さえようとジタバタする。やっぱりワンピースは罠?!
 諦めの境地になりかけた時、ピタリと手の動きが止まった。
 唐突な解放に身体がついてゆけず、支えをなくした私はペタリと床に座り込んでしまった。

「……お仕事が、まだあるんでしたね。邪魔は止めておきます」

 て、今さら。こんだけやっといて。
 熱っぽくなった身体をどうしてくれるんだと見上げると。

「終るのは、何時ですか? 夕食をご一緒しましょう」

 あくまでも穏やかに、話しかけてくる彼。なのに私は背筋が冷える思いをした。
 ヤバイ……。
 何か、怒ってるよ、あの笑顔は。
 夕食をご一緒した後の自分の運命を思って気が遠くなった。
 ――体力、限界なんですけど。


 いつものホテルに連れて行かれるのかと思いきや、食事の後はすんなりと私の家に向かって車を走らせていた。
 表面上は穏やかに、普通の会話をしていたけれど、ふと気付くと、冷めた瞳が私を見つめていて、ヒヤリとすることもしばしばだった。
 何なんだ。
 見慣れた道に入り、私の住むアパートが見えて――通り過ぎた。
 え?

「理事長、家……」
「もう少し良いでしょう? 一緒にいたいんです」

 甘い言葉のはずなのに、真顔で言われたそれに身がすくむ。
 ――だって、目が笑ってない。

 近くの公園の脇に、車が停められる。昼間は子供達が走り回るそこは、この時間は人気はなく、寂しい雰囲気だ。
 一緒にいたい、と言ったくせに、理事長は黙ったまま、どこかを見ていて。

「……今日、私と会う前に誰かと会っていましたね?」
「え?」
「貴女が理科室から出て来る所を見ました」

 それがどうかしたのかと、彼を見やると、奥底に火が燃えているような暗い瞳が私を捕えた。
 背もたれに囲うように手をつかれ。
 逃げられない。

「あの男と、何を話していたんです?」
「な、何って……別に……」

 あの男、というのはもちろん藤岡くんのことよね?
 別れを再確認しただけで、理事長が怒るようなことは何も――、って何でこの人怒ってんの? というか何で怒られなきゃなんないの。

「別に、で何故こんなものを受け取るんです」

 目の前にかざされたのは、藤岡くんに返して貰ったはずの指輪。
 ポケットに入れてたのにいつの間にッ?!
 確かめようとワンピースのポケットを探ろうとすると、身体を動けないように押さえ付けられる。

「ヨリを戻そうとでも言われましたか?」
「ちが、」
「させません」

 唇を塞がれる。
 だから、人の話を聞けぇええ!!

「んーーーッ!! ぅう! んぅッ!」

 首を振って、殺されそうなキスから逃げようとするけれど、首の後ろを手で押さえられ、暴れようにも暴れられない。

「ぁ、痛……っ、痛いッ!」

 力任せに胸を掴まれる。
 握り潰そうとでもするかのように、加減なく揉まれて私は悲鳴を上げた。

「な、――ああッ! ッい、ゃめ、理事ちょ……、いや!!」

 倒された座席に俯せに押さえつけられる。
 肩をぶつけた衝撃を堪えていると、それを上回る痛みが下腹部を襲った。
 ――なんの準備も出来ていないそこに捩じ込まれるもの。
 いつも、頭が煮えそうになるくらい睦言をささやいてくるくせに、そのときの彼は無言だった。荒い息づかいだけを私に向けて、欲をぶつけてくる。
 狭い車内で、無理な体勢で、身体を繋げられて。
 怒りをそのまま内側に押し込むような交わり。突き上げられる度、痛みが身体を軋ませる。
 ガンガンと、壊れそうな音を立てているのは、私なのか、車なのか。
 初めて彼に無理に抱かれたときでさえ、こんな乱暴はされなかったというのに。

 何でこうなるの……。


 **********


「……っ、」

 ゆっくりと覚醒した私は、鈍痛が響く自分の身体に、またこのパターンかとため息を吐きたくなった。
 見慣れたホテルの天井。
 視線をさ迷わせると、濡れたタオルを私の額に当てようとしていた理事長と目が合う。
 自分の方が死にそうな顔色で、私を覗き込んでいる。
 ……まったくもぅ。

「……茅乃さん……」

 頼り無げな声と、揺らぐ瞳に、こういう時は、この人が年下なんだなぁと思う。

「……起こして」

 要求に、まるで触れるのを怖がるようにそろそろと、私の背中を支えて、クッションを置いて楽な姿勢になるようにしてくれる。
 こんな風に気遣い出来るくせに何でアノ時はアアなのよ。

「っ……、」

 いてぇ。
 ちょっとコレ全身打撲よ?
 痛くないところがないくらいよ?
 起きただけで身体に痛みが走り、うめいた私にオロオロする彼を睨みつける。
 既に私はキレていた。

「……暁臣さん、ちょっとそこに座りなさい。」
「……、はい」

 そこ、と私が示した床に神妙に正座する理事長。

「よろしいですか、こんなコトが続くようでは私の体が持ちません、何が気に入らないのか知りませんが態度を改めて頂かないと困ります。痛め付けるのが趣味ですかそうなんですかこの変態! あえて関係を終わらせるつもりなら望むところですがそうでないなら早急に改善して下さい。大体ですね、上に立つ立場の者が人の話を聞かないっていうのはどうなんですか、そんなことではついて行く者もいなくなります、ウチの理事職だけでなくご実家の会社でも上の要職に就かれているなら他人の話を聴くということは大切でしょう、自己完結する前に耳を傾けるくらいして下さいわかりましたか返事はっ?」
「……ハイ」
「返事ばっかり良くても駄目なんですよ!」
「肝に命じます……」

 畳み掛けるような私の言葉にうなだれていた理事長は、恐る恐るといった感で、訊いてくる。

「怒ってないんですか、茅乃さん……」
「怒ってるに決まってるでしょう! 怒ってないように見えますか! あちこち青痣だらけですよ、二度と車の中でなんかゴメンです!」

 キイキイわめく私に、少し呆気にとられ、彼は口を片手で覆いながらひとりごちる。

「……そうではなく、完全に嫌われたと……」

 その発言に冷ややかな目を向けて、私は吐き捨てた。

「私が理事長を嫌おうが、弱味を握られてる限り拒否権はないでしょ?」
「そうですね……」

 だけど、自嘲の笑みを浮かべた彼のうちひしがれた様子に、反射的に口を開く。

「別に嫌いじゃありませんが」

 自分でも言ってから驚いた。
 これだけの目に遭わされて、むかつくし理不尽だと思うけれど、何故か理事長を嫌う、という気持ちが湧いて来ないのが自分でも不思議だ。
 マゾか私。

「茅乃さん、――触れてもよろしいですか」

 許可を求める言葉に、躊躇ったあと小さく頷いた。
 時間を置けば置くだけ、乱暴された痛みと恐怖に身体を支配されるのはわかっていたから、今のうちに、感情を塗り替えた方がいい。
 そっと壊れ物を抱くように腕を回される。
 触れられた瞬間は、勝手に身体がこわばったけれど、じきに力は抜けた。
 疲れた身体を委ねると、ほんの少しだけ抱きしめる力が強くなる。

「……さっきのはレイプです。もうしないで下さい」
「二度と」

 誓うように強く呟かれた言葉と、触れるだけのくちづけを感じながら、私はもう一度まどろみのなかに落ちて行く。

 彼のこの執着が、
 身体を縛る情欲が、
 何故私に向けられるのかなんて、

 まだ知らなくていい。

 壊れそうなくらい求められることが、心地よく感じる、今は。


 囚われた鳥籠
 扉を開ける鍵が
 どちらの手の中に有るのか

 今はまだ
 わからないままで――



 
(2010.08/15改)
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